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【遠藤英樹】コロナ後の世界、観光は「リスクと負荷」にも目を向ける時代に

World Now 更新日: 公開日:
世界中から観光客が押し寄せていたルーブル美術館も閉館していた=3月16日

新型コロナウイルスの影響で、世界から観光客が「消失」してしまいました。日本で脚光を浴びたインバウンド(訪日外国人)は、今後どうなるのでしょうか。これからの観光のあり方について、観光社会学が専門の遠藤英樹・立命館大学教授に聞きました。

――新型コロナの流行で観光客の移動が大幅に制限されている現状を、どう見ていますか。

新型コロナはパンデミック(世界的な大流行)になりましたが、このグローバルなウイルスの移動が何によって引き起こされたかというと、移動社会、モバイルな社会になると思います。現代は、ヒト、モノ、カネ、情報、イメージ、文化が世界中をめまぐるしく動き回る社会です。その移動社会を加速させてきた現象の一つが観光だ、というのが私の理解です。

ツーリズムモビリティー(観光的移動)と言いますが、観光客だけでなく、観光客を通じて荷物や土産も移動します。観光産業にお金が落ちることで、カネの移動も起こります。さらに「インスタ映え」などを意識したSNSへの投稿で、イメージ、情報も移動します。

新型コロナは中国・武漢で発生したあと、武漢を訪れた観光客や、武漢など中国各地から世界に渡った観光客が広めた可能性があります。観光が関与してウイルスをここまで大きく蔓延させた可能性があるということですから、観光がリスクの移動も作り出していると捉えて、議論を深めていく必要があると思っています。

遠藤英樹・立命館大教授

――観光がリスクも運ぶことへの懸念はこれまでもあったのですか。

テロのリスクについても、あてはまることです。テロは影響力を高めるために人が集まる場所を狙いますが、観光は非常に大きな人の移動をもたらすがゆえに、テロも引き寄せる側面があります。今回のウイルスだけではない、さまざまなリスクを移動社会が生み出しており、それを加速させている現象の一つとして観光があると捉えています。

――コロナ危機の後、観光の形は変わるのでしょうか。

これからの観光産業は、今まで以上にバーチャルなメディア技術を活用しながら、さまざまな経験をしてもらう「経験創造産業」とも呼ぶべきものにシフトしていくのではないでしょうか。その中で、観光の意味は変わると思います。旅行先で観光客だから何をしてもいいよね、というような態度をとる観光は、見直しを迫られると思います。

「京の台所」錦市場にあった、食べ歩きしないよう注意を促す看板=京都市中京区

見知らぬ土地に行くと、自分たちと異なる文化、価値観、生き方に接することができます。そういう異なる世界との出会いという意味合いが、これまで以上に重視されてくるでしょう。

観光客にも、観光客を迎え入れる側にも、自分たちと異なる世界に住む人たちを大切に扱うホスピタリティー(歓待)の姿勢が求められます。観光にはリスクだけでなく、ホスピタリティーも移動させて世界をつなぐ役割があるのだ、と位置づけていく必要があるのではないかと思います。

――自分がしたいように楽しむ観光ではダメということですか。

自分が心地よいと感じる文化に閉じこもって異世界を見ることを「環境の泡」と言いますが、それだけではダメだ、ということです。例えば、貧しく人々が飢えているような国に行っても高級レストランで食事をするという観光旅行もありますが、今後はより現地を知る観光が注目されると思います。

もちろん、現地でささやかなぜいたくなどをして、日常に彩りを添える側面が観光にはあります。それに加えて、現地で自分と違うものに出会うという側面も求められるだろう、ということです。

――コロナ危機の影響で、人の移動が少なくなり、観光がしぼんでいく可能性はありませんか。

1年ほどは大きな打撃を受けるでしょう。でも長い目で見れば、人が移動することはもう誰にも止められない。今は食料品も国境を越えて届く時代。移動が止まったら、たちまち生活が干上がってしまいます。移動に依存して作られている世界だと言えます。

イギリスの社会学者ジョン・アーリはその点を捉えて、「移動としての社会」という言い方もしています。アーリによると、人はもともと、生まれた場所で育ち亡くなるという生活で、特に移動が想定されていない社会で生きていました。それが近代に政治的、経済的な自由を手に入れたことで、住む場所などに制約がなくなり、移動が大きな要因になってきたと。近年では、航空産業や交通ネットワークの発達で移動がさらに簡単になり、社会にとってなくてはならないものになってきた、と指摘しています。

ただ、移動できれば何でもいい、というわけでもありません。私たちはその先の、モビリティー・ジャスティス(移動の公正さ)を考えるべき段階に入っていると思います。

――どういうことでしょうか。

モビリティーが持っている積極的な意味は認めつつ、それがもたらしている自然環境などへの負荷も意識しましょう、という議論です。

スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの行動もあって、飛行機移動の環境負荷が注目されていますが、観光もジェット機でどこに行ってもいいというのではなく、移動にともなう自然環境、文化への負荷ももう少し考える必要があるだろう、と思います。

COP25の会場に姿を見せたグレタ・トゥンベリさん(中央)。即時の地球温暖化対策を求める「フライデーズ・フォー・フューチャー」の若者たちと並んだ=スペイン・マドリード、松尾一郎撮影

――文化への負荷というのは何ですか。

例えば、京都など主要な観光都市では、観光客の集中による「オーバーツーリズム」の弊害が指摘されてきました。都市が受け入れられる人数以上の観光客が押し寄せたため、地域の遺産や生活がかき乱されたと批判されています。

――今後、観光客を受け入れる側はどんな対応をしたらよいですか。

観光客を招く側も、多くの観光客が来ていっぱいもうけられたらいいや、ではすまないと思います。もてなすことの中身を考え直さないといけないでしょう。おいしいものを食べてもらって、快適に過ごしてもらったらいいよね、というのではなく、地域の文化や、地域で大事にしているものを知ってもらうような、もてなしのあり方を考える必要があると思います。

――観光は曲がり角にあるということですか。

そうですね。19世紀にイギリスのトーマス・クック社がパックツアーを手がけ、近代ツーリズムの成立につながったと言われますが、今そのあり方が曲がり角を迎えていると思います。パックツアーで自分たちの好きなことだけをして帰る。そういう形でない観光を目指すことが求められています。


えんどう・ひでき 1963年生まれ。デンマーク・ロスキレ大学客員教授などを歴任。専門は観光社会学、社会学理論。編著に『現代観光学』、著書に『ツーリズム・モビリティーズ』など。