亡き祖母の名をブランドに
ワイン通でも醸造専門家でもない筆者だが、試飲会に供されたワインは、いずれも掛け値なしで見事な味であった。ビエラさんには、2018年に「ミケランジェロ・インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・アワード」で金賞に輝くなど複数のコンペティションでの受賞歴がある。
ブランド名は「ASLINA(アスリナ)」。4種のワインは今年、オンラインショップと飲食店への供給を中心に、日本国内で計4000本が販売される。
南ア白人政府が堅牢なアパルトヘイト(人種隔離)体制を維持していた41年前、ビエラさんは同国東部のナタール州(現クワズールーナタール州)の貧村に生を受けた。母親が出稼ぎに出て糊口をしのぐ6人暮らし。卓上のグラスにワインを注ぎながら「一家の精神的支柱は祖母であり、私に力を与えてくれたのは祖母でした」と筆者に語ってくれた。
ワインのブランド名である「ASLINA」は、ビエラさんが敬愛してやまない今は亡き祖母の名である。また、ビエラさんは、4種のワインのうち、カベルネソーヴィニヨンなどをブレンドした自信作の赤ワインを「ウムササネ」と命名した。南アの黒人言語ズールー語でアカシアの木を意味する言葉であり、それは祖母のニックネームでもあった。村の人々は、差別と貧困に決然と立ち向かう祖母の姿を、アフリカの平原に屹立するアカシアの姿に重ね合わせていたのだという。
「ワインは白人の酒」だった時代
南アのワイン産業は、17世紀半ばにこの地に移住したオランダ系白人によって始められた。大西洋岸の西ケープ州はワイン製造に適した気候であり、ケープタウンから東へ40キロほど内陸へ入った小都市ステレンボッシュとその周辺には、広大なブドウ畑の中に無数のワイナリーが点在している。
アパルトヘイトの時代、南アワインは「白人の酒」であった。広大なブドウ畑は白人の所有、ワインを造るのは白人、飲むのも白人。「黒人の酒」はもっぱら安い瓶ビールだった。
1994年の民主化後も、ワインを嗜む黒人は都市部の富裕層と新興中間層など限られているのが実情である。造り手ての世界も同様であり、ワインの生産・輸出業者らでつくる業界団体によると、2017年現在、南アには546のワイン醸造業者が存在している。しかし、メディアなどの情報を基に非白人の醸造業者を割り出していくと、その数は10に満たない。
アパルトヘイトの時代には、最大時でも総人口の約16%に過ぎなかった白人が国土の87%に当たる土地を所有しており、逆に人口の約8割を占めた黒人は、国土の13%に押し込まれていた。
民主化後も土地改革は遅々として進んでいないため、南アの農地の約8割は今も総人口の1割程度の白人に所有されており、ワイン原料のブドウ畑の所有者は、今もほぼ白人のみと言っても過言ではない。南アのワイン産業は、アパルトヘイト時代の負の側面を最も色濃く引きずっている世界なのである。
貧しい黒人の農村で育ち、16歳で民主化を迎えたビエラさんにとって、ワインなど「飲んだこともボトルに触れたこともない酒」だったことは言うまでもない。
だが、高校卒業後、メイドの仕事をしていた時に転機が訪れる。「できるだけ高い教育を受け、自立できるようになりなさい」という祖母の教えを守り、様々な奨学金に手当たり次第に応募してみたところ、ワイン醸造を大学で学ぶことを条件にした南アフリカ航空の奨学金に当選したのだ。
二重のハンディを克服、欧米で高い評価
ステレンボッシュ大学でワイン醸造を学んだビエラさんは2004年、Stellekayaという小さなワイナリーに就職し、醸造家としての第一歩を踏み出した。そこで瞬く間に頭角を現したビエラさんは2009年、南アの「ウーマン・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」に選出された。
自信を深めた彼女は、醸造家としての腕を磨く傍ら、ワイナリーの一部を借りて独自ブランドのワイン製造を開始し、2014年にはじめて祖母の名前ASLINAを冠したワイン1800本を世に送り出した。そして2016年にStellekayaを退社。自らのブランドASLINAの生産に専念する生活が始まった。
ASLINAを生産し始めた当初は、南ア国内の酒販業者に店頭での販売をお願いしても「黒人の女が醸造したワイン?」と見下され、取り合ってもらえないこともあったという。ビエラさんには、白人が支配するワインの世界における黒人という人種的なハンディに加え、男性中心の業界における女性という二重のハンディがあった。
しかし、ASLINAが欧米で高く評価されたことで、2018年には南アの高級紙メイル・アンド・ガーディアンなどにもビエラさんに関する記事が相次いで掲載され、南ア国内でもその名が広く知られる存在となった。今年は国内販売用と輸出用合わせて2万本の生産を目標にしている。
ブドウ畑を持たないビエラさんは、信頼できる農家からブドウを購入している。自らのワイナリーを所有していないため、賃料を払って他社のワイナリーを間借りしており、製造条件が恵まれているとはいえない。
しかし、本稿の冒頭で紹介した「大勢の英雄」に言及した挨拶が示すように、ビエラさんは「ASLINAに関わるすべての人々の力で一本のワインを作り出すことに、無上の喜びを感じている」と話してくれた。
薄給で働くワイン農園の無数の黒人労働者、醸造学の恩師、仲間の醸造家、ワイナリーのオーナー、酒販店、輸入代理店──。ビエラさんの感謝の念は、ブドウ生産から販売までの全過程に関わる人々に向けられているが、彼女と話していると、それだけではないことが分かった。苛烈な人種差別体制と闘った祖母ASLINAを含むすべての人々の献身の上に、黒人女性起業家のフロントランナーの一人としての自分がいるという事実。彼女はそのことに感謝しているのだった。
この世に「必飲のワイン」なるものが存在するか否か、筆者は知らない。だが、一人の女性醸造家を育んだ今は亡き祖母ASLINAの人柄と生涯を想像する時、このワインは、飲んだ者の心に何かを残すように思う。