仁川(インチョン)といえば、日本では空港を思い浮かべる人が多いだろう。仁川国際空港もあるが、横浜や神戸のような港町として、いち早く海外からの文化が入ってきた場所でもある。横浜や神戸のように、仁川にもチャイナタウンがあり、映画やドラマのロケ地としても人気だ。
私が最初に仁川にチャイナタウンがあると知ったのは、映画「ヨコヅナ・マドンナ」(2006)を通してだった。この映画には、主人公の高校生ドング(リュ・ドックァン)が憧れる日本語の先生の役で、草彅剛も出演している。
ドングは心は女の子だが、体は男の子。性転換手術をして「本物の女の子」になるのが夢だ。その手術費を稼ぐため、シルム(韓国の相撲)で賞金をとろうと奮闘する映画だ。
映画の冒頭、ドングは親友の家族が営む中華料理店で、真っ赤なチャイナドレスを着て鏡をのぞき込む。好きな服を着てうれしい反面、思い描く自分の姿ではない。そのドングのもどかしい心情が、どこか哀愁漂う中華料理店の雰囲気とぴったりだった。
それ以来、仁川のチャイナタウンに行きたいと思っていたものの、実際に最初に行ったのは2015年。その頃にはすでに賑やかな観光地と化していた。
今回、仁川ロケ地めぐりの機会を得て、初めて「ヨコヅナ・マドンナ」が撮影された中華料理店「豊美(プンミ)」を訪ねた。
アポなしだったが、「まあ、座って」と、温かく迎えてくれたのはチョ・ジミ社長。「ヨコヅナ・マドンナ」のみならず、数々の映画やドラマの撮影が行われ、「どれがどれだったか分からなくなるほど」。豊美は、チャイナタウンの数ある中華料理店の中でも創業60年を超える老舗だ。最近の洗練されたインテリアの店とは違った昔ながらの雰囲気が、撮影の多い理由だろう。「お客さんの多くは常連。観光客はドアを開けて中の雰囲気を見てそのまま帰ることもある」と笑う。
冬季限定のカキチャンポンと、ニラ炒めをいただいた。常連にサービスで出すというパンもつけてくれた。どれも家庭的な味。韓国でチャンポンといえば、普通は赤いスープだが、豊美のカキチャンポンは日本で食べるような白いスープ。カキと野菜の旨みがたっぷり出たスープを夢中になって飲み干した。
哀愁漂うのには、理由があった。「80年代までは華僑にとって厳しい時代だった」と言う。土地所有の制限など、華僑にとって厳しい政策がとられたためだ。その頃華僑は中国へ戻ったり、他の海外へ移住したりして、仁川のチャイナタウンも寂れていった。華僑のチョ・ジミ社長の夫も、新婚早々、日本へ出稼ぎに出たという。「豊美は、こんなパンを売ってなんとかしのいだ」と言うのが、サービスで出たパン。形はいびつだが、揚げたり蒸したりして熱々のうちに食べるととってもおいしい。これこそ看板メニューになりそうだが、商売っ気がないのも豊美の魅力だ。
1988年のソウルオリンピックをきっかけに高級ホテルなどで中華料理のシェフの需要が高まり、韓国を離れていた華僑がまた戻り始めた。チャイナタウンも豊美も活気を取り戻したのは90年代だという。
チャイナタウンから坂を上っていくと、「仁川自由公園」に出る。ここは、ダグラス・マッカーサーの像があることで知られる。日本ではマッカーサーといえば、連合国軍総司令部(GHQ)のトップとして戦後日本の統治にあたったことで知られるが、韓国では朝鮮戦争(1950~1953)の「仁川上陸作戦」を指揮した英雄だ。それまで北朝鮮側が優勢だったのを、この作戦で戦況を一変させ、ソウルを奪還した。
「ヨコヅナ・マドンナ」では、マッカーサー像を背景に、ドングと親友が夢を語る。親友の夢は日替わりのようにころころ変わる。一方でドングの夢は一つ。女の子になることだ。小高い仁川自由公園からは、海が見える。眺めていると、どこか遠くへ行けそうな気持ちになる。ドングにとっても現実逃避の場だったかもしれない。
今回訪れたのは、旧正月の連休前。春節の様々な飾りつけが進んでいた。それが、数日前、新型コロナウイルスの影響でチャイナタウンもガラガラになっている様子がニュースで流れた。過去の苦労話を聞かせてくれたチョ・ジミ社長の顔が浮かんだ。コロナ事態が収まり、再びチャイナタウンにも人出が戻ることを願いたい。