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サッカー・アジアカップで再認識させられたロシアとベトナムの繋がり

迷宮ロシアをさまよう
ハノイの大型書店では、多くのプーチン本が売られていた。外国事情のコーナーで際立った存在感を示しており、人気の高さをうかがわせる(撮影:服部倫卓、以下同様)

ベトナムとロシアのハーフGKが活躍

サッカーのAFCアジアカップで、日本代表は準々決勝でベトナム代表と対戦し、1対0と僅差ながらベトナムを下しました。小柄な選手が多いベトナム代表の中で、一人だけ188cmという長身選手が目を引きました。ゴールキーパーのダン・バン・ラム選手です。ベトナムの守護神は、後半に足を痛めるアクシデントなどがありながらも奮闘し、日本はPKによる1点しか奪えませんでした。

ところで、私もこの試合を観て初めて知ったのですが、ダン・バン・ラム選手はベトナムとロシアのハーフとのことです。テニスの大坂なおみ選手もそうであるように、ハーフや移民のアスリートが、国を背負って戦うことには、葛藤、論争など、様々なことがつきまといます。筆者は、ダン・バン・ラム選手のプロフィールに興味を抱き、ちょっと調べてみました。

ダン・バン・ラム選手は、ロシア人の母とベトナム人の父との間に、1993年にモスクワで生まれました。現状についての正確な情報は不明ですが、少なくとも以前はロシア国籍もあったようで、ロシア語名ではレフ・ショノビチ・ダンというのがフルネームになります。モスクワで幼い頃からサッカーに親しみ、名門スパルタクやディナモの下部組織に所属しましたが、レベルの高いロシアではトップチーム昇格を勝ち取るのは困難でした。

そこで、ダン・バン・ラムは父の祖国であるベトナムに渡り、いくつかのクラブのテストを受け、念願のプロ契約を勝ち取ります。2015年からはシマン・ハイフォンFCでプレーし、2017年にはベトナム代表入りも果たしました。やはり、本国のベトナム人にはない体格に恵まれた大型ゴールキーパーとして、ベトナムでは貴重な人材なのでしょう。

ダン・バン・ラム選手がロシアのメディアのインタビューに応じている動画を見てみましたが(当然ロシア語で受け答えしている)、東南アジアでのプレーにつき、「サッカーのレベルは悪くないが、気候に慣れるのが大変。とにかく暑いし、湿度も半端ない」といったことを語っていました。

なお、ダン・バン・ラム選手は今年に入ってからタイ1部ムアントン・ユナイテッドに移籍したということで、順調にステップアップを遂げているようです。そのうち日本やロシアのクラブでプレーしたりすることもあるかもしれませんし、再びベトナム代表の守護神としてサムライブルーの前に立ちはだかる可能性もありますので、チェックしておきたいと思います。

ハノイにあるホー・チ・ミン廟。モスクワのレーニン廟を模しつつ、ベトナム独自の美意識も取り入れている

ソ連/ロシアとベトナムの関係

ダン・バン・ラム選手のロシア人母とベトナム人父が、どこでどのように出会ったのかは、未確認です。しかし、ロシアではそのような出会いは、充分に起こりうることです。というのも、かつての社会主義体制のソ連邦にとって、ベトナムは同盟国の一つであり、その時代の友好関係が現在のロシアにも遺産として残されているからです。

ベトナム建国の父であるホー・チ・ミンは、ロシア革命直後のモスクワに赴き、コミンテルン(共産主義インターナショナル)の執行部で働くとともに、東方勤労者共産大学で学びました。なお、東方勤労者共産大学とは、コミンテルンが植民地および発展途上国の共産主義者と共産党幹部の養成のために開設した学校です。そのホー・チ・ミンが祖国に舞い戻って1945年に建国したのが、ベトナム民主共和国(いわゆる北ベトナム)でした。

ソ連は、ベトナムの国造りを支援し、受け入れたベトナム人留学生は3万~5万人に及んだと言われます。また、1980年代になるとソ連企業がベトナム人を研修生や労働者として受け入れるようになり、ソ連に定住するベトナム人も増え、ベトナム人コミュニティもあちこちに生まれました。

社会主義体制が崩壊し、新生ロシアの時代になると、ベトナム人コミュニティは減小に向かいましたが、それでも2010年現在で14,000人ほどのベトナム系住民がロシアで暮らしています。ロシア国民にとって、ベトナム人はとても身近なアジア人なのです。筆者自身、ロシアの街角で、「貴方はベトナム人ですか?」と話しかけられたことがあります。

ロシアは、近隣の4ヵ国とともに、2015年に「ユーラシア経済連合」という経済同盟を結成しました。そのユーラシア経済連合は一連の国々との自由貿易協定(FTA)交渉を進めていますが、真っ先にFTAを結んだ相手がベトナムでした。また、ロシアの人たちは長期休暇を南国で過ごすのを好むので、近年ベトナムのビーチリゾートがロシア人観光客の旅行先として人気が高まっています。

ベトナム国立歴史博物館(旧革命博物館)に展示されている、ホー・チ・ミンが実際に使用したというソ連製の装甲自動車ZIS115。1954年にソ連共産党がベトナム労働党にプレゼントした

ベトナムに出かけてもロシアを探してしまう悲しい性

筆者は2015年にベトナムのハノイを旅行で訪れました。私費で出かける純然たる観光旅行なので、仕事のことは忘れ、羽を伸ばすつもりでいました。しかし、いざ現地に赴いてみると、悲しい性と言おうか、街を歩けばロシアに関係したものを探してしまいますし、現地の英字新聞があればつい「ロシア絡みの記事はないか?」と探してしまいます。これはもう、職業病のようなものでしょう。

ホー・チ・ミン廟を見ながら、モスクワのレーニン廟に想いを馳せてみたり。ベトナム軍事歴史博物館で、中庭に展示されているソ連製の軍事貨物輸送機イリューシン14に見入ったり。果ては、食料品店でロシア産のヒマワリの種が売られているのを見付けて喜んだり。今回のエッセイに掲載している写真も、そうした「ベトナムで見付けたロシア」のシリーズからセレクトしました。

ハノイの街角でポスター屋さんを見付け、そこで自分へのお土産として買ったポスターも、下に見るようなロシア絡みのものでした。「ベトナム国民とソビエト国民の友好、万歳」と書いてあります。