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歴史教科書のあるべき姿は 国際教科書研究所・フクス所長に聞く

World Now
エッカート・フクス所長=ドイツ・ブラウンシュバイクで

――この国際教科書研究所があるブラウンシュバイクという街は、旧西独の地域にあります。研究所ができた経緯と取り組みを教えてください。

第2次世界大戦後に欧州は米ソ冷戦で東西に分断され、西独はまず西欧で以前の敵と和解せねばならなかった。ところが英仏などの歴史教科書は、戦争に勝った自国をたたえ、敵を悪く書くステレオタイプに満ちていた。創設者のゲオルク・エッカートはナチス政権下で社会の教師を務めた反省から、特に子どもたちの心を平和の方へ向けるために教科書を変えることが必要だと考えた。

国際教科書研究所の壁にある創設者ゲオルク・エッカートの写真

この研究所の前身は1951年にできた。西欧の国だけでなく東欧でドイツが侵略したポーランドとの間でも、ドイツと各国の二国間の教科書委員会を作り、互いの教科書のステレオタイプをチェックし排除しようとした。もちろん西独の教科書はナチス時代から見直した。

ゲオルク・エッカート国際教科書研究所の図書館

これができたのは、ドイツが大戦で犯した歴史的罪を受け入れたからだ。それはナチス時代から世代が変わる60年代半ばまでかかったが、誰もホロコースト(大量虐殺)を疑わなくなった。そこには政治的意思も必要だった。70年にブランド西独首相がポーランドへ行ってユダヤ人の慰霊塔の前でひざまずいたのが、最も有名なイメージだ。その社会のコンセンサスは冷戦後の統一ドイツに引き継がれた。

そして、フランスとは2006年、ポーランドとは今年、ドイツと共通教科書を出版するところまでこぎつけた。ドイツの歴史教科書はまだ自国中心的なものが多いが、共通教科書はより広い視野を得てドイツの歴史を世界と結びつけることを助けている。どれぐらい採択されているかはわからないが、独仏の共通教科書が歴史というより外国語の授業に多く使われているようで残念だ。

■国家の物語と、ナショナリスティックな物語は違う

――そもそも近代の国民国家は、国家をまとめ、国民を育てるために歴史を語ることが必要です。そこで二国間の共通教科書を作る意義は何でしょう。

近代国家のアイデンティティーは建設過程にあり、それが歴史教科書によって描写されることに疑問はない。大事なのは二つ。まず、その国家の物語と、ナショナリスティックな物語は違うということだ。後者は今も多くの国々の教科書にみられる。例えばユーゴスラビアが分裂した諸国で、我々の国は優れている、重んじる価値は正しいと。新しく生まれた自国を正当化するために、回りの他国よりいいということを言いがちだ。

エッカート・フクス所長

次に、国家の物語を地域や世界の歴史に埋め込むということだ。ドイツとポーランドの共通教科書も、それが二国間関係でなく、両国が共有できた観点から欧州の歴史を書くから意味がある。私は日本、韓国、中国によく行き、共通教科書について聞かれるが、東アジアの教科書に何を書くべきかは言えない。言ってきたのは、いかに各国の識者が同じテーブルについて歴史的な争点を議論し、共通点をそれぞれの教科書に反映させるかというやり方だ。

■教科書、社会の束ね直しに貢献できる

――最近ドイツは中東からの大量の難民に社会が揺れ、排外主義を唱える新興右翼政党が伸びています。こうした状況で歴史教育に何ができるでしょう。

ドイツが戦後に築いたコンセンサスが大きな挑戦に直面している。ナチス時代の罪は他国に比べそれほど重くなかったという考えや、難民や同性愛者といった少数を排除する過激主義のトレンドだ。教師は政治的に中立でないといけないので、一定の支持を得るようになった新興右翼政党を批判するのも難しい。

そもそも、教科書に書いてあることがどう子どもたちの心に届くのか、それが過激主義をどう防ぐかの間に、決して直結する道はない。家族や宗教、今ではインターネットなど、成長する子供に影響するものはたくさんある。そもそも教科書は何年かごとにしか改定されないから現代に追いつくことが難しい。

それでも教科書が何らかの役割を果たせると思うから、この研究所がある。私は教科書を、あらゆる人が持つマスメディアだと考える。そしてドイツではまだ幸い教科書を見直そうというところまでは行っておらず、教科書は社会を束ね直すことに貢献できるはずだ。

国際教科書研究所の地下の書庫で、日本の教科書を紹介する司書

現代に起きることはグレーで、白か黒かとなかなか教えられない。だが、戦後ドイツにはナチズムへの反省に基づくコンセンサスがある。それは独りよがりでなく、欧州で各国と共存して発展するために築いてきた歴史観だ。

ドイツ政府には「我々の教科書はすでに十分よいものだ」という考えがあるが、さらに欧州的な歴史意識を促進しないといけない。欧州各国の政府に、この研究所の活動にもっと歩み寄るよう望みたい。ある国の歴史を国際的にとらえて教科書に反映させるため他国と対話することは、難民や排外主義といった今の問題への対応に役立つからだ。

Eckhardt Fuchs  旧東独のポツダム出身の歴史家。ドイツ統一後の1992年にライプチヒ大学で博士号を取得し、欧州の歴史教育やグローバル化の影響などについて研究。国際教科書研究所には2007年に入り、15年から所長を務める。

■朝日新聞社の言論サイト「論座」での藤田編集委員の連載記事「ナショナリズム 日本とは何か」