国際金融都市フランクフルト郊外の公立ハインリヒハイネ校で、15~16歳の歴史の授業を参観した。クラスの24人が6班にわかれて座る。1年に4カ月は学ぶというナチス時代の授業で、この日のテーマは「ナショナリズムへの抵抗の形」だった。
ミサでナチス批判をして強制収容所に送られた聖職者、ヒトラー暗殺を計画して処刑された軍人など別々の実例の資料が各班に配られ、抵抗と受けた処罰について議論。90分授業の終盤、教師のローラ・スキピス(34)が呼びかけた。
「自分ならどの段階まで抵抗したでしょう? 各段階を示す紙を床に置きます。前にきてください」
生徒らは、選挙で政権を握ったナチスが「一つの民族、一つの帝国、一人の総統」を掲げる独裁で人権を蹂躙し、戦争に突き進んだことをすでに学んでいる。左端の無抵抗から、右端の暗殺を含む最も激しい形の抵抗まで、立ち位置は横に広がった。
次々と手が挙がる。多く集まった真ん中あたりの男子が、「意見を持つのは大事だけど、公言して家族を危険にさらすのは無責任だ」と口火を切る。
「どんな国籍でもドイツに住めば同じ権利がある。迫害には一人でも抵抗する」(右端の女子)、「普通でない行動をすれば玄関を出たところから目をつけられる。抵抗なんて大変だ」(左端の男子)。ネットを使う抵抗のよしあしや難民といった今風の話も交じり、発言は授業終了の鐘まで続いた。
ナチズムへの反省から生まれた戦後の基本法(憲法)は、人間の尊厳の保護を国の義務とし、独裁者への抵抗権も認める。スキピスは私に「歴史を孤立させず、自分たちの民主主義にどう結びつくかを教えたい」と話した。
国が危うい方へ進んでいる時、国民のあなたはどうするか。ドイツの人々が向き合う場は教室から、各地のナチズムの遺構へと広がる。
先の生徒らが「抵抗」に関心を持ったのは、古都ワイマール郊外にあるブッヘンバルト強制収容所跡の見学がきっかけだった。私も足を延ばすとバスで数十人の生徒が訪れていた。展示は8年間で死者5万6000人を出した経緯とともに、この古都を権威付けに支配したナチスに対する市民の無抵抗を語る。米軍が強制収容所を解放後に市民らを呼び、遺体の山を見せている写真もあった。
ワイマール市街には、1919年にドイツ初の民主的な憲法が採択された国民劇場がある。100周年の昨年、向かいに「ワイマール共和国の家」ができた。市民団体が「民主主義を守るには日々闘わねばならない」との趣旨で建てた史料館だ。
ワイマール憲法がナチスに骨抜きにされる「民主主義の終わり」への過程を詳しく紹介。失業率増加や右翼の過激化、ポピュリズムなど、ナショナリズムを暴走させた「ワイマールの条件」が今に通じるとの解説もあった。寄せ書きコーナー「民主主義の今後」には多くの書き込みがあった。
だが、過去の教訓によるナショナリズムの制御は試練に直面している。シリアなど中東からの大量の難民への対応だ。
メルケル首相が難民受け入れを決めた2015年以降、排外主義的な新興右翼政党・ドイツのための選択肢(AfD)が議席を伸ばした。その旧東側地域での強さも過去の教訓に冷水を浴びせる。共産主義が勝利した歴史が90年の統一まで語られた旧東側では、ナチズムを我が事としてとらえる教育が旧西側より短いからだ。
森鷗外が学んだベルリンにある記念館の副館長ベアーテ・ヴォンデ(65)は旧東側出身。10代の頃に反ナチス教育を受けた。ブッヘンバルト強制収容所も見学し、「ナチスドイツから亡命した共産主義者の先生たちのように活躍したいと思った」。
「旧東側ではナチスが根絶されたはず」とAfDの伸びに戸惑いつつ、統一30年の今も「人生に安心がなくなった」と感じる。「育児や老後の支援は統一前の方がよかった。社会の絆が弱まって、この国はどうなるんでしょう」
私がフランクフルトに入る前日、近郊で移民のルーツを持つ9人が射殺された。メルケル首相は声明を出した。容疑者は人種差別主義者であり、事件は今世紀に入っての極右による数々の殺人に連なるとみなして、こう述べた。
「人種差別は毒です。憎しみは毒です。この毒は我々の社会の中にある」「私たちは断固として、ドイツの分断を企む全ての者に対峙します」
筆者が訪問した学校の教頭ステファン・ロットマン(52)は言う。「基本法が掲げる人間の尊厳に疑問を公言する勢力が現れ、何がドイツをまとめるのかがより問われるようになった。若者が特定の主張に惑わされないよう、多様な意見が平和的に表明される意義を教えることが、とても大切になっている」
そこからナチズムの教訓を上書きする何かが生まれるのかは見えないが、ロットマンは「ナショナリズムを克服する教育です」と語った。
■朝日新聞社の言論サイト「論座」での藤田編集委員の連載記事「ナショナリズム 日本とは何か」