3年4カ月のベトナム生活を終えて、1月下旬に私たち家族は日本に帰国した。さようなら大好きなハノイ。後ろ髪を引かれながら乗った帰国便の中で、日本の様子を想像した。きっと東京はマスクをした人でいっぱいなのだろう。ベトナムでも新型コロナウイルス感染症の世界的な広がりについて報じられていた。日本は花粉症対策などで普段からマスクに慣れた人が多いから、ばっちり備えていることだろうと思った。ところが成田空港に降り立ってみると、思ったよりもマスクをつけている人が少ない。意外に思った。
その頃から、多くの人がマスクを求めて店をさまよい始めていたのだろう。長男のポコが編入する小学校から、「給食当番などのためにマスクを用意してください」と言われ、あわてて薬局に行ったものの、マスクはほとんどみつからなかった。それから3カ月近くたっても手に入りにくい状況が続いているとは思いもしなかったが。
ある日、マスク確保に苦労していた私の家族が、「ベトナムに行った時に買ったマスクがあるのを思い出した!」と、うれしそうに写真を送ってきた。バイクに乗る女性たちがよくつけている、カラフルな布製のマスクだ。ベトナムでは一つ100円程度で、市場やスーパーなどどこでも売っていた。
正直にいうと、ベトナムにいたときは、「布じゃ大気に浮遊するPM2.5などはすり抜けるだろうし、意味あるのかなあ」などと疑わしく思っていた。ど派手な柄にもちょっと抵抗があった。でもマスク不足が続く日本ではいまや、「いかにマスクを手作りするか」という情報があちこちでシェアされ、布を使ってマスク不足をしのぐ人がたくさんいる。布製でも、くしゃみやせきをした時の周りへの影響をおさえる一定の効果はある。ベトナムの布マスクを買っておいたら日本で喜ばれたのに、と悔やんだ。非常時には、ものに対する許容度ががらりと変わる。いま私が愛用しているのは、日本で買った豚やちょうちょの派手なイラストがついた布マスクだ。一方、ベトナムでもマスクは一時不足し、普段は衣類を作る縫製業者が、布マスクの生産に切り替えて対応したそうだ。
日本で会った人には、「ぎりぎりのタイミングでベトナムから帰りましたね」と言われた。確かに、多くの国々で出入国が制限されている今となっては、何の不安もなく、飛行機に乗ってすんなりと帰国したことがうそのようだ。東南アジアから最近帰国した知人は、空港での手続きに何時間もかかったという。逆にこれから東南アジアの国に赴任するという友人は、「新型コロナウィルス感染症にかかっていないという証明書がなければ入国できないと言われたけど、簡単に検査できない日本ではそんな証明はとれない」と嘆いていた。
私たちが出国した後、ベトナムでは海外から新たに入国するすべての人に、新型コロナウイルス感染症の検査を実施し始めた。ベトナムの企業が独自のコロナウイルス検査キットの開発に成功し、ドイツやイタリアなどから注目されているという報道を、感心しながら読んだ。一方で、ハノイでは新型コロナウイルスに感染した人たちを、いわば「監視」する機能をもつアプリも導入されている。感染した人が指定の場所から離れると、家族や当局担当者の携帯に警戒のメッセージが届くしくみで、感染した人や接触した人の居場所も地図で把握できるという。プライバシーへの配慮が気になるが、すべての人の健康に関わる問題なだけに、こうした情報の公開・共有をすっと受け入れる人も多いのかもしれない。
ベトナムのフック首相は「すべての国民は感染症を予防するために戦う兵士となり、国民全体で感染症を退けよう」と、「兵士」という言葉を使って国民に団結を呼びかけてきた。ベトナムの人は、ふだんは集まってお酒を飲むのが大好きだが、当局の指示でどの飲食店も閉まっている。数百メートル間隔で警官が立ち、出歩く人は理由を聞かれるという。新型コロナウイルスとの戦いを率いる政府の取り組みについて、「なかなか頑張っている。ベトナム政府に批判的な活動家までフェイスブックでほめていた。社会主義の国でよかったと初めて思った」。ベトナムの知人にこんな話を聞いて、ええっ、そこまで言う、とちょっと驚いた。
長年ハノイで仕事をしている勝恵美さんにネット電話で話を聞くと、「人の命が一番大切だ、という民意と政府の考え方がぴったり合っている。団結し、みんなでどうにかしようという感じがすごい」と話していた。中国にたびたび侵略された歴史や戦争の経験から、「国難のときは団結して乗り越えるもの、という考えがベトナムの人にはあるのだと思う」と言う。勝さんがうっかりマスクをせずにスーパーに行った時、入り口で「マスクしてないと罰金をとられるよ」と注意されたという。「自分たちの頭で考え、お互いにちゃんとやろうね、と見守り合っている。そう言えば私の会社の入るビルのオーナーは、自腹ですべての入居オフィスの従業員に2枚ずつ、布マスクをくれました」。
非常時にトップダウンで指示を出したり、情報の管理をしたりできるかどうかは、お国柄によっても違うだろう。ベトナムでは、2002~03年に広がった重症急性呼吸器症候群(SARS)や、鳥インフルエンザに対応した経験が今回生きている、とみる人もいる。
日本では新型コロナウイルスの検査数がなかなか増えない。検査態勢などの問題があるのだろうが、そのために感染の広がりがはっきりわからず、国民が危機感を共有して団結しにくい理由となっているのではないだろうか。
新型コロナウイルスの広がりを受けて、私は初めて在宅勤務を経験し、インターネット会議にやっと慣れてきたところだ。日本の小学生生活をスタートした長男ポコは、真新しいランドセルを使い始めたと思ったら休校になり、2年生になった実感も薄いまま、家や公園で遊んでいる。復職した夫のおとっつあんは、在宅ではできない仕事のため日々出社している。初めてづくしの毎日に感じ、考えたことは、これから決して無駄にならないと思いたい。