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たどり着いたのは鍼灸師 ミャンマーで追いかける「私のやりたいこと」

アジアで働く
ミャンマーの最大都市ヤンゴンにある治療所を1人で切り盛りする水口さん=2019年7月、染田屋竜太撮影

「自分でやりたいと思った気持ちを信じる。そんな風にやってきました。綿密な計画を立てるのは……苦手かも」。水口知香さん(46)はそういって笑う。

今はミャンマー最大都市ヤンゴンで鍼灸師の仕事をしながら国際NGO「オイスカ」のスタッフとしても働いている。

ミャンマー語を学んでいた大学時代、心の中はNGOで働くと決めていた。「自分の行ったことのない場所、日本とはまったく違う環境に身を置いてみたい」。そんな思いから、バックパッカーとして旅行したことのある東南アジアに目が向いた。

周りがリクルートスーツで就職活動する中、一切企業を回らなかった。「焦りがまったくなかったとはいえないけれど、NGOに行く、という気持ちに揺らぎはなかった」とオイスカでインターンを続けた。

子育てや鍼灸師としての仕事とともに、NGOでの農業活動にも積極的に関わっている=2019年6月、ミャンマー中部マグウェ、水口さん提供

1997年、念願かなってオイスカに入り、言語の能力を見込まれて2年目にいきなりミャンマーの農村プロジェクトに派遣された。毎年、ミャンマーの若者たち20人ほどに農業指導者になってもらうべく、植林から農業技術までを1年間指導する事業。

待ち望んでいた現場だったが、いきなり壁にぶつかった。「開発についても農業についても専門の知識がなかった。言葉も、実践で使うには全然追いつかなかった」。日本からやってくる専門家の話を必死にきき、時間があれば現地の人と話してミャンマー語を磨いた。

「悩むことも多かったですが、やはりNGOは自分の『天職』と思うことができた」。初めは考えを伝えるだけでも大変だった研修生が、1年後には頼もしい姿で自分の村に帰っていく。当時は軍政下で国の経済は厳しかったが、ミャンマーの農業が少しずつ前に進むのを手伝えているという喜びがあった。

5年間、プロジェクトの仕事に走り回る中で、プライベートでも大きな出来事があった。農業研修生としてきたミャンマー人の男性と結婚。「これからはずっとミャンマーで生きていくんだろうな」と考えるようになった。

NGO活動ではにんにくなどの有機栽培も手がけている=2019年7月、ミャンマー・ヤンゴン、染田屋竜太撮影

2003年、ヤンゴンのオフィス業務に異動する。現場に戻りたい気持ちはあったものの、それをサポートする仕事も大事、と自分に言い聞かせながら書類に向かった。

そんなとき、頭をよぎった。「これから自分はどうやって生きていきたいんだろう」。現場での仕事は楽しかった。NGOのやりがいも感じる。ミャンマーのために働くのはもちろんだけれど、最後は自分が満足できる仕事をしたい。でも、自分にしかできないことって何か。

浮かんだのが、「医療」だった。プロジェクトの途中、医者のいない村で手遅れになり、命を落とす人がいた。自分に医療の専門技術や知識があったら、救えたかもしれない。しかし、西洋医学では、村人の月給をまるまる使わないと薬も買えない。それなら、針一本でできる鍼灸はどうだろうか。プロジェクトに日本から鍼灸師が訪れていたことも思い出した。

本当に身につけるなら日本で学ばなければ。しかし、2人の子どもや夫はどうしよう。このままミャンマーに残った方が良いのだろうか。夫に相談すると、「やってみたら。私も日本に行くよ」。そっと背中を押してくれた。

三重県の実家に住みながら3年間、専門学校に通った。夫も日本で農業の仕事を見つけ、平穏な生活が続く。「何となく、このまま日本でも暮らせるのかな、とよぎった」。だが、子どもたちがミャンマーについて、「暑い、汚い、虫が多い」というのを聞いてショックを受けた。生まれた国を好きになって育ってほしいのに……。

「やっぱり家族でミャンマーにいたい」。2013年、全員で戻ってきた。2年前に民政移管して町の姿は一変する中、ヤンゴンの自宅近くの建物の1階で鍼灸の治療所を開くことにした。駐在する日本人らに針の施術をしている。オイスカからも「また働かないか」と声がかかり、パートでオフィスの仕事をしている。「やっぱりNGOの仕事っていいなと再確認しました」

こぢんまりとした鍼灸の治療所で、水口さんはてきぱきと動き回る=2019年7月、ミャンマー・ヤンゴン、染田屋竜太撮影

寛容とも適当とも言えるミャンマーの人は好きだ。でも、「育った社会が違うから、考え方も行動も100%ミャンマー人にはなれないな」とも思う。今、ミャンマーの伝統的な織物をベースにしたバッグの販売を手がけている。「日本人のアイデアを生かしてミャンマーの魅力を伝えたい」。どちらの国も知っている自分だからできることをしたい、と考えている。

仕事に子育てにと忙しい毎日だが、心の中にはもう一度農村に行って、今度は医療の専門家として貢献をしたい、という思いを今も胸に秘めている。「子育てもあるしすぐに現場には戻れない。でも、それが私のやりたかったこと。いつかかなえたい」と話す。