■今そこにある気候変動の影響
ヒマラヤ山脈と海にはさまれたバングラデシュは、デルタ地帯に位置し、国土の大半が平らな低地だ。
「バングラデシュを流れる水のうち、国内に降る雨はわずか8%で、92%は中国、インド、ネパール、ブータンなど外から流れてくる。大量の水は洪水を引き起こす。海面が1メートル上昇すれば、国民の17%が深刻な影響を受け、その多くは移住せざるをえなくなる」。アティク・ラーマンはこう説明する。
「すでに20センチほど海面は上がり、異常気象が起きている。ヒマラヤ山脈からは大量の土砂が運ばれて堆積し、増水した川が行き場をなくしてあふれる。そしてサイクロンだ。これまでも10年か15年おきに大きなサイクロンに襲われてきたが、いまはより強大なサイクロンが、より頻繁に来るようになった。一方で、北方の乾燥した地域は、干ばつにも悩まされている」
高潮や川岸の浸食が人々の生活の場を奪い、沿岸部の地域では海水が地下水などに混ざる塩害も深刻だ。塩分の高い井戸水を飲むことによる健康被害も報告されている。ラーマンはこう言う。「10年前まで『気候変動は起きている』とは言わなかった。『予期される』『兆しが見られる』などと言っていた。だがいまは、明らかな証拠があり、その影響は目に見えるかたちで現れている」
■もっと早く、たくさんのお金を
気候変動への対応は、温室効果ガスを抑制する「緩和」と、海面上昇などすでに現れた影響への「適応」に分かれる。特にバングラデシュのように、気候変動の影響が現実となっている国では、「適応」に力を割かざるをえない。
「私たちの国は近年、6%、7%といった高い経済成長率を保ち、後発開発途上国から中所得国になろうとしている。急速な発展だが、気候変動が私たちのあらゆる可能性を妨げている」。ラーマンがこう話すように、バングラデシュにとって気候変動への対応は喫緊の課題だ。
「パリ協定で(産業革命前からの)平均気温の上昇を2度未満に抑え、1.5度未満に抑えるよう努力することになった。だが、これは難しい。すでに1度ほど上がり、あとの0.5度は2040年ごろには達するだろう。状況は良くない。私たちはもっと早く、もっとたくさんのお金が必要だ。さもないと将来の世代がより負担を負うことになる。問題を先送りすれば、人間にも経済にもより大きな負担となる」。ラーマンはこう危機感を募らせる。
その「たくさんのお金」は、どこから来るのか。途上国への資金支援について、先進国は「2020年までに官民合わせて1000億ドル」という目標を掲げている。経済協力開発機構(OECD)の報告書は、2020年には公的資金だけで670億ドルに上ると予想し、民間資金も含めた目標達成は「確信」しているという。だが、ラーマンは「これらの資金は、既存の開発援助資金とは異なる、新規のものという約束だった」として、気候変動に特化した支援額はもっと少ないとみる。
一方、アイヌン・ニシャットは、バングラデシュが十分な資金を得ていないのは、自国側にも問題があると指摘する。
「私たちの大きな問題は、国際的な基金にアクセスするための能力が、政府機関に足りないことだ。国際的な基金には、中国、インド、エジプト、ブラジルなど、より開発が進んだ国の方がアクセスしやすい。バングラデシュやブルキナファソのような国が提案を出すと、とても時間がかかる。(途上国への資金・技術支援による温室効果ガスの削減分を自国分に算入できる国連の)『クリーン開発メカニズム(CDM)』のことを、私は冗談で『チャイナ・ディベロップメント・メカニズム』と言っている。お金はほとんど中国やインドに入っているからだ」
その原因の一つとして、ニシャットが挙げるのは、バングラデシュ政府の「官僚主義」だ。「各省庁が縦割りで仕事をしており、省庁間のコーディネートがない。私たちも国際会議に参加するが、国際社会の決定が直ちに私たちに伝えられるかといえば、答えはノーだ。今日も政府官僚との会合があったが、彼らはポーランドで開催されたCOP24で決まったパリ協定のルールブックについて教えてほしいと言う。私は『それなら関係者を全員集めて勉強会をしよう』と答えた。私たちの国では、一部の学者や官僚は最新の情報を持っていても、組織全体として共有されていないのが問題だ」
ニシャットが続ける。「バングラデシュには『母親は泣かない子にはお乳をあげない』という表現がある。私たちの政府には、国際社会で大きな声を上げる力がない。だから私たちにはお金がない。中国もインドもマレーシアもインドネシアも声が大きい。アフリカでもケニアやエジプトやウガンダは大きな声を上げる。私たちは誰が声を上げるというのか。財務省か、農業省か。省庁間のコーディネートが足りないのだ」
ニシャットは汚職の問題にも言及した。「私たちは『世界は私たちを助けに来るべきだ』と言うことはできる。だが、お金を出す側は誰であろうと、適切に使われる所に出す。私たちの国が説明責任や透明性を証明できれば、もっと多くのお金が入ってくるはずだ」。そして彼はこうつけ加えた。「先進国を責めても解決にはならない。気候変動は現実に起きていて、それに備えなければならない。だからお金が必要だ。バングラデシュ政府はいま、小さな無償資金援助は必要ないという立場だ。私たちが必要なのは巨大プロジェクトだが、巨大なプロジェクトには巨大な汚職がつきまとう」
■民間は貧しい人々のためには来ない
公的資金による支援は限界もある。ラーマンは言う。「先進国の政府はどこもお金がない。そして、少なくともアメリカやヨーロッパの世論は、貧しい人たちを助けようという寛容な雰囲気でない。自国の問題を考えるので頭はいっぱいだ。バングラデシュ政府もできる限りのことをやっているが、私たちは十分なお金がない。すべての国民を食べさせ、大半の国民が服を買えるようになったが、まだすべての国民に災害時のシェルターを用意できていないし、すべての国民の健康を守ることもできていない。だから、私たちは民間セクターとうまくやっていかなければならない」
一般的に「緩和」の分野では、代替エネルギーによる発電や、エネルギー効率の良い設備などの導入は利益を生むので、民間セクターの投資を期待できるが、「適応」の分野は利益を生む事業が少ないと言われる。ニシャットは「民間セクターは適応策への融資に興味はない」と言いきる。
ラーマンも楽観的ではない。「民間セクターはこう言う。『喜んでお手伝いしますよ。で、どれくらい利益は出るんですか』と。彼らも銀行からお金を借りたいので、その利子を払うためには、事前にこれだけ利益が出るというのを示さないといけない。それができなければ彼らは来ない。だから、水にお金を払う金持ちがいるダッカには水を供給しに来ても、沿岸部の貧しい人々のところには来ない」
一方で、ラーマンは「適応(adaptation)」と「緩和(mitigation)」を組み合わせた分野を「アドミット(AdMit)」と呼び、民間の資金やテクノロジーを活用できるものもある、と希望をつなぐ。
例えば、電力が供給されていない農村部の家庭に、太陽光発電を普及させること。バングラデシュの農村に行くと、多くの家屋の屋根にごく簡単な太陽光パネルが見られる。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスのグラミン銀行が、貧困層に少額を融資する「マイクロファイナンス」を広めたこともあり、簡易な太陽光パネルは広く普及している。
農村部の人々が携帯電話を充電できるようになったり、夜間も読書をして知識を身につけたりするようになれば、それも「適応」につながる。れんが製造工場のエネルギー効率を改善することもそうだ。れんが製造はバングラデシュの主要な産業で、気候変動により農地を奪われた人々も多く働いているが、温室効果ガスを排出するだけでなく、働く人々の健康を害しているという。「人々に仕事を与えることも適応だ。気候変動により移住せざるをえない人にとって、最も必要なことは仕事だ」とラーマンは言う。
「民間セクターが強い分野は『適応』でもあるだろう。だが、例えば水道事業なら、沿岸部では塩分を取り除く技術が必要で、貧しい人々が払えない金額になってしまう。貧しい人でも支払えるよう、テクノロジーを高められるかが課題だ。自由市場では基本的に、民間セクターは頭脳とポケット(財布)がつながっている。もし彼らの心とポケットがつながれば、状況はいくらか良くなる」
■「適応」で世界のリーダーに
様々な問題を抱えながらも、バングラデシュが気候変動への対応に力を入れているのは確かだ。ラーマンは「私たちは脆弱性を克服し、レジリエンス(回復力)を高めようと努力している。私たちの試算で、政府は気候変動への対応に70億~80億ドルを費やしている。最も貧しい人たちを救済するセーフティーネットについても、国は先進的な取り組みをしている。私たちは気候変動への『適応』では世界のリーダーなのだ」
ニシャットも「バングラデシュは2009年に『気候変動への戦略と行動の計画』を策定し、世界で最も早く行動をとった国の一つだ。少なくとも何が必要で、何をするべきかが分かっている」と言う。
バングラデシュでは昨年、「デルタプラン2100」という壮大な計画が認められた。2100年までを見越し、気候変動への適応をはかりながら、災害リスクを軽減し、経済発展に貢献することを目標とした超長期の国家計画だ。同様に低地の国でありながら、優れた治水技術で発展したオランダの企業が、コンサルタントとして計画に協力している。
バングラデシュにとってオランダが希望となるのは無理のないことだが、ニシャットは外国のコンサルティング会社に依存することは問題だと指摘する。
「私たちはまだ最貧国のメンタリティーから抜け出せていない。援助国であろうと世界銀行であろうと、事業を頼みに行けば、デザインの段階で100万ドルは必要になる。援助国は自国のコンサルタントを雇うし、世界銀行は国際的なコンサルタントを雇う。オランダはたくさんのお金を出したが、その大半は自国のコンサルティング会社に行っている」とニシャット。「バングラデシュ政府はいま、こうした事業では国内のコンサルティング会社とパートナーシップを築くかたちをつくろうとしているが、デルタプランのようにまだ海外のコンサルタントがすべてを決めるやり方が主流だ。彼らはこの国の状況も文化も分かっていない。彼らは既存の事業の評価もしない。オランダはこの国で様々な事業を支援してきたが、それがデルタプランで生かされたかというと、答えはノーだ。『あれをやったのは別のコンサル会社で、うちは知りません』というわけだ」
アイヌン・ニシャット Ainun Nishat BRAC大学名誉教授。気候変動の分野で、バングラデシュの先駆的な研究者として知られる。国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)では長くバングラデシュ代表団の主要メンバーを務め、世界銀行や国連開発計画(UNDP)などの様々な事業にも関わってきた。
アティク・ラーマン Atiq Rahman バングラデシュ高等研究センター(BCAS)専務理事。環境や開発分野でバングラデシュを代表する研究者。環境分野で国連の最高賞である「チャンピオン・オブ・ジ・アース」を2008年に受賞。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)報告書の主要な執筆者でもある。