政治における時間の問題を考えるために、歴史の時計を100年前に巻き戻してみよう。
1919年の春、世界の眼はパリに向いていた。
前年11月の第1次世界大戦終結を受けて、敗戦国ドイツの責任を追及し、戦後の国際秩序を話し合うパリ講和会議が開かれていた。
4年間の戦争で、800万人の兵士が戦場で倒れ、400万人以上の一般市民も犠牲になったと言われる。未曽有の大戦争は、戦後処理も空前の規模だった。
27カ国から代表団がパリにやって来た。フランスのジョルジュ・クレマンソー首相が議長役を務め、イギリスはロイド・ジョージ首相、アメリカはウッドロー・ウィルソン大統領が参加した。アメリカ大統領が在任中に国を離れたのは史上初めてだった。サミットなど存在しない時代の話である。
日本は、元内閣総理大臣の元老・西園寺公望を首席全権委員に、文部大臣や外務大臣を経験した牧野伸顕を次席全権委員に任命し、総勢64人の代表団をパリに送った。
その年の1月18日に始まった会議が終結し、ベルサイユ宮殿の鏡の間で調印式が行われたのは6月28日である。5カ月半におよぶ会議で討議した講話条約草案は460条にも及び、もっとも多い時期には50を超える委員会や分科会が同時に開かれていた。
ベルサイユ条約は、ドイツに厳しい賠償を負わせ、のちのヒトラーの台頭を招いたことから後世には厳しく批判されているが、初の恒久的世界平和組織である国際連盟を創設するなど、歴史を画する会議となったのは、それだけの時間とエネルギーを割いたからである。
当時の通信手段は電報だった。パリと東京との間は、いくつもの無線中継所を経由し、海底ケーブルを使わねばならなかった。世界中の電報がパリに集中したこともあり、日本の外交電報が届くには、暗号解読作業も含めてまる2日はかかったという。東京に指示を仰いだのに、受け取る電報は前の電報の返事という行き違いもあった。
この100年で外交のスピードは著しく加速した。
いまや年中行事となった日本とアメリカの首脳会談も、最初に行われたのが1951年9月4日、日本の占領を終わらせたサンフランシスコ平和条約の調印で訪米した吉田茂首相が、当時のトルーマン大統領に会ったときである。
次の首脳会談は1954年、その次は1957年、さらに次は1960年と3年おきで、いずれも場所はアメリカだった。ちなみに日本に来たアメリカの現職大統領は1974年のジェラルド・フォードが初めてである。
一国の指導者の外国訪問も、首脳会談もめったなことでは行われるものではなかった。それだけに周到な準備が重ねられた。
時をくだって21世紀の初頭、小泉純一郎首相の在任時のことだが、首相の靖国参拝問題で日中の首脳レベルの協議が長くストップしたことがあった。
外務省のある幹部に「いまは様々なパイプが日中間にあるでしょうから、首脳同士が会わなくても実務的な影響は小さいのでは」とたずねたところ、「首脳会談というゴールがあるからこそ、下から様々な交渉を積み上げていく。そのプロセスが止まってしまうのです」という返事だった。首脳会談を組み込んだ外交の大きなプロセスが重要だという話だった。
デジタル時代になって、政治のコミュニケーションのスピードはさらに革命的に変わった。
SNS(ソーシャル・ネットワーク)で瞬時に無数の人々にメッセージを送ることが可能だ。
最初に政治におけるSNSの力を見せつけたのは、2010年にチュニジアの独裁政権を民衆の大規模なデモが倒したことに始まる中東の「アラブの春」であろう。あのときの反政府運動は、インターネットの普及なしには不可能だった。ツイッターやフェイスブックの呼びかけで人が集まり、抵抗運動に関する情報が共有された。
だが、そこには大きな壁があった。アラブ各地で広がった民衆の抵抗運動は、ときの政府を倒すことには力があったが、それに代わる安定した民主主義体制をつくりあげることにはつながらなかった。エジプトのように、クーデターで軍事政権に逆戻りしたところもある。これは何を意味しているのだろうか。
かつて、デモなどの大規模な政治行動は、組織するのに膨大な時間と準備を必要とした。SNSのない時代は、手紙や直接のコミュニケーションで、運動の輪をつくるしかない。大規模な抗議集会を行うには、連絡網として働く膨大なスタッフも必要だ。
たとえば、アメリカの黒人運動の歴史で金字塔とされる1963年8月のワシントン大行進は、20万人以上が参加したが、これは1950年代なかばから始まった黒人差別撤廃を求める公民権運動の到達点、いわばクライマックスである。大行進は、その公民権運動の指導者キング牧師の「私には夢がある」のスピーチで不滅のものとして記憶されている。
いっぽう今日、政治活動を始めるコストは限りなくゼロに近い。SNSで瞬時に始められる。
昨年1月、フロリダ州パークランドの高校で26人が犠牲になった痛ましい銃撃事件があった。事件からわずか6週間で、アメリカ全土で百万人を超す抗議活動が組織された。これもSNSの力である。
だが、ここには落とし穴がある。
米ワシントンのジョージタウン大学で公法を担当するデイビッド・コール教授は、書評紙「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」(2019年2月9日号)への寄稿で、おおよそ次のような趣旨のことを論じている。
――ソーシャル・メディアにより動員が簡単に行われるようになったがゆえに、デモだけみても、その政治運動がどれだけの影響力も持つのか計ることができなくなった。デモや抗議活動は、運動の達成した結果ではなく、運動の始まり、登場に過ぎないのだ。
問題は、SNSで始めた政治運動や活動を、どういう形で維持し、広げていくのかということである。コール教授は、地方での組織作り、責任あるリーダーを育てること、選挙を通して自分たちの声を届ける政治家を議会に送り出すこと、などの課題があることを指摘している。これらはSNSでは代行できない。
政治がスピード化する時代に、忘れてはならないのは、政治の主体である人間がものを考え、自分の態度を決める作法やリズムは、昔も今も大きく変わらないということだ。
ツイッターで発信する大統領が登場し、政治はますます過激なドラマとして演出され、1日単位で、いや数時間単位で、人々の関心のアジェンダが変わってしまうように見える。
しかし、不変の真実がある。
政治という人間の営みには、熟する時間が必要なのだ。