■「翔んで埼玉」意外な海外での高評価
人口約730万人の埼玉県。南側が東京都と接し、JRや私鉄などが上野や池袋、新宿、渋谷といった都心と結ぶ。通勤や通学で都内に通う県民も多く、愛郷心が弱いとされてきた。
だが近年、県出身で埼玉大学卒の梶田隆章さん(61)がノーベル物理学賞を受賞。同じく県出身で「日本資本主義の父」と称される実業家の渋沢栄一(1840~1931)が新しい1万円札の肖像画になることが決まり、県をネタにしたコメディー映画「翔んで埼玉」が興行収入37億円を超える大ヒットとなるなど、勢いづいている。
「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」。映画「翔んで埼玉」は、埼玉を徹底的にディスる漫画が原作だ。監督でフジテレビゼネラルディレクターの武内英樹さん(53)は、3月に日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。
企画段階で埼玉の地元関係者に企画書や台本を説明したところ、「全然大丈夫。みんなもっといじられているから」「まだまだディスり足りない」と逆に背中を押された。作品中で東京都民は埼玉県民を虐げる存在として描かれるが、都庁前でロケもできた。「漫画の原作が出た40年ほど前だったら考えられなかった」ような、地域格差をネタにした作品の大ヒットに、「日本もある意味だいぶ成熟してきたのかな。笑って許せる風土ができてきた」と考える。
意外だったのは、海外での評価が高かったことだ。イタリア北部の都市ウディネやアメリカのシカゴ、ドイツのフランクフルトといった欧米の映画祭に招かれ、観客賞などを相次いで受賞した。「埼玉と東京みたいな関係は世界のどこにでもある。イタリアでもウディネと、ウディネがある州の州都トリエステ。アメリカでニュージャージーはハドソン川対岸に住むニューヨーカーから田舎くさいと馬鹿にされる。フランクフルトでもあると言われました」
ヨーロッパでは近代に領邦国家や都市国家などが統一されて現在のイタリアやドイツといった国家が生まれた。「どこの国でも、正面から地域間差別に切り込んだことに対する勇気みたいなものをたたえてくれた。イタリアは日本より地域格差が激しい。ウディネでは『イタリアでやられたらしゃれにならないぞ』みたいなことを言われました」。国を問わず、愛郷心は世界に普遍的なテーマであることに気づいたという。
■愛郷心は同調圧力に対する「息抜き」
日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さん(55)は、県境よりも旧国境の方が、風土に根差した実体があると指摘する。たとえば旧武蔵国は、明治維新後に今の埼玉県と東京都(島しょ部を除く)、神奈川県(川崎市および横浜市の大部分)に分割されたが、今でも経済的・文化的に一体性が強い。隣接する東京都板橋区と埼玉県和光市の類似性に比べれば、同じ都内でも港区と近世まで旧下総国だった下町(隅田川以東)の方が雰囲気が違うと語る。
「『翔んで埼玉』人気の背景には、そうした『実体としての違いのなさ』を無視した、都内だけをブランドとする昨今の風潮への違和感があるのでしょう」
日本の全市町村と世界114カ国を自費で旅して回った経験から、「世界のどこでも国境は、東京都と埼玉県の境にも似て、最近定められた怪しい存在。そんな中で日本は、歴史、文化、言語と国境線が一致している、例外中の例外」と言う。
文字記録が残るようになって以降、元寇以外に外国からの大規模な侵略はなかった。戦国時代にも、日本から独立しようとした大名はない。明治維新時の薩摩藩も、独立など夢にも考えずはるばる江戸に出て幕府を倒した。「日本は、侵略も分裂もない、たいへん特殊な歴史をたどった国」
国境と言語が一致した日本では、「愛国心が、時に息苦しいまでに強い同調圧力を発揮する」という。均質性の高い社会の中で、愛郷心は同調圧力に対する「息抜き」として存在していると評価する。「愛郷心の副作用である国家分裂の危険が、歴史的にも文化的にもまったくない日本だからこそ、もっと郷土の個性を競ってよい。琉球文化からアイヌ文化まである多様性を、愛郷心で強化することが、日本の魅力アップにつながる」