アフリカの農業国、マラウイ。北海道と九州を合わせたほどの面積で、最貧国のひとつだ。その中部ウィンベの農村で両親や姉と暮らす少年ウィリアムは、科学への興味が広がり、ラジオの修理・分解も得意。中等学校に進んで夢を膨らませていた。だが入学してまもない2001年、村が大干ばつによる飢饉に見舞われ、農業を営む一家は食うや食わずとなり、学費も払えず、ウィリアムは中等学校の中退を余儀なくされる。
村中が困窮する中、村の族長は、訪れた当時のバキリ・ムルジ大統領(76)の前で演説し救済を訴えるが、たちまち暴力を振るわれ重傷に。飢えによる死者が大勢出て強奪も横行する中、ウィリアムは追い出された中等学校の図書室にこっそり通い、英語の本『エネルギーの利用(Using Energy)』と出会う。英語はほとんど読めなかったが図解を頼りに読み解き、廃品置き場で拾ったファンやパイプなどで手製の風力発電装置を独力で完成。発電と水の汲み上げを実現し、大地の恵みを復活させる。
2006年にマラウイ紙 The Daily Timesに取り上げられ、ブログでも紹介され、2007年にはタンザニアで開かれたスピーチイベント「TED Global」に招かれ登壇。経験を自ら書いた本『風をつかまえた少年』(2009年)は世界でベストセラーになり、2013年には米誌タイムの「世界を変える30人」に選ばれる。ついには、アカデミー作品賞など受賞の映画『それでも夜は明ける』(2013年)に主演した英国出身の俳優キウェテル・イジョフォー(42)が感銘を受けて脚本を書き、初の長編監督にも挑んでウィリアムの父トライウェルも演じた。それが今作だ。
カムクワンバさんは映画について「私の人生をとてもよく映し出していた」としながら、「映画を見て複雑な気分にもなった」と語った。「時に楽しかったけど、非常に厳しいものだった過去をもう一度生きるようなもの。友だちと遊んだり、風車を作ったりといった昔のことは非常にワクワクするものだけど、思い出すのもとても大変な過去を、家族とともに映画でもう一度切り抜けた感じで。ないまぜな気持ちがわき起こった」
一家を含め村全体がそれだけ、死ぬか生きるかの苦難を経験したということだ。
映画で最も憤りを覚えるひとつが、村にやって来た当時のムルジ大統領が、支持者の歓声をよそに族長が窮状を訴えるや、大統領付きの人たちから暴力を受ける場面だ。カムクワンバさんもその場にいたという。「この事件が起きる前、何かが起きそうな予感をみんな感じていた。族長は政府に、村の状況をなんとかするつもりがあるか確認するためにも、状況を話し、だからこそ強く声を上げた。続いて他の人たちも同じように話そうとすると、『それはもう族長が話した』としてブーイングが起きた。でも聴衆は族長に耳を傾けていた。大統領はそれに非常にいら立った様子だった」
族長は壇上からつまみ出され、他の人たちが話している間に殴られたという。「僕自身は族長が殴られるのを見ていないが、族長がいなくなったことにみんな気づき、その間に族長が殴られたと悟った」
程度は大きく違うとはいえ、日本も7月の参院選の公示期間中に札幌や大津で、安倍首相の街頭演説に批判のヤジを飛ばした市民が警官に排除されたり囲まれたりして物議を醸した。政権批判を自由に言えない状況は、いろんな形をとりながら世界中で起きてきた。
カムクワンバさん自身は干ばつをめぐっては言葉数が少なめだったが、科学への関心を高めて遊んだ少年時代について聞くと饒舌になった。
「僕は何かの仕組みを解き明かすのがいつも好きで、好奇心が旺盛だった。何か新しいものを見つけるたび、どうやって動いているか知りたくなった。小さい頃によく、『車はどうやって動くの?』『ガソリンとエンジンでどうやって、運転できるようになるの?』と聞いて回ったのを覚えている。4〜6歳の頃からラジオに興味を持ち、最初は中に小さな人たちがいてしゃべっているものだと思って、『こんにちは』と話しかけたりもしたくらいだった。何マイルも離れた場所にラジオ局があると知り、魅了された。どうなってるの? どうやって動くの? そうした好奇心が科学への興味を突き動かした」
10歳になる頃にはラジオを分解して遊んだりもしたという。「ラジオのモーターをバッテリーにつなげて、磁石とともに回転させたりした。とても楽しかったよ」。壊れたラジオの修理を近所の人たちから請け負ったりするようにもなったという。
当時の村では、呪術の力がなお信じられていたという。「子どもの頃、呪術は社会で大きな位置を占めていた。僕が科学を解き明かすのも、呪術を身につけるような感覚だった。紙の下に磁石を敷いて、紙の上のものを動かして友だちを驚かせては、種明かしをした」とカムクワンバさんは言う。
当時のマラウイでは8年制の初等学校を終えると、4年制の中等学校に進むが、当時、中等学校の学費は有償。だから学費が払えず退学になったのだが、村にネットもない中、唯一の学び場は図書室だった。映画にも出てくる女性の司書の助けもあって、カムクワンバさんは学校側の目を盗んで通い続けた。
「一番大変だったのは、風力発電に必要な材料を見つけること。必要な材料を店で買うお金もなかったからね」とカムクワンバさん。廃品置き場で使えそうなものを探して回ったのはそれゆえだ。「周りの人には笑われたよ」
とはいえ、廃品置き場ではすべての材料は見つからなかった。そこで、とある「一家の暮らしに絶対欠かせないもの」に目をつける。詳しくは映画や著書をご覧いただければと思うが、これには父が猛反対する。でも、「僕の学費を払えないことに申し訳なく感じた父が、最終的に使わせてくれた」。
図書室の司書は、カムクワンバさんの名を世界に知らしめる役割も果たす。
カムクワンバさんは風力発電装置を作り上げた後も図書室に通い続け、2基、3基と増やして村で初めての給水設備も完成させた。そうとは知らなかった司書がある日、「なぜいつも同じ本を借りては返しているの?」と尋ねた。「この本で村に風力発電装置を作っている」とカムクワンバさんが答えると、興味を持った彼女は村に見に来たそうだ。彼女はそれを、図書室に資金を出しているNGOに伝え、新聞記者も見学に来て、記事になった。そこからTED招聘につながり、カムクワンバさんが米国の名門ダートマス大学で環境学を学ぶ後押しにもなった。
マラウイは、世界経済フォーラムによるジェンダーギャップ指数が149カ国中112位。日本は同110位と実は大差ないだけにあれこれ言えないが、「女性をしかるべき地位につけなかったり女性の教育がまだまだだったり、女性の地位向上の道のりは長い」(カムクワンバさん)ながら、彼女のような女性の司書は当時から多かったという。
すばらしい出会いでしたね――そう言うと、カムクワンバさんは大きくうなずいた。
ダートマス大学を卒業し、結婚もして米ノースカロライナに住むカムクワンバさんだが、1年の半分はマラウイに帰り、村の水や電気などのインフラ改善の手助けをしてきた。井戸で地下水を汲み出し飲み水として利用できるようにする方法を教えたほか、中退となった中等学校と連携して太陽光発電で水を汲み上げるプロジェクトも進めたという。
目下の取り組みは、若い人たちがアイデアを形にできるようにする「イノベーションセンター」の建設。ウィンベ近郊で2〜3年後には完成させようと、資金集めに奔走している。
「米国で学んだことを母国にどう持ち帰れるか、村の問題をどう解決できるか考えたのが始まり。世界には才能ある人たちがたくさんいるが、必要な手段にたどり着けないがゆえに達成できない人は多い。彼らのためのスペースを作りたい。彼らが地元で直面する問題を解決するものを作ったりする場になればと思う。人々が自分で設計して作り上げることができる道具も備えるよ」
自分が経験した困難を若い人たちには経験させたくない――そんな思いがにじんだ。