1. HOME
  2. LifeStyle
  3. 夢は特派員、気づけば33歳 ふと検索「子連れ」「海外」

夢は特派員、気づけば33歳 ふと検索「子連れ」「海外」

育休ママの挑戦~赤ちゃん連れ留学体験記~
生後1カ月経たないルール-(右)と「遊ぼんでいる」つもりの1歳3カ月のシンシン。ふにゃふにゃの新生児のうえにもろ乗りかかってくる。や、やめてーーーと言わんばかりにルールーは泣き出す=今村優莉撮影

前回までのお話→金正恩・トランプ会談を横目に授乳「私はまたひきこもり」

2006年に朝日新聞に入社した私は、さいたま総局、宮崎総局、社会部などを渡り歩きながら「いつかは海外特派員になりたい」という希望をずっと出していた。異動希望が叶ったとき、わたしは33歳になっていた。優先順位は「海外で働くこと」よりも「子どもが欲しい」に変わっていた。

ところが、シンシン出産後、復職しないままルール-を妊娠・出産した時、脳裏をよぎったのは、将来仕事にスムーズに復帰できるのか、ということだった。翌春(つまり、今春のことだ)に復帰するとして、シンシンの時と合わせると、一気に計2年4ケ月職場を離れることになる。子育てにどっぷり浸かれるが、同時に、2年以上も職場を離れた自分が、果たして元の職場に戻れるのか。戻ったとして「戦力」となるのか。

知っているママ記者の署名記事を見ると、仕事も育児も両立している同僚がまばゆく見えた。世の中にあふれる女性雑誌には両立の秘訣とか、手抜きのコツ、などと言った仕事と育児を両立している人たちの特集にあふれていた(ように見えた)。

乳幼児が2人いると、1日に計30枚近くの紙オムツを消費する。常に箱買いしてストック。サイズも2人で微妙に違うため、新生児用~Sサイズ(弟)、Mサイズ(兄)をそれぞれ3パックくらいおいてあった=今村優莉撮影

かたや私は、目の前の、小さな生き物と格闘するのに必死で常に迷路にいるような状態だ。虐待のニュースを見ると、「いつか私も手をあげてしまうのではないか」と恐怖にも似た気持ちを抱いた。手を出す衝動に駆られるくらいなら、とぎゃん泣きする我が子を15分ほど寝室に放置したこともある。騒音苦情で110番通報され、警察官が来たこともあった。窓をなるべく閉め切った。それでも、虐待の疑いがあると近隣に疑われたのか、児童相談所にまで通報された。面会に来た職員は同情を示してくれ、虐待疑惑も晴れたが、母親として自信をなくした。

家にこもりっぱなしにならない(=子どもが近隣の騒音にならない)ようにと、外出はなるべくしていた。ママ友には恵まれた。ただ、一緒に食事をすると、当然子どもの話が中心になった。わたしの周りには、偶然にも男児を持つママが多かった。自然とテーマは「おっぱい」「うんち」「おしっこ」「おちんちん」になった。ママ友との会話は息抜きもできて楽しかったが、ふと「こんな会話をいつまで続けるのか」という気持ちになった。1人、2人、と職場復帰していくと、おいて行かれた感じもあった。

会社の同僚に誘われ、元の職場の夜の飲み会に子連れで行ったこともある。夜の新橋でベビーカーを押していると、赤ら顔のおじさんに「お母さんがなーにやってんだよ。赤ちゃんがかわいそうやろ!」と怒鳴られた。あんたの子じゃないからほっとけ!と小さく毒づくも、電車では周囲の視線が痛いほど気になり、なるべく小さく身構えた。「わたしは『自分が迷惑かけている』ことを知っていますオーラ」を出すようにしていた。

「泣き声がやまない」と通報を受けた児童相談所職員から面会を求める手紙。不在の時に来たらしく、ポストに直接投函されていた。近隣住民に虐待を疑われたのかと思い、がっくりきた=今村優莉撮影

……あれ。こんなはずじゃなかった。

私はお母さんになっても堂々と子どもと電車にのるぞ。赤ちゃんが泣くのは仕事だ。それが怖くて家にこもるなんて私はしないぞ。精いっぱいママ生活を楽しむぞ――。出産前にそう思っていた私は、どこかに吹っ飛んでいた。そういや最近、笑ってない、わたし。世の中に大事にされていない感がハンパなかった。

日本を出よう。子どもと一緒に、ファミリーフレンドリーな外国に行ってしまおう。そう思った。

実は、ルール-を妊娠していた時に、すでに私にはぼんやりと子連れで日本以外の国で過ごしてみたいという考えがあった。ハワイに住んでいた親戚を頼ろうとしたことがきっかけだ。だが、その親戚がドイツに転勤することになり、断念。それでも、一度浮かんだ野望はなかなか消えず、「子連れ」「海外」などとネットで検索した。

「親子留学」という文字が飛び込んできた。「これだ!」と思った。

*親子留学といっても子どもの年齢制限があるなど、種類はいろいろ。次回は私が調べた結果をお伝えします。