ロシアはすでに歯舞・色丹への米軍進出に備えている
しかし、一方の当事者ロシアのプーチン大統領は、歯舞、色丹の2島にアメリカの軍事的影響が及ばないことの確証を求めている。さらに、沖縄における米軍普天間飛行場の移設問題を引き合いに、米軍基地問題について「日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」との疑問まで口にしている状況だ。
ロシアはすでに2年前から“露骨に”千島列島での軍備増強を開始している。国後島と択捉島への地対艦ミサイルの配備と、千島列島守備部隊を精強部隊に置き換える措置である。
そのようなロシア軍による千島列島防衛戦力強化の動きは、安倍政権が熱望する日ロ平和条約締結への軍事的牽制の意味合いがあることには疑いの余地はない。しかしながら軍事戦略的に考えると、アメリカ軍に備えての動きであると理解すべきである。
安倍政権を含めて歴代の日本政府は、北方領土返還を言い続けるものの、防衛すべき領域に比べて海洋戦力が弱体であるうえに核戦力も持たない日本は、ロシアにとって軍事的に脅威にはならない。そのような日本に対してだけ、今さらロシア軍が千島列島での戦力を強化する理由は存在しない。
一方、アメリカ軍はロシアに脅威を与え続けている。なぜなら、アメリカ海軍がオホーツク海に侵入してくる可能性が高いからである。
ロシアはアメリカとの“恐怖の核均衡”(相互確証破壊:MAD)を保つため、カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー海軍基地を本拠地とする戦略原潜(核弾頭搭載弾道ミサイルを積載した原子力潜水艦)を、オホーツク海に潜航させて万一の事態に備えている。そのため、オホーツク海はロシアの核戦略にとって「海洋要塞」とも言われる最重要海域となっている。
これに対してアメリカは、ハワイのパールハーバー海軍基地を本拠地にする米海軍太平洋艦隊の攻撃原子力潜水艦が、カムチャツカ半島沖から千島列島沖の北西太平洋をパトロールして、ロシア太平洋艦隊の戦略原潜や攻撃原潜に備えている。
米ロ関係が悪化した場合、それらのアメリカ海軍攻撃原潜や横須賀を本拠地にする第7艦隊の水上戦闘艦が、千島列島線を突破してオホーツク海に侵入してくるかもしれない。アメリカ海軍がオホーツク海に侵入してくる事態が生じると、ロシアの国防戦略が根底から狂ってしまう。したがって、オホーツク海にアメリカ海軍を接近させないためには、千島列島線を軍事的にコントロールしておかなければならないのである。
ロシアがアメリカに対して千島列島周辺海域での軍事的優勢を確固たるものとする方策の一つとして、ロシア軍は国後島と択捉島に地対艦ミサイルを配備するとともに、ミサイル部隊防衛のための陸上戦力も精鋭化し始めたのである。
ロシア軍が国後島に配備したのが「3K60バル地対艦ミサイルシステム」(“バル”)である。このシステムの地上移動式発射装置から発射される「Kh-35」対艦ミサイルの最大射程距離は、従来型の場合は130キロメートル、最新型の場合は300キロメートルとされている。いずれも非核高性能爆薬弾頭が搭載され、海上から10~15メートルの低空を巡航速度マッハ0.8で飛行し、攻撃目標に突入する際は、海上すれすれの高度4メートルを飛翔するため、迎撃は困難である。
一般的に「地対艦ミサイル」と呼ばれる兵器は、対艦ミサイル本体だけでなく、それを発射する装置、射撃をコントロールする装置、目標を探知する装置、電源装置などから構成され、厳密には「地対艦ミサイルシステム」ということになる。ミサイル本体とシステム全体の名称が同一の場合が多いため、システムとミサイル本体が混同されがちだ。「バル地対艦ミサイル」はシステム全体の名称で、発射されるミサイル本体は「Kh-35対艦ミサイル」である。
バルの国後島配備の主たる目的は、アメリカ海軍水上艦艇、とりわけ空母打撃群が国後島周辺の海峡部を自由に航行するのを妨げるとともに、国後島へアメリカ海軍水陸両用戦隊が接近し、上陸作戦を実施するのを阻止することにある。もちろん、国後島、色丹島、歯舞群島周辺海域を航行する海上自衛隊水上艦艇にも睨みをきかせている。
択捉島に配備されたのは、バル地対艦ミサイルよりも数段強力な「K-300PバスチオンP沿岸防備ミサイルシステム(“バスチオンP”)だ。バスチオンPの地上移動式発射装置から発射されるのは「P-800オーニクス超音速対艦ミサイル」だ。このミサイルは飛翔速度マッハ2.5で、バスチオンPは、現在のところ史上最強の地対艦ミサイルと言われている。
バスチオンPは、指揮管制用車両をはじめレーダーなどの支援用車両4輛とミサイル発射用車両4輛、それに予備ミサイル装填用車両4輛から構成されていて、最大で25キロメートル四方の範囲に分散配置して作戦することができる。
オーニクス超音速対艦ミサイルは、対艦攻撃だけではなく地上目標の攻撃も可能で、敵の迎撃ミサイルを回避しながら飛翔する性能も有する。対艦攻撃任務の場合、最大射程距離は120キロメートル(発射直後から着弾まで超低空飛行を続けた場合)から350キロメートルで、対地攻撃任務の場合には450キロメートルとされている。
択捉島中央部に配置されたバスチオンPからは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島、それに得撫島周辺海域に接近するアメリカ海軍ならびに海上自衛隊の水上艦艇を攻撃することが可能だ。国後島に配備されたバルと連動させることで、アメリカ海軍空母打撃群や、海兵隊が乗り込んだ水陸両用即応群が千島列島へ接近するのを阻止する態勢は極めて強固なものとなる。
バルやバスチオンPの配備は、日本にとっては北方四島へ接近する海上自衛隊艦艇への重大な脅威となっているだけでなく、旭川や帯広を含む北海道の東半分がオーニクス超音速対艦ミサイルの攻撃圏内にすっぽり収まってしまっているため、深刻な軍事的脅威に直面しているのである。
それにもかかわらず、日本政府は相変わらず北海道に突きつけられている軍事的脅威に真剣な防衛努力を怠り、アメリカを頼みの綱としている。このような日本政府の姿勢から、プーチン大統領に「どの程度主権を持っているのか分からない」と言われてしまうのだ。その一方で安倍政権は、ロシアと平和条約を締結しようとしているのだから、プーチン大統領にとって千島列島方面で気がかりなのは、アメリカ軍の動向だけということになるのである。