今回は私のようなイギリスの医師、GPについてお話しします。
イギリス、GP、と見ると、日本ではF1のイギリスグランプリをイメージされる人の方が多いかもしれませんが、第1回でも少し触れましたが、GPというのは「General Practitioner(ジェネラル・プラクティショナー)」の略で、イギリスでは俗に「ジーピー」として知られる医師のことです。
Generalは「総合的な」、Practitionerは「専門的な業務に従事する人」という意味で、簡単に言えば「総合的に診る医師」となります。また、GPが専門とする診療科を「General Practice(ジェネラル・プラクティス)」と言います。
けれども、このGPという言葉を正確に日本語に訳そうとすると少しばかり厄介です。理由は2つあります。
GPというのは、小児科や整形外科といったように特定の診療科を専門とする医師を表す名称であるため、これを正しく日本語として命名するには、まずその診療科の中身を十分に理解することが欠かせません。しかし、それは専門的なことであるために非専門家にとっては難しいというのが1つ目の理由です。
2つ目の理由は、その専門性が時代とともに変化してきているために日本語訳も変化してきている点です。
日本ではこうした事実が殆ど知られておらず、間違った訳が散見されます。間違った情報を間違っていることに気づかずに発信していたり、正しい情報を流す人がいなかったりすることによってこうした誤訳が広がっていると考えられます。
例えば、よくある日本語訳に「開業医」というものがありますが、GPという名称は医師の勤務形態に着目したものではありません。また、「一般医」という訳もよく見られますが、これは中立性が欠ける訳であると同時に、GPの専門性が変化する前の訳でもあります。どちらも誤解を招く恐れのあるミスリーディングな表現です。
それでは、どういった訳がより適切なのかについて、GPの専門性がどのように変化してきたかと共に説明します。
イギリスの公的保健医療制度(National Health Service)が始まった1948年から1980年代にかけて、GPは診療所や中小病院などで臓器や疾患にとらわれず地域住民のニーズに幅広く応える医療を行っていました。しかし、そうした医師の専門性は当時確立されておらず、医学部を卒業して数年の若手医師や領域別の専門教育の途中で開業を志した医師など、基本医師で初期研修を修了していれば誰でもGPとして働くことができました。
この時代のGPのことを日本では単純に直訳して「一般医」と訳されていることがあります。しかし、その仕事の特性を考えるに、日本で同じような特性を持つ医師を日本語では「総合医」と表現するのがより一般的ですから、中立性を保つのであれば「総合医」となります。
また、この時代の後、GPの専門性が変わってくる関係上、この訳は時代遅れなものともなります。
1980年代に入ると、GPとしての専門性が認知され、初期研修の後、3年間のGP専門研修が必要となりました。欧州では、GPの専門研修を修了した医師を学術的に「Family Doctor」 と定義しています。よって、これ以降のGP の日本語訳は「家庭医」となります。家族を診るから家庭医というロジックをしばしば見かけますが、実はそれも正しくありません。もちろん、家族を診るという視点は家庭医にとって重要ですが、家庭医であるということはそれによって定義されるわけではないからです。家庭医については、第9回で簡単に説明しました。
さらに、2000 年代に入ると、新しいGP専門研修と専門医試験が導入され、それ以降はこの両方をクリアし、「Specialist in Family Medicine(家庭医療専門医)」と呼ばれる専門医になることで初めてGPとしての診療が許されるようになりました。よって現在、GPになるには医学部卒業後、初期研修2年、専門研修3年の最短でも5年間の研修修了と専門医資格取得を必要とします。私自身このキャリアパスを進んできました。
したがって、現在のイギリスのGP集団は家庭医と家庭医療専門医のミックスになります。私たちの親元である学会、Royal College of General Practitionersの会員になるには基本、家庭医療専門医の資格が必要になります。一昔前は学会費さえ払えば医師なら誰でも入会することができましたが、もはや総合医や家庭医であっても、この資格がなければ入会できません。現在、会員数5万人以上を有する医学系としてはイギリス最大の学術団体です。また、この資格は、イギリス国内だけではなく、国外の多くの国でも通用する国際資格となっています。
イギリスでは私のようにGPを目指す医師が多く存在します。けれども、医師なら誰でも望めばGPとしての専門トレーニングを受けられるわけではありません。Health Education Englandによる昨年度の専門(後期)研修プログラムへの応募状況を見ると、国内で3763存在するGP研修枠にその上限を超える4987人からの応募がありました。GP専攻医になるには、筆記試験や模擬患者面接などそのための選抜過程を乗り越える必要があるのです。
また、その年に用意された専門研修枠は全診療科で8778でしたので、GP枠が全体の43%を占める結果となりました。
ここからはGPの勤務状況や待遇などについてお話しします。
第11回で説明した通り、GPは民間という立場上、労働時間は人それぞれです。GPを対象にアンケート調査を継続的に行っているマンチェスター大学の最近の統計を見ると、週3.5日勤務、42時間労働が平均となっています。夜勤・週末勤務なしが一般的です。
NHS Digitalの統計によると、GPとして一般的な働き方である私のような開業医の平均年収は11万3400ポンドとなっています。
有給休暇に関する公式な統計は把握していませんが、私が知る限りでは最低年6週間が一般的で通常、休暇消化率100%を前提に勤務表が組まれています。
また、GPの年金に関しては、保健省の資料によると、平均年4万4000ポンド(領域別専門医:4万ポンド)となっています。退職金はその3倍分が一般的です。数年前の年金制度の変化によって一定以上の年金を納めるとそれ以上は税がかかるようになってしまったことにより、労働時間を減らしたり、早期退職するGPや領域別専門医が多く出てしまいました。以前は退職時の平均年齢は60歳でしたが、最近では58歳に。ただでさえ医師不足の中、これがさらに拍車をかけており、医師団体は政府に改善を強く訴えています。
では、英国民はGPをどう思っているのでしょうか。
信頼度職種ランキングを継続的に発表している世論調査会社YouGovの最近のデータによると、GP、学校の先生、BBCジャーナリスト、国会議員などの職種を対象に「本当のことを言っている、とどの程度信頼できますか」という問いに対し、85%の回答者がGPに対して「すごく信頼できる」もしくは「かなり信頼できる」を選択しました。学校の先生は同統計が75%、BBCジャーナリストが51%、国会議員は18%であり、これは対象となる職種の中で最も高い数値です。この調査が始まった2003 年以降、同調査が20回以上行われてきた中、GPは最も信頼される職種として継続的に選ばれています。
また、診療所の利用者を対象に定期的に行われる患者体験(Patient Experience: PX)調査GP Patient Surveyの最近の結果によると、診療所が提供するサービスの総合的な体験に対して「すごく良い」もしくは「良い」と答えた回答者は83%でした。この調査が始まった2007年以降、同統計は80-90%台で推移しています。
以上、イギリスのGPに関する情報をお伝えしました。これを機に、イギリスのGPについてのより正しい理解が広まればいいなと思っています。
次回からはNHSについてさらに踏み込んでいきます。