シンガポール出張の帰路。フェリーを使って1~2時間で行けるというので、インドネシアのビンタン島に足を伸ばした。手数料込みで43.33シンガポールドル(約3400円)のエコノミー席と、比較的リーズナブルな島東部の宿を予約して向かう。
シンガポール中心部から東に車で1時間ほど。フェリー乗り場は、大勢の乗客でごった返していた。半袖に半パン姿の人が多い。売店にはカラフルな水着があふれ、ゴルフクラブまで売られている。ビンタン島に行く人のほとんどが、リゾート目的のようだ。
インドネシアには2万人近い日本人が暮らす。このうち半数以上は首都ジャカルタに住んでいる。ビンタン島の在住者はほとんどいない。観光ガイドの佐々木郁美(IKUMI)さん(40)は、その1人だ。
日没前に落ち合い、IKUMIさんの運転する車で、ホタル鑑賞ツアーのボートが出る船着き場に移った。島東部のカワル村。IKUMIさんは2009年に島に移住し、子供たちが産まれて中心街に移るまで、ここで暮らしていた。今はスタッフが寝泊まりしている船着き場の小屋は、インドネシア人の夫による手作りだ。森に行って堅い古木を切って重ね、ココナツの葉で屋根を作った。日本の日曜大工のレベルを、はるかに超えている。
救命胴衣を着けて待っていると、小屋の廊下を長男セムさん(8)と長女コランさん(6)が、走り回って遊んでいた。私たちが乗るボートは、サンセットツアーを終えて戻ってきた。「白い歯だけ見えるのが、主人です」。IKUMIさんがそう紹介してくれた、アムリサ・ラブラ(リザール)さん(37)。船を寄せると、「コンバンワー」と、にっこり笑った。
この夜のホタル鑑賞ツアーの参加者は10人ほどだった。「それでは、クロコダイルを見に行きましょう!」。リザールさんは、なめらかな英語で冗談を飛ばしながら、慣れた手つきで船を出した。
最初に、水上生活をする集落を案内してくれた。住民の9割が漁師で、浮きを付けたやぐらに小屋を乗せた「ケロン」と呼ばれる家で暮らしている。半年前まで電気が発電機という地区もあり、風呂は雨水、火も巻を使う人が少なくないという。
いつの間にか、日は沈み、あたりは真っ暗だ。ボートはモーター音を響かせながら、きびすを返して、今度はマングローブの木々が茂る川をゆっくりと進んでいった。
同じように客を乗せた船とすれ違った。ビンタン島の観光人気が高まり、最近、中国人向けの観光船がここで運航を始めたという。高級リゾート地として知られる島北部より、この東部は川幅が狭いが、明かりが少なく、ホタルがよく光る。
目当てのホタルは、すぐに現れた。1匹、また1匹……。その姿を消さないようにと、ボートでは小さな歓声がわく。モーターが切られ、静寂のなか、ホタルは近くを飛び交った。ボートはゆらゆらと揺れ、撮影するのは難しい。みんなカメラをしまい、声をひそめて、その様子を愛おしそうに見守った。
少し進むと、今度は木がキラキラと輝いていていた。数十匹のホタルが数秒ごとに、入れ替わるようにチカチカと、明かりを照らす。
「まるでクリスマスツリーみたいでしょう!」
リザールさんの弾む声に、他のツアー客も我が意を得たり、という感じだ。そのイルミネーションに見とれた。
日本でホタルに出会えるのは、初夏のわずかなひとときだ。ビンタン島では1年中、鑑賞を楽しめる。「毎回、感動します。星だったり、ホタルの数だったりで、見え方が違うので。一緒に来るお客さまも違うので、何回来ても、好きです」。IKUMIさんは、キラキラ光る木と夜空を眺めながら話した。
生まれは青森・北津軽。地元の高校を出て、東京・渋谷の動物病院での勤務を経て、神奈川・鎌倉のウィンドサーフィン店で働いた。
指導のスキルアップのためにと、職場には「ウィンドサーフィン休暇」という制度があった。どこに行っても良いというので、ウィンドサーフィンで有名なビンタン島を初めて訪ねた。
そこで、リゾートホテルのビーチクラブで働いていたリザールさんと出会う。
日本男児にはない、ひかれるところがあった。一度も習ったわけではないのに、ウィンドサーフィンは世界大会に出るほどの腕前。船は手作りするし、ひも一本でイカを釣る。そして、とにかく明るい。
「お金がなくても、この人となら、食べていくのには困らない。生きていく力がある」
そう感じたIKUMIさんは、リザールさんと1年間の遠距離交際をへて、07年に結婚した。それから2年間、鎌倉で一緒に暮らした。
リザールさんは、ウェットスーツの製造工場で働いた。1時間で1着を作らないといけないのに、1人だけ3時間かかる。自宅でも練習したが、「マシンのように働いて、ストレスで自殺しそうになった」
2人は、ビンタン島に戻って始める仕事について話し合った。事業計画というには、ほど遠い。自分たちが気に入った海や川で、お客さんと一緒に遊ぶ。そんな大まかな考えだけを抱いて、島に移った。
最初は数人だけが乗れる小舟で始めた。たまに依頼の電話が鳴ると、バーベキューセットを抱えて、離島の海でシュノーケリングをしながら、日が暮れるまで、客と一緒に遊んだ。
「ノーカスタマー(客)だったから、釣りをして魚を売った。でも、1日に3匹しか釣れないこともあって、どうやって生活するのー?って言っていた」。リザールさんは笑いながら、当時を振り返る。
日本での蓄えが底をつきそうになった移住1年足らずのある夜。暇をもてあました2人は、夜の川に探索に出た。そこで、無数のホタルに迎えられた。村の住民には何ということはない光景。ただ、日本人のIKUMIさんは、そのきらめきに感動した。これは案内できるかもしれない――。
そうしてホタル鑑賞をツアーに加えた後、シンガポールから、20代の日本人女性が1人でやって来た。仕事に嫌気がさしたといい、暗い空気をまとっていた。貸し切りの船で、この女性とシュノーケリングをした後、ホタルを見に出た。満天の星空と、キラキラきらめくホタルをみながら彼女は、こうつぶやいた。「死ぬのは、つまんない」
IKUMIさんは、静かにうなずき、ほっとした。
いまは、子育てで自らガイドに出る機会は減ったが、マングローブの川に入るときは、いつもゆったりとした気持ちになるという。そして、その空間へと客を案内できることが、仕事のやりがいだ。
リザールさんと出会い、結婚したから、海外で働くことになった。訪問と移住では勝手が違い、苦労が無かったわけではない。
インドネシアの親類から「チキン買ってきて」と頼まれて市場に行くと、かごに入った生きた鶏を見せられ、選べなかったことも。移住から半年ほどたつと、実家に毎日電話し、無意識に、すしや焼き肉やの話ばかりしていたという。母親が異変に気づいて一時帰国。ホームシックを癒やして、また島に戻った。
シュノーケリングや蛍観賞のほかに、日中のマングローブツアーやジェットスキー、釣りと、案内メニューも増やしていった。リピーターが次第に生まれ、口コミで評判が広まり、いまはスタッフ3人を雇って、休む間もほとんどなくなった。春と夏には、日本とビンタン島の学生の文化交流にも携わっている。
IKUMIさんに、気負いはない。「働いている感じはしない。好きなことを誰かに教えたい、伝えたいという気持ちが一番。はじめてお客さまを迎えた時も、今も同じ気持ちで迎えている。今のまま、この継続ができたらな、と思う」