私の通う、ソウルの東国大学には、北朝鮮から韓国へ逃れて来た‘脱北者’の学生がいる。ということを、昨年10月に韓国で公開されたドキュメンタリー映画「ポーランドへ行った子どもたち」を見て知った。演劇映画科に在籍するイ・ソンという女子学生だ。映画は、チュ・サンミ監督とイ・ソンさんのポーランドへの旅が中心に描かれている。
この映画には、イ・ソンさん以外にもたくさんの脱北者の学生が登場する。劇映画を作るための準備段階をドキュメンタリー映画にしたもので、その劇映画のオーディションにたくさんの脱北者の学生が参加するからだ。それぞれが、オーディションで自身の経験を語る。10代の若さで脱北という命がけの経験をした学生たちの話は、衝撃的だ。一見明るい性格に見えるイ・ソンさんも、旅の途中、泣きながら北朝鮮の家族のことを語った。
なぜ脱北者の学生たちの出る映画を撮ろうと思ったのか、チュ・サンミ監督にインタビューした。
チュ・サンミはもともと女優だ。ホン・サンス監督の「気まぐれな唇」などで知られるが、女優として活動を始めた頃から演出にも関心があったという。数年前から本格的に監督を目指して大学院に通い、長編の監督は「ポーランドへ行った子どもたち」が初めて。ドキュメンタリーとしてはかなり多い5万人の観客を動員し、現在も国内外で上映が続いている。
タイトルにある‘ポーランドへ行った子どもたち’というのは、1950年代、北朝鮮からポーランドへ行った朝鮮戦争の戦災孤児を指す。約1500人の子どもたちが秘密裏にポーランドへ送られた。これまで韓国でも知られていなかった事実だが、チュ・サンミ監督は、知り合いの出版社を訪ねた際にその資料を見つけ、劇映画化を考えるようになった。
「ポーランドへ行った子どもたち」には、戦災孤児を実の子どものように世話したポーランドの教師たちが登場する。子どもたちは8年をポーランドで過ごした後、北朝鮮に送り返された。教師たちにすれば、子どもと生き別れになったようなものだ。韓国から訪ねて来た脱北者の学生、イ・ソンさんに会うと、子どもたちとの思い出がよみがえったのか、教師らは涙を流してイ・ソンさんを抱きしめた。
監督は当初、ポーランドへ行った戦災孤児を描く劇映画を作るつもりでシナリオを書いていたが、取材を進めるうちに高齢の教師たちの声を記録する必要を感じ、ドキュメンタリーを先に作ることにしたという。劇映画の方は来年のクランクインを目指している。脱北者の学生たちは戦災孤児を演じる予定だ。
監督はインタビュー中、何度も「傷の連帯」という言葉を使った。戦災孤児も、脱北者の学生も、朝鮮戦争や南北分断によって傷を負った。劇映画のタイトルはまだ仮題だが、「切り株」。実際、ポーランドに行った戦災孤児たちが、野外で木の切り株に座って授業を受けていたというのもあるが、「切り株も傷を負った木」という意味もある。監督は「切られたけども根っこは残っている。新たな芽も生えて、成長もする」と話す。
戦災孤児や脱北者に関心が向いたのは、監督自身の‘産後うつ’とも関係がある。その症状は、例えばテレビドラマで子役が泣いているのを見てもつらくなるほど、子どもを見ると我が子を投影してしまう、というものだった。そんな状態の時に、テレビドキュメンタリーで、北朝鮮で飢えに苦しむ子どもの姿を見た。
「人道主義的な感情よりも、『この子のお母さんはどこにいるの?』という思いで、涙が止まらなかった。これをきっかけに、分断の現実について考えるようになった」と言う。リサーチしてみると、1990年代には北朝鮮で大規模な飢餓が発生し、少なくとも数十万人が餓死したことも分かった。「正直、南(韓国)に生きてきて、北朝鮮で何が起こっているのか、あまり関心のないまま過ごしてきた。同じ民族ですぐ隣にいながら、食糧を送って救うこともできたはずなのに」
脱北者の学生たちの話では、脱北の最大の理由は飢えからの脱出だ。日本にいると、北朝鮮の政治的な面しかなかなか見えてこないが、ドキュメンタリー映画「ポーランドへ行った子どもたち」は、戦災孤児について知るだけでなく、今を生きる若い脱北者たちの声も聴ける貴重な作品だ。日本で上映会を開く動きもあるという。