■eモータースポーツとリアルのスポーツカーが融合
自動車レース最高峰F1の元世界チャンピオン、フェルナンド・アロンソが車の操縦をしている様子が画面に映った。画面の上では、ナビのコースを車が走る。右下のデジタルメーターあたりを見れば、ギアが5速でエンジン回転数は約5500、時速約170キロでハンドルをやや右に曲げて走っていると分かる。
トヨタが5月に発売したスポーツカー「スープラ」。17年ぶりに復活した「伝説の車」の目玉の一つが、エンジンやハンドル、ブレーキなどのセンサーから集めた情報を記録する「TOYOTA GAZOO Racing Recorder」。サーキットでの走行データを記録し、タブレットPCの画面で走りを再現できる上に、別に録画した映像と合わせて見ることもできる。冒頭の場面は、アロンソが富士スピードウェイをスープラで疾走したときの記録だ。
すでにレースの世界では知られたシステムだが、車好きのレベルでも、これまで経験や勘に頼りがちだった運転技術が可視化されることになる。たとえば、プロのレーサーの走行データと比較し、ブレーキを踏む位置や走行ラインなどの運転技術のほか、車のチューニング方法などの参考にもできる。
スープラの開発責任者である多田哲哉は9月上旬、トヨタが車ファンが集う場として展開している「GR Garage」の東京都江東区でのオープニングイベントに登場。「スマホはアプリを入れると、どんどん楽しい機能になっていく。あんな世界がもうすぐ来る。スープラ用のいろんなアプリをダウンロードすると、みなさんのスープラがどんどん進化する」と述べて会場をわかせた。
多様な楽しみ方の中でも、多田が注目しているのがeモータースポーツだ。発売に当たり、トヨタはスープラだけで競うワンメイクレースを検討した。だが、「時代はeスポーツだ」と、ソニー・プレイステーション(PS)4の人気ゲーム「グランツーリスモSPORT」の中で、eレースのワンメイクを始めることを選んだ。ゲームと言っても、速度や曲がり方、ブレーキの利き具合など実車の走行をほぼ再現している。
その狙いはあたり、世界で約59万人以上がゲームの中でスープラを購入し、約2万8000人がレースに参加するほどの人気となった。ここに、リアルタイムでスープラがサーキットを走行しているデータを送信できれば、「ゲームのeレースとリアルなレースが融合する」(多田)ことも夢物語ではない。
グランツーリスモのeレース全体でも、いまや約700万人が参加し、FIA(国際自動車連盟)公認の選手権が開かれているほど盛況だ。トヨタのほか、メルセデス・ベンツやBMW、アストンマーティンなど世界の主要メーカーも参戦。優秀な成績をおさめたプレーヤーとメーカーは、年末にF1と同列で表彰される。興味深いのは、優秀なプレーヤーは実車で走っても速いことだ。多田は彼らの意見を、リアルのスープラの改善に役立てたいとまで評価する。「eレースのドライバーも、チーム・スープラの開発メンバーの一人になる」
■草の根のモータースポーツを先進技術で応援
実は「GAZOO」は、社長の豊田章男が立ち上げ当初から情熱を注いできたプロジェクト。「画像」と「動物園」を組み合わせた造語で、もともとはトヨタ系販売店を悩ませていた在庫の中古車を売るためのサイトだった。トヨタ車以外の車やモータースポーツ、ドライブなどの情報も掲載するようになり、車好きが集まるサイトに育てた。
さらに豊田は「モリゾウ」の名前でレースにも挑戦する。社長の「道楽」で語られることもあるレース参戦だが、かつて「運転の技能が上がると今まで見えなかった景色が見えてきたり、車との新たな会話が始まったりする」と話していた。自らの口癖である「いいクルマ」をつくるため、自らの運転技能を上げる狙いもあった。
トレーニングを重ね、世界屈指の難コースと言われるドイツ・ニュルブルクリンクの24時間レースにトヨタの社員らと参戦するほどの腕前になった。スープラも自らの運転でもテストした。そんな豊田のレース活動を支えたチームが発展して誕生したのが「GAZOO Racing」。いまやトヨタのモータースポーツを担うだけでなく、トヨタ車をベースとしたスポーツカーの開発も手がける存在になった。
GAZOOの理念を象徴する取り組みの一つが、全国のサーキットで開かれている「Driving Experience」だ。「クルマの楽しさを体験しよう」「スポーツドライビングを楽しもう」「レースを楽しもう」など五つのプログラムがあり、それぞれのレベルに応じて基本操作からサーキットの走り方などを学ぶ。受講者の声を聞こうと、8月下旬に北海道の十勝スピードウェイで開かれたプログラム2の「サーキットの楽しさを体験しよう」に参加した。
レッスンが始まる前、駐車場を見て驚いた。20人近い参加者の車はトヨタが少なく、メルセデス・ベンツやアウディ、ロータスなどの外車や、スバルや三菱、マツダなど国産のスポーティーカーが多かった。こういったイベントをするメーカーはほかにもあるが、自社の車が少数派というのは聞いたことがない。だが、GAZOOの担当者は「門戸を広げるのがイベントの狙い。参加者に楽しんでもらえればいい」と意に介さない様子だ。
ドライビングの姿勢や走行時の注意点などを講習で学んだ後、いよいよ走行だ。まずはエンジン全開で加速する練習。普段はアクセルペダルをいっぱいまで踏むことはないので、「車の実力を知る」のが目的だ。ヘルメットをかぶり、グローブをつけて全力で加速する。エンジンの回転数が7000を過ぎると、急に下がった。レッドゾーンに達するとエンジンが壊れる危険があるため、いまの車は燃料噴射をカットし、エンジンを守る仕組みが搭載されている。
プロレーサーの同乗走行でサーキットを走った後、今度はアクセルペダルをリズムよく踏み、スラロームを右に左に曲がるトレーニング。最後はブレーキを強く踏んで止まる。国内で最も人気が高いレース「スーパーGT」に参戦する井口卓人が「最後のブレーキは、ABSが利くまで思いっきりペダルを踏もう」とアドバイスする。
ABSはアンチロック・ブレーキ・システムの略。普通のブレーキは思い切り踏むとタイヤが回らない「ロック」状態となり、車をコントロールできなくなる。ABSがあれば、急ブレーキのときでも、ブレーキの力を制御して少しずつタイヤを回すので、車をコントロールできる。全速で加速した後、思いっきりブレーキを踏んだ。ガッガッガッとABSが作動する音が鳴る。車は何事もなく、まっすぐに止まった。車の能力を限界近くまで使うことで、エンジンもブレーキも、安全技術によって守られていることを知ることができた。
昼食時、井口がトヨタのスポーツカー「86(ハチロク)」について興味深い話を教えてくれた。「86のワンメイクレースでは、『VSC』を使っているドライバーがいる」。VSCとは横滑り防止装置。他社ではESPやVDC、VSAなどとも呼ばれる。カーブで車がコントロールを失いそうになると、きちんと曲がるように、自動でブレーキやエンジンを制御する。ただ、上級ドライバーの限界領域での操作に比べれば速度が遅くなるので、レースでは使わないのが普通だ。
井口によると、トヨタはニュルブルクリンクなどでテストを重ね、VSCのスポーツ走行用のモードを開発したのだという。つまりVSCがレーサーのアクセルやブレーキ操作をマスターしたことになる。自動運転などの技術を車の楽しみに利用するという、トヨタの本気度を示した例とも言える。このモードは、86の後期モデルに導入され、新型スープラにも搭載されている。もちろん通常のVSCの設定もあるので、普段の走行ではこちらを使ってほしいという。
午後はレーサーの先導でサーキットを走行。最後は講師の運転する車に同乗した。私が乗ったのは、450馬力を超えるモンスターマシンのレクサスGS F。ドライバーは、十勝スピードウェイで走行会などを主催する地元レーサーの光内宏樹だ。ものすごい勢いで加速し、ストレートでは時速200キロを超えた。カーブではタイヤが鳴り、気持ち悪くなりそうなほどの横Gを感じる。思わず、「これってノーマルですか」と聞くと、光内は「車はフルノーマルで、電子制御を切っている」。最後に「何割ぐらいの力で走ったんですか」と尋ねると、「6割。100%の安全マージンをとっている」と答えた。
意外に思うかもしれないが、車の能力をここまで引き出すには、ハンドルやペダルを丁寧に操作する必要がある。サーキット走行を経験後、普段の運転は丁寧になったという人は少なくない。
フェラーリに乗る小川健太(48)は「前回、すごく勉強になったのに、最近は運転がいい加減になっていた」と2回目の参加。「1速、2速で加速する感じがわかった。楽しかったので、また参加したい。トヨタさんは太っ腹だね」と満足した様子。トヨタの小型車ヴィッツで参加した名越基博(50)も「基本に忠実な運転が大切だとわかった。本当に奥が深い」と笑顔だった。車の限界時の動きを知ると、緊急事態にとっさに的確な操作ができる可能性が高まるので、事故防止など安全面にも役立つという。
影山正彦のように海外の大きなレースで活躍するトップレーサーの運転を間近で見たり、一緒に昼食をとったりできるのも魅力。まさにコアな車ファンを楽しませるイベントだった。
豊田は2012年、トヨタにとって久々のスポーツカーである86を発表した際、草の根のモータースポーツを支援する考えを強調していた。09年でF1から撤退したトヨタには厳しい視線もあったが、その後、レースに出場するだけでなく、積極的に車関係の様々なイベントにも登場。他社の車でさえ楽しそうに運転し、日本の自動車業界で数少ない「スター」となった。
スポーツカーや車の楽しみへの思いについて、トヨタのサイトで、こうも語っている。「アメリカで1500万頭の馬が、1500万台の車に変わっています。ところが、馬を楽しむ方々のための馬は残っているんですよ。そう考えると、自動運転などでクルマがいわばコモディティ化した時代において、必ず残るクルマは、Fun to Driveですよ」(つづく)
連載「くるま新世紀 デジタル時代の開発最前線」
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- 自動運転、日本が世界で戦うために必要なこと(10月25日)