1989年に、私はすでに朝日新聞の政治部記者だった。持ち場は野党担当で、もっぱら国内政治を追っていた。7月の参院選は、土井たか子委員長が率いる社会党の空前のブームで、自民党は初めて参院で過半数を失った。のちの政治大変動の起点になる年だった。だが同時に国際情勢も揺れ動き、国内政治を取材している記者にも、それは日々伝わっていた。
6月4日の天安門事件は衝撃だった。人民解放軍による流血の弾圧は、中国共産党の統治とはいったい何なのか、という根本的疑問を生んだ。1972年の日中国交正常化以来、日本人の中にふくらんでいた中国に対する好意的イメージは、一気にしぼんでいった。
しかし、当時の実感としては、秋に始まった東ヨーロッパの社会主義体制の崩壊のほうが、はるかに大きな出来事だったのだ。
天安門事件は、中国という一国だけで起こった例外事象だろう。経済が発展すれば、中国でも中産階級が育ち、彼らが政治的自由を求めるようになる。体制転換に歓喜する東欧の民衆こそ、未来の世界の姿だ。そう思ったのは私だけではあるまい。
だが、その後の30年に何が起こっただろうか。
民主主義へ踏み出したポーランドやハンガリーでは、いまや狭隘なナショナリズムを唱える政権が、反EU、反移民の動きの先頭に立っている。戦後ヨーロッパを牽引してきたドイツですら、右派政党が州議会や連邦議会に議席を得た。議会政治の母国であるイギリスでは、EU離脱の国民投票を機に政党が統治機能を失い、まったく出口が見えない。アメリカは、ポピュリストのトランプを大統領に選んだ。罵詈雑言を政敵に浴びせる大統領は、アメリカの威信を失墜させている。
それに対して、中国はどうだろう。経済成長を加速させ、アメリカと肩を並べる超大国に躍り出た。民主化弾圧は、むしろ新しいノーマルとなった。西側の混迷に、中国の指導者は自信を深め、中国の民衆も経済繁栄を追い求めて政治的権利には関心は薄いようだ。
こうした現実を見ると、根本的な問いが生まれる。1989年に起こったことは何だったのか。勝ったのは民主主義なのか、それとも専制体制なのか。
もう一度、歴史を点検し直さねばならない。
ポスト冷戦の世界がこうなった原因をつかめないのは、そもそもなぜ冷戦が終わったのかという私たちの理解が間違っているからではないか。
冷戦終結から30年になる今年、コラム「ことばで見る政治の世界」では、この問題について随時、考えていきたい。今回は、その導入編として、私が現時点で抱いている仮説を述べておこう。ただし、仮説と言っても、私は学者ではない。ひとりのジャーナリストが様々な資料を読み取材した結果を、自分なりの言葉でまとめたものに過ぎないことを、最初にお断りしておく。
まず大事なポイントをひとことで言うと、冷戦を終わらせ、そして冷戦後の世界を今も突き動かしている根本的な力学は、グローバリゼーションだ、と考える。
第2次世界大戦後の世界は、「パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)」と呼ばれるように、アメリカがそのリソースをフルに活用して、ときには膨大なコストを払いながら、国際政治経済秩序を支えた。その秩序は1970年代には綻び始め、国境を超えた経済活動と情報が、主権国家の枠をこわしていく。ニクソン大統領によるドルの金本位制からの離脱、為替の変動相場制への移行、中東発の度重なるオイルショックはその表れである。
秩序を形成するのは、国家ではなくなった。マーケットがルールを作る。そのグローバリゼーションの波に、最初に直撃されたのが、計画経済と官僚腐敗で体制が硬直化していた社会主義諸国だった。
だが、グローバリゼーションの勢いは、社会主義体制の崩壊で止まりはしない。一国単位で政策を決められない時代が到来すると、当然ながら、国家単位の統治も議会政治も機能不全に陥る。格差が広がり、不平等への怒りは、ナショナリズムに流れ込む。今度は、冷戦に勝った側の西側が揺さぶられる番になった。
冷戦崩壊は、単なる自由民主主義の勝利ではなかったのだ。
そう考えれば、社会主義を止めたポーランドやハンガリーが、自由民主主義体制に進まず、排他的なポピュリズムの政治に陥ったことも不思議ではないだろう。
問題は、このポピュリズムを抑えこむ力がどこから来るのかということだ。自由民主義体制が立ち直るのか、それとも中国のような専制体制が有効な解答なのだろうか。
トランプ大統領が18日、再選に向けた立候補を表明した。次のアメリカ大統領選まで、あと1年数カ月。この期間が、民主主義にとっての新たな分水嶺になる予感がする。