「ゾウが戦うと、アリが死ぬ」。これはクメール族のことわざだが、過熱する米中貿易戦争における危機感を言い表している。世界の二つの超大国が関税を巡り対立し、他の国々、特にアジアの国々が踏みつぶされる危険にさらされているように見える。トランプ政権は中国の不公正貿易慣行に制裁を加え貿易赤字を3750億ドル削減しようとする中で、米国の同盟国を含むアジアの国々にも被害を及ぼしている。ゾウの足元にいるアリのように先を争って避難することを余儀なくさせている。
ベトナムの状況を考えてみよう。米中はそれぞれ、対ベトナム戦争の歴史を有しているが、現在ではベトナムにとって最も重要な貿易相手国であり、ベトナムが活気のないコメとコーヒーの生産国から製造拠点へと転換するのを促している。貿易戦争が勃発した際、人民元の急落はベトナム通貨の取り付け騒ぎとベトナム株式市場の下落を引き起こした。中国の安い消費財が流入し、米国の保護主義がまん延してベトナムを支える輸出に影響を及ぼす恐れがあるとのうわさが広がった。また、その輸出のうち約50億ドルは中国の付加価値供給網に組み込まれており、米国の制裁関税にさらされることで影響を受ける可能性を意味していた。
その後まもなく、異なる反応が起こり始めた。中国と取引をしている多くの国々の企業が、貿易戦争の脅威を踏まえ、生産拠点を中国から東南アジアに移し始めたのだ。7月中旬には、こうした展開の兆候が示されていた。ある訪問者の一団が、ベトナム北部の海岸に現れたのだ。白いシャツに濃い色のネクタイをした男性たちは、観光客ではない。繊維からエレクトロニクスまで、様々な業界の日本企業72社の社員であり、経済の安全地帯を求めて来訪したのだった。
貿易戦争の最初の被害者の中に、日本の経営者たちも含まれるだろう。だが、生産を中国からシフトするというのは、決して新しい現象ではない。ここ数年、中国の工場における賃金が急激に上昇し、外国企業も中国企業も、生産コストを下げるために少なくとも事業の一部を東南アジアに移し始めている。ベトナムの成長は外国からの投資を呼び込めるかにかかっている。そのため、現在の米中の政策は、ベトナムの成長を加速させる可能性がある。「多くの企業にとって、貿易摩擦は、これまで考えたことのない変化を模索するきっかけとなる」と、香港の法律事務所の税務貿易パートナーは言う。
中国から米国への輸出品は、特にハイテク産業において、膨大な外国製の部品と原材料から成る、中国で組み立てられた複雑な製品である。米国に輸出された「中国製」のノートパソコンには、例えば、韓国製のディスプレーと、日本製のハードドライブと、台湾製のメモリーチップが使われている可能性があるのだ。関税は、こうした国際供給網のあらゆる部分に悪影響を及ぼすことになる。日本や韓国、台湾など、アジアの先進諸国・地域はグローバル化が進んでいるため、今回のような保護貿易主義の応酬に簡単に巻き込まれてしまう。
台湾が、最も被害を受ける状況にあるかもしれない。ワシントンにあるスティムソン・センターによれば、中国の中間財輸入の18%を台湾が占めており、これは台湾の国内総生産(GDP)の約14%に相当する。経済学者、蔡明芳氏は次のように話している。「トランプ政権の関税措置は、台湾企業の東南アジアへのさらなる移転を促す」
貿易戦争がもたらす、すべての痛みや転換を予測することなど誰にもできない。ベトナム政府は慎重になっており、今後5年間で成長がわずかに減速すると予測。他方では、ベトナムが中国リスクを避けようとする企業を誘致し、輸入元を中国以外にも分散したい米国の購買担当者をも引き寄せるかもしれない。「かつての共通認識は、TPPが起爆剤になるというものだった」と、資産運用会社のチーフ・エコノミスト。「しかし、貿易戦争こそが、水門を開けることになるかもしれない」。ベトナムでは、ゾウが戦うと素早い(または幸運な)アリに繁栄の機会をもたらすのかもしれない。
(ブルック・ラーマー、抄訳河上留美)©2018 The New York Times