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ラグビーW杯優勝、南アフリカの歓喜の中に見た貧困と格差

アフリカを旅する
ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会決勝でイングランドを下して優勝した南アフリカのコリシ主将(中央)と選手たち =ロイター

イングランドとの決勝戦があった2日、私は南アフリカ最大都市ヨハネスブルクから、南部の都市ポートエリザベスの空港に着いた。地元紙を買おうと立ち寄った売店では、店員と客が目前に迫った決勝戦のスコア予想で盛り上がっていた。

この街を取材先に選んだのには理由がある。支局があるヨハネスブルクや大統領府があるプレトリアなどは、「白人はラグビー」、「黒人はサッカー」と考える人が多く、取材対象に偏りが出る恐れがあった。南アフリカ代表が準々決勝で日本代表と対戦した際も、ヨハネスブルクの有料のパブリックビューイング会場では、客の大半が白人だった。

ラグビー・ワールドカップの準々決勝で日本と対戦した南アフリカの代表チームを応援するファンら=10月20日、南アフリカのヨハネスブルク、石原孝撮影

そもそも、今回のW杯の放送は当初、有料のケーブルテレビを契約していなければ見られなかった。生活苦にあえぐ黒人の大半は契約できず、バーなどに出向く必要があったが、開催国である日本との時差の関係で開店していない店も多かった。

ポートエリザベスの空港から配車アプリ「Uber」を利用して、コリシ主将が生まれ育った故郷ズウィデまでは30分ほどだった。この地区には、トタン屋根とれんがでできた民家が軒を並べ、ポリ袋が至るところに散乱していた。ティーシャツにハーフパンツ、サンダル姿の子どもたちが多く、午前中にもかかわらず、酒に酔って目の焦点が合っていない男性もいた。

国の失業率が30%近くに上り、経済低迷が続く南アフリカだが、白人政権によるアパルトヘイト政策が続いた時代に設置されたこうした旧黒人居住区(タウンシップ)の失業率や生活苦は、それをはるかに上回る。

コリシ選手は、アパルトヘイト政策の関連法が廃止された1991年に生まれた。両親に満足な仕事はなく、食事を食べられない日も多かった。2007年のW杯で、南アフリカ代表が2度目の優勝を決めた時、16歳だった彼は自宅近くのタベルン(居酒屋)に出向き、試合を観戦した。自宅にテレビが置いてなかったからだ。

南アフリカ代表のシヤ・コリシ主将が2007年のラグビー・ワールドカップを観戦したというタベルン(居酒屋)でも、大勢のファンが試合を観戦していた=11月2日、南アフリカのズウィデ、石原孝撮影

ズウィデに住む人々や同じような境遇の人にとって、貧困家庭で育ったコリシ選手は、実力で夢をつかんだ「英雄」であり、「希望の星」だ。特設のパブリックビューイング会場には、地元の子どもたちや恩師ら約2千人が集まった。ほぼ全員が黒人で、黄色人種の私は完全に浮いていた。

試合中、スクリーンに彼が映し出されるたび、観衆は大きな歓声をあげた。地元チーム「アフリカンボンバーズ」で幼少期のコリシ選手を指導したエリック・ソングウィーキさんは「他の子に比べて、体格は決して恵まれていなかった。ただ、活発で真面目に練習に取り組み、12歳の頃に名門校にスカウトされたんだ」と振り返った。10代で母親を亡くしたものの、白人が多く通う高校でラグビーを続け、苦手だった英語も必死に勉強して徐々に頭角を現すようになった。

南アフリカ代表が優勝を決めた後、故郷の人々は「シヤ、シヤ!」と連呼し、独特のリズムで体をくねらせる踊りを見せた。アフリカンボンバーズでプレーするバトベル・セカニ君(14)は「コリシ選手と同じ場所で生まれてうれしい。将来は彼のように代表選手になりたい」と目を輝かせた。ソングウィーキさんも「彼は私の誇り。本当に幸せだ」と喜びをかみしめた。取材していた私も、思わず胸が熱くなった。

ラグビー・ワールドカップ決勝で、南アフリカ代表がトライを決め、喜ぶ子どもたち=11月2日、南アフリカのズウィデ、石原孝撮影

ちょっとした事件があったのは、取材を終えてホテルに向かおうとした時だった。迎えに来たUberの車の助手席に乗り、会場の外に出た直後、地元の若者たちが突然ドアを開けてきて、私の携帯電話を盗もうとしてきたのだ。男性運転手(26)が機転を利かしてドアが開いたまま車を急発進し、道路の反対車線を走行しながら何とか難を逃れたが、歓喜の瞬間に酔いしれた浮かれ気分は、一気に吹き飛んでしまった。

運転手は「これがこの国の現実さ。経済は低迷し、仕事がない人も多いから、犯罪に手を染める人もいる。君のような外国人なら格好の標的になる。だけど、全員が悪人ではないことは分かって欲しい」と話してきた。

私が南アフリカで暮らし始めたのは2年ほど前。人口の1割ほどの白人が土地の7割を保有する格差は続き、黒人との年収の差も歴然としている。ただ、快適な気候と豊かな自然や動物など、この国の良いところも何度も見てきた。

私は運転手に向かって、「ほとんどの人がフレンドリーだと知っているから大丈夫だよ」と返した後、「格差がもう少し解消し、治安が良くなれば、南アフリカは本当に最高の国だと思う」と続けた。運転手は「優勝した今日くらいは、嫌なことは考えずに喜ぼうじゃないか」と言った。そして、「この後、地元の人気サッカーチーム同士の試合があるんだ」と話題を変えた。本音では、ラグビーよりもサッカーの方が好きなのだろう。

ラグビー・ワールドカップで南アフリカ代表が優勝を決めた後、シヤ・コリシ主将の写真を掲げて喜ぶ故郷の人々=11月2日、南アフリカのズウィデ、石原孝撮影

コリシ選手は試合後、「母国は多くの問題を抱えている。でも、環境や人種は違っても、(優勝という)目標に向かって一つになれた。私たちは団結すれば、何だってできるんだ」と訴えた。5日に帰国した際には、記者会見で子どもたちへのメッセージを求められると、「子どもたちは(貧困などで)大変な状況にあるが、チャンスさえあれば何だって乗り切れると思う。私も幼い時は、チャンスがいつ来てもいいように毎日のように練習に励み、奨学金をもらうことができた。最も大事なのは、『お前には無理だ』と言う人の言葉を聞かないことだ。夢を持ち続けること、信じ続けること、そして前に進み続けて欲しい」と呼びかけた。

 貧困や格差の解消は、大きな課題として今も残っている。ただ、7日から実施された優勝パレードには、白人、黒人に関係なく、大勢のファンが沿道に集まった。 かつてネルソン・マンデラ元大統領がラグビーを通して国民の融和を求めた ように、 コリシ選手の言葉はしっかりと人々の心に響いただろう。

南アフリカのプレトリアで7日、大勢のファンが沿道に詰めかける中、ラグビー・ワールドカップの優勝パレードを実施する南ア代表の選手たち=レフロゴノロ・モコテディ撮影