「5分あげるから、ホテルから出て行ってください」
2月25日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長がベトナム・ハノイに到着する前日。私は正恩氏の宿泊先として確実視されていたメリアホテルの1階カフェにいた。窓際の席に座って、警備の様子や北朝鮮関係者の動きを監察していたら、ホテル関係者とみられる男性が、私を追い出しにかかった。
私が「まだ、カプチーノを1口しか飲んでいないんですけれど」とくってかかると、男性は「じゃあ、10分あげるから、そうしたら出て行ってください」と突き放した。「警備の都合で、宿泊客以外はホテルに立ち入りできません」というのが理由だった。
この男性は、宿泊客の名簿を持っていて、いちいちカフェの客の身元と照合して歩いていた。ある記者は宿泊していたのだが、携帯でホテル内を撮影していたという理由で、強制的にチェックアウトさせられた。
翌26日、正恩氏がホテルに到着すると、ホテルの警備体制は最高度に達した。ホテル前にはベトナム警察の機動隊が動員され、周辺の道路は封鎖された。
私は「金正恩番」として、26日からメリアホテルに1泊するよう指示された。ホテル前に設置されたバリケードから内側に入るときは、身分証とルームキーなどの宿泊証明が必要だった。ホテル内の施設は1階奥のレストラン以外は全て閉鎖されていた。
正恩氏が到着した。ベトナム警察関係者がロビーにいた宿泊客を全員、食堂かそれぞれの部屋に向けて追い払った。私は14階の部屋からロビーに再び向かおうとしたが、エレベーターのボタン自体が作動しなかった。
正恩氏到着後は、エレベーター内の17階から22階までのボタンには全て黒いステッカーが貼られた。宿泊していた記者団が自室に戻るときは、ホテル職員が必ず「エスコート」した。
26日午後、私はひたすら1階食堂で、正恩氏が外出する瞬間を待った。
午後5時、突然ホテル職員が食堂にいた客に「絶対外に出ないでください」と宣言し、出入り口にパーテーションが設置された。次の瞬間、金日成・金正日バッジを胸につけた北朝鮮警護員が食堂にやってきた。「Sit down」と叫び、「絶対に写真を撮るな」と言い渡した。
食堂からエレベーターホールまで約150メートル。パーテーションの隙間から必死で正恩氏の姿を追ったが、かすかに後ろ姿が見えただけだった。シンガポールでは、高級リゾート施設「マリーナ・ベイ・サンズ」を訪れた金正恩氏が、観光客たちに笑顔で手を振る場面もあったのに、随分厳しい警戒ぶりだった。
メリアホテルに設置されるはずだった米ホワイトハウス詰めの記者団用プレスルームも突然、国際プレスセンターへの引っ越しを命じられた。
記者たちの恨みが募ったからか、正恩氏は28日の米朝首脳会談冒頭、記者団から猛烈な質問攻めに遭った。「人権問題も議論するのか」などと厳しい質問も飛び出し、陪席した李容浩(リ・ヨンホ)外相が「記者たちを外に出しますか」と正恩氏にお伺いを立てるほどだった。
正恩氏も「(トランプ米大統領と)十分に話し合う時間をください。1分でも重要です」と漏らすなど、焦っている様子が感じ取られた。
昨年4月の南北首脳会談で、正恩氏が韓国の文在寅大統領と散策したときとは随分異なる光景だった。当時、正恩氏が、近づいてきた北朝鮮カメラマンをにらむような視線を送ると、カメラマンはおびえたように横に飛び退いた。
北朝鮮では泣く子も黙る正恩氏だが、外国記者団の遠慮会釈ない質問にはさぞかし慌てたことだろう。
きっと北朝鮮は米朝首脳会談に向けて入念な準備をしたことだろう。だが、あの北朝鮮カメラマンと同じように、北朝鮮の高官たちは正恩氏が嫌がる苦言やアドバイスを試みることはできなかったと思う。
首脳会談後、トランプ氏は「合意できなかった。北朝鮮は準備ができていなかった」と語った。「準備」とは非核化に対する準備という意味だけではないだろう。
意思疎通が難しい北朝鮮との対話には、ひたすら忍耐が要求される。
メリアホテルをチェックアウトし、外に出た。警察が設置したバリケードの前でホテルマンが満面の笑みで「私どものホテルをご利用くださり、大変ありがとうございました」と語りかけてきた。ホテルのなかでは決して見られなかった微笑に、私も「Thank you so much」と答えた。