「むさしのドリームジャカルタ行き」
インドネシアの鉄道といえば、日本の中古車両の活躍を思い浮かべる方が多いかもしれない。海を渡った1000両近くが再び活躍している。始まりは2000年。都営地下鉄三田線を走っていた72両が、インドネシア国鉄に無償で譲渡された。1997~98年にアジアを襲った通貨危機の影響を受け、インドネシアは新車を買うお金を節約したかったのだ。日本側にも、使わなくなった車両を解体する費用を節約できるメリットがあった。日本で30年ほど働いていた車両だが、鉄道の専門家によれば、メンテナンス次第で、さらに15年ぐらいは走れるという。
活用しているのは、「インドネシア通勤鉄道会社(KCI)」。首都圏で6路線を運行するインドネシア国鉄の子会社だ。保有する約1000両のうち、新車は12両だけ。地元の国有企業INKA製だ。残りはすべて日本の中古である。JR東日本の205系を中心に、東京メトロや東急電鉄で使われていた車両もまじる。
車体は、赤と黄色に塗り替えられているが、車内に入ると「日本」を感じる。つり革、座席、扇風機、棚、消火器に残る漢字……。私が乗った車両には「神戸 川崎重工 昭和52年」と書いてあった。西暦でいえば1977年。40年余り前に作られたものだ。乗り心地は悪くなかった。
いっぽう、車内に張られた禁止事項のなかに、ドリアンの持ち込みが含まれているのは、熱帯の国らしい。車内を巡回する警備員の姿も目をひく。スリ対策であり、乗客が車内で騒いだり床に座ったりしないように注意する役割もあるという。
中古ながらも日本製の導入の成果は、車両の不足を補うだけにとどまらなかった。冷房がきいた車両はジャカルタの鉄道の風景を変えるのにも一役かった。屋根に上ったりドアにぶら下がったりしていた乗客の姿は消えた。車内が涼しくなったからでもある。首都圏には人口の1割を超す3000万人が住み、郊外からの通勤も増えている。朝夕はラッシュで混み合う。男性との接触を嫌う女性が不愉快な思いをしないように、2010年には女性専用の車両を投入した。日本のように時間を限るのではなく、先頭と最後尾の2両は終日、女性だけが乗っている。
日本側でKCIとの連携に力を入れている鉄道会社は、JR東日本だ。今春、武蔵野線を走っていた205系が「むさしのドリームジャカルタ行き」という行き先を表示して海を渡った。今年中に通算約千両を納め、2020年までに200両が加わる。譲渡価格は明らかにしていないが、無料ではないそうだ。15年から社員ひとりを出向させ、車両のメンテナンスや部品の確保など技術支援も始めた。
2代目にあたる鈴木史比古さん(46)をジャカルタのKCI本社に訪ねた。群馬県・高崎車両センター副所長から17年6月に赴任。妻と小学生の娘も一緒だ。出発前に3カ月間、インドネシア語の特訓をうけ、現地でも個人レッスンを続ける。社内でも同僚とのコミュニケーションはインドネシア語を使う。昼食のお気に入りは本社近くのジャワ料理の店。約200円で、ごはんと甘辛い地元料理を食べる。にこにこ楽しんでいる様子ながら、ひとりしかいない日本人社員として、地元になじむ努力を積み重ねるひたむきさが伝わってくる。
「実は来る前、もっとルーズな所があるのかな、と思っていましたが、いったん決めたら、やりとげる力はすごいんです。チームワークもとてもいい」と鈴木さん。年間の輸送人数が17年、初めて百万人を突破した。約10年前に発足し、30歳以下の社員が7割を超える若い会社だ。社員の数はここ5年で2倍以上に増えた。一体感を高めるために社員が一緒に遊園地に遊びに行ったり、創立記念日のイベントでは綱引きをしたりするそうだ。どこか、かつての日本の会社に似ている。
鈴木さんは、4つある車両基地と本社を行ったり来たりしながら、不具合がでた車両の原因究明や対策に取り組んでいる。「日本から学んで、故障が減ったり車両が扱いやすくなったりしたよと頼りにされると、ほんとうにうれしい」。KCIの社員を日本に派遣し、研修もしている。同僚で広報課長のアドリさん(32)によると、インドネシアでは車掌も運転手と一緒に先頭車両に乗っていたが、KCIでは日本のように後ろの車両に乗って扉の管理や乗降客の様子をチェックするように変わった。車両の編成が長くなるにつれて必要性を実感したからだという。ほかにも、車いすでもスムーズに乗車できるスロープや案内の表示など、日本から取り入れたことは技術以外にも少なくない。
日本の鉄道ファンには、気になる話がある。インドネシア政府の高官が中古車両の導入をやめる方針を幾度となく口にしているのだ。今年に入って、早ければ19年を最後とするという発言もあった。自国企業のINKA製の新車を導入する狙いだともいわれる。INKAは国内の鉄道に限らず、バングラデシュなど途上国を中心に車両を輸出するようにもなっている。地場の企業を育て働く場所を確保することは、どの国の政府にも共通する政策だ。通貨危機から20年が過ぎ、いつか新車に転換してくのは、経済成長を続けるインドネシアなら当然ともいえる。
私自身も車内に残る日本語の表示の写真を撮りつつ、インドネシアの人々はどんなふうに感じているのかな、と少し心配になった。日本で引退した車両が、再び市民の足として活躍する姿を見るのはうれしい。だが、逆の立場だったらどうだろうか。かりに、日本が戦後しばらくたっても、財政上の理由から米国から引退した車両を安く譲り受ける状態が続いていたとする。そこへ米国人観光客がやってきてはしゃいで写真を撮っていたら……?うーん。ジャカルタに住む友人は「気にしないよ、便利なら」と笑って断言するのだが……。
日本製中古車両の導入廃止について、アドリさんにきいてみた。「広報担当としては、情報を持っていません。現時点ではっきりと伝えられていないということは、実際に新車を入れるにしても少し先の話になるのではないでしょうか」と話す。そのうえで、「どんな車両が入ってくるにせよ、日本製の車両の質になじんだ乗客のニーズを満たせるものであること、同時に新車の導入が運賃の大幅な値上げにつながらないようにしてほしい」。たしかに、多くの人が気軽に乗れる運賃を設定することは、公共交通には極めて重要だ。
ジャカルタをふくめて東南アジアの首都圏は、経済が発展しているわりには交通インフラの整備が遅れた都市が多い。バンコクでは資金不足で工事を中断した高架鉄道の橋脚が20年を経ても無残な姿で放置されている。英国の著名な巨石遺跡をもじって「通貨危機のストーンヘンジ」と皮肉られている。ジャカルタでも発見した。頓挫したモノレールの橋脚が中心部の道路に突き刺さっていた。解体する費用が惜しいのだろうが、あの危機が財政に与えた影響がいかに大きかったか、しのばれる。
渋滞は、ジャカルタの悪名高き日常だ。スマホで予約できるバイクタクシーが身近な足として走り回っているとはいえ、適した距離は限られる。お年寄りや体の不自由な人はバイクには乗りにくいだろうし、私も怖くて乗れない。郊外からでもいっぺんに多くの人々を運べる鉄道がもつ意味は大きい。
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次回は、日本の援助で来春、インドネシアで初めて開通する地下鉄と中国の協力でゆっくりと建設が進み始めた高速鉄道について、報告します。