二百数十藩を数えた日本は明治維新でまとまるが、それは欧米列強に抗すべく一部の藩が主導し天皇を戴く形だった。主権は「万世一系ノ天皇」の世襲で、国民はその下にある「臣民」とする憲法ができた。
戦前の日本で国民がまとまろうとするナショナリズムは、天皇を中心に国民全体を家族に擬す「国体」の維持へ傾いた。教育で「忠君愛国」が徹底され、議会の力は限られていた。民主主義が独裁に陥ってナショナリズムが暴走した訳ではない。
敗戦で日本とそのナショナリズムは、さらに複雑な状況に置かれた。米国を中心とする占領下で新憲法が生まれ、国民は主権を手にしたが、天皇も「国と国民統合の象徴」として存続した。
民主主義でナショナリズムを陶冶するのは国民だ。どんな理念を重んじる国を目指すのか。それは人権や国際協調を軽んじていないか。政治家の言葉と行動を吟味し、投票で選び、国をかたどらねばならない。ドイツでは排外主義を唱える政党の勢いに揺れながら、ナチズムの教訓という原点に戻ろうとする人々がいた。
だが、日本ではそうしたナショナリズムはあまり意識されてこなかった。敗戦は民主主義の失敗としての教訓に乏しく、民主主義を国民を巻き込んだ革命や独立運動で手にしたわけでもないからだ。
むしろ日本のナショナリズムは愛国心と混ざり合う。その情念は明治から培われ、戦後も天皇が「象徴」として存続しただけに根強い。「忠君愛国」と敗戦をつなぐ記憶が次第に薄れ、愛国心の発露にためらいがなくなるほど、国民が国をかたどるという本来の意味でのナショナリズムはますます遠ざかる。
日本政治思想史で知られる東大教授の故丸山真男は1951年の論考で、戦前の軍国主義を支えた「日本の旧ナショナリズムの役割」をこう述べた。
「一切の社会的対立を隠蔽もしくは抑圧し、大衆の自主的組織の成長をおしとどめ、その不満を一定の国内国外のスケープ・ゴーツ(生け贄のヤギたち)に対する憎悪に転換することにあった」
戦後75年の日本。国政選挙で投票率が下がり、無党派層が増え、歴代最長の安倍政権が続く。そのトップが「国のかたちを語るもの」として改憲を唱える様は、一見本来のナショナリズムを追う営みのようで、理念よりも愛国心の高揚が目立つ。
民主主義を手にした国民自身がどんな理念で国をかたどるのか。日本の模索は続く。(藤田直央)
■朝日新聞社の言論サイト「論座」での藤田編集委員の連載記事「ナショナリズム 日本とは何か」