「北欧ってなんだか素敵」なイメージをぶち壊すノルウェーの話題といえば、「野生オオカミの殺処分」ではないかと思う。
ノルウェーでは毎年、冬の狩猟解禁の時期になると、ノルウェーに生息する約100頭の野生オオカミをどれだけ射殺して駆除するかで、国会を揺るがす議論が起こる。
1月8日、オスロにある国会前では、ノルウェー政府に対して「オオカミをもっと射殺せよ」と訴えるデモが行われ、約1万人が集まった。
12日、同じく国会前では、「オオカミを射殺しないで!私たちは共存できる」と主張する人々が約6千人集合。デモは全国各地で行われ、合計約7千人が集まったとされる。
長く続いてきた、他国の人には簡単には理解しづらいであろう議論をシンプルに説明するとこうだ。
●ノルウェー環境管理局によると、野生動物に殺されたとみられるヒツジは2018年で16731頭。
●羊を襲った野生動物とその被害数は
クズリ 5410頭
オオヤマネコ 2789頭
オオカミ 2604頭
クマ 2392頭
不明 2304頭
●農家が失った羊のうち、オオカミに襲われたのは16%。しかし、羊を襲ったほかの野生動物が、オオカミと同じようなレベルで社会議論になることはない。
●ノルウェーのヒツジの数はおよそ200万頭で大きな増減はない。
●ノルウェーで現在確認されている野生オオカミは合計115~116頭。そのうち、隣国スウェーデンとの国境を行き来するのは45頭、ノルウェー国境内では70~71頭(統計はノルウェー野生動物データより)。最新の12月調査ではノルウェー国境内でのオオカミは67~74頭。
●ノルウェーで過去に野生オオカミに殺された人間は、200年以上前に1人という記録あり。
●2017/2018年の狩猟期間に射殺処分されたオオカミは31頭。これほど多くの数を殺したのは1919年以来(ノルウェー統計局SSB発表)。
ここまで、真面目に「数字」で「事実」を記した。
しかし、ノルウェーでのオオカミ議論では、実は「数字」は最も重要なものではない。
これは私がノルウェーでのオオカミ議論を何年間も調べてきた結論だ。本当は本を1冊書き上げたいくらいに語りたいことはあるのだが、頑張って簡単にまとめてみる。
データはなく、価値観の対立が問題
ノルウェーでは、「オオカミは人間に被害を与える動物と言えるのか」、「羊を殺すのはオオカミだけではない。人間もだ」という主張は、まともに通用しない。
なぜなら、この問題は「首都VS地方」の価値観の対立なのだ。オオカミはその対立のシンボルになってしまっている。誰もが感情的になり、冷静な議論が難しく、口喧嘩とののしりあいになる。
今年の対立のポイントはこうだ。
● 2018年クリスマス前に、政府は29頭のオオカミの射殺を許可。そのうちの3頭は、「オオカミゾーン」(オオカミの生態が尊重される区域。これまではこのゾーンでの射殺は許可されていなかった)に生息する。
●ノルウェーでは、オオカミを射殺した場所がオオカミゾーンの「外」(人間や家畜など重視)か、「内」(オオカミ重視)かの区別が重要となる。
● オオカミゾーンの「外」での狩猟は、クリスマス直前から。ゾーンの「内」での狩猟は1月から。
● ノルウェーでは、「殺処分賛成派」と「反対派」に、世論が真っ二つ。
● 殺処分賛成派は、29頭は少なすぎで、もっと射殺すべきと考えている。
● 反対派は、100年以来の大規模で残虐な動物虐殺であり、オオカミゾーン内で狩りが許可されたことも我慢ならない。
オオカミの子どもが毎年生まれるため、増えすぎないように、毎年どれほど射殺していいかを、ノルウェー国会と政府は話し合う。
死亡者ゼロ、オオカミを襲う羊
まだ狩りに慣れていない若いオオカミは、羊を襲いがちだ。羊農家は怒り、血にまみれて殺された羊の写真は、SNSやメディアでクリック数を稼ぎやすいゴシップネタとなっている。
ノルウェーでは羊は自由に放し飼いにされていることが多く、柵の中にいるわけではなく、農家も常に監視していない。つまり、羊は勝手に崖から落ちることもあれば、ほかの野生動物に襲われることもある。でも、羊を放し飼いにしている農家の自己責任が議論になることはまずない。。
100頭前後は「多すぎる」?「少なすぎる」?
殺処分に反対する人たちは、オオカミが「絶滅危惧種」だと主張するが、オオカミを嫌う人々にとってはそうではない。彼らは、オオカミの数はノルウェーだけでなく、北欧全体(主にノルウェー、スウェーデン、デンマークのスカンジナヴィア3か国)で捉えるべきだと主張。ノルウェーでオオカミがいなくなっても、隣国スウェーデンにオオカミがいるのであれば、それで十分だと考える。
住民の「怖い」という感情は殺処分に十分か?
オオカミに殺された人は、この200年はいない。しかし、オオカミ生息地の近隣に住む人々が「恐怖」を感じているのだから、射殺する理由としては十分だという意見もある。
国会では、与野党の大多数が大規模な殺処分に賛成している。「右派・左派」で考えるのではなく、「大政党・小政党」で考えると分かりやすい。大政党はオオカミ射殺派、小政党は保護派の傾向がある。
「オオカミ殺処分派」の「農家」や「地方」の代表といえば、左派で第二の規模を誇る野党「中央党」だ。現在の政府は右派連立政権。今年は9月に統一地方選挙があるため、各党は地方票をとろうとオオカミ議論で立場を明確に表明する。
「首都」と「地方」の対立のシンボルとは?
オオカミが嫌だという人は羊農家だけではなく、農業分野の関係者やオオカミが生息する「地方に住む人々」が多いとされている。
「オオカミと人間は共存できるよ、これ以上殺さないで」と考える農家や地方在住者もいるが、この人たちはバッシングをくらうことなどを恐れて、立場を表明しないこともある。
オオカミ保護派は、オオカミが生息していない地域、つまり「首都や大都市に住んでいる人々」=「エリート」という考え方がある。
これはノルウェーにある「中心・周縁」という価値観・考え方と、「エリートは誰か」議論につながる。
「中心」=首都や大都市に暮らしていて、地方や田舎の暮らしを理解していない人。高学歴・高収入・社会的に影響力などをもつ大政党・政治家・メディア・金持ち・企業のトップなどのエリートや権力者。肉より野菜を食べよう・車よりも自転車で動こうなどと主張する「グリーン」な考えの人たちなども含む(「緑の環境党」など)。
「周縁」=農家など地方に住む人々。「中央党」に投票するのが好きな人たち。移動手段は車や飛行機を好み、オスロ中心の環境・気候変動対策などに時に消極的。社会的な決定権や影響力をもたない人たち。
オオカミがいる地域に住む「周縁」の人々は、オオカミが近くにいる「恐怖」を知らず、農家の苦労も知らないような「オスロのエリート」(国会の奴ら)たちに好き勝手に決められることを嫌う。
地方派からすれば、オオカミとの共存を語る「都会の奴ら」は、「夢の国に住んでいる理想家たち」だ。
「射殺派」は、国会や政府がオオカミを積極的に処分する姿勢を見せないと、「地方在住者」や「農家」を軽視していると判断する。
その「都市」と「地方」の対立のシンボルが、オオカミだ。だから、オオカミに関するどんなデータがあろうと、ここでは関係ない。オオカミは「安全か・危険か」、「多すぎるか・少なさすぎるか」ということも、「事実」はその人の「立場」によって違う。両者は互いに、自分たちは正しく、相手は間違っていると思っている。
とはいえ、国会の大多数がオオカミをもっと射殺することを許可しても、政府は他国との協定なども考慮しなければいけない。「怖いから」という住民からの訴えだけでオオカミをバンバン処分することはできない。
両者の言い分をくみ取った妥協の結果が100頭前後
結果、オオカミ議論は毎年起こっては、両派の主張の「間」をとった「妥協策」に収束する。概ね、生息数が100頭前後になるように決まっていく。
一方で、正直、私はどうしてもノルウェーでいう「首都に住む夢見たエリート派の考え」の人間だ。「人間を殺しても、襲ってもいないなら、射殺しなくてもいいのでは……」なんて、綺麗ごとを思ってしまう。
ちなみに、ノルウェーで場の空気を壊さずに、中立のふりをしたい場合は、「両者の言い分、どちらもわかるよ」と言えばよい。
1月初旬に行われた、オオカミ嫌いの人々のデモを撮影する中、「オオカミがいないノルウェーの自然を!」と何度も叫ぶ人々を見て、「おぉ……」とドン引きしてしまった。人間って、自分勝手な生き物だ。
一方で、価値観対立のシンボルでもあるオオカミ議論は、ノルウェーという社会の複雑性を考えるのには、とてもいい題材となる。この対立はこれから何年も続くのだろう。
Photo&Text: Asaki Abumi