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冷戦を終わらせた二重スパイ 英国のベストセラー

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
外山俊樹撮影

ベン・マッキンタイアーの『The Spy and the Traitor』はスパイ中のスパイといわれたロシア人、オレグ・ゴルディエフスキーの伝記である。父も兄もKGBのスパイというはえぬきエリートのゴルディエフスキーは、当然のようにKGBに就職(妻もKGB職員)。だが全体主義に幻滅し、プラハの春におけるソ連軍の蹂躙に恐怖を覚える。出版物を通じて西欧の自由を知った彼は母国の体制変換を夢見て、1974年転勤先のコペンハーゲンで英国秘密情報部MI6のスカウトを受けいれて二重スパイになる。その後彼は出世し晴れてロンドンのロシア大使館に着任。この時のMI6の喜びは想像に余りある。

彼のスパイ活動がユニークだったのは、ソ連の秘密情報を英国にもらすだけではなかった点だ。83年のソ連を「悪の帝国」視するレーガンの発言から、大韓航空機撃墜事件で高まったソ連敵視論、そしてゴルバチョフ書記長の登場を経て86年のレイキャビク首脳会談まで、東西緊張曲線がなだらかな下り路線を描いてゆく背後には彼がいた。

 83年前後の緊張はアンドロポフ書記長のパラノイアが原因という分析を送ってワシントンを安心させ、ゴルバチョフとサッチャー首相の初会談の前には、両者の性癖・言動傾向・議題の落としどころなど、KGB情報をMI6へ、MI6情報をKGBへ流して会談を成功に導き、サッチャーから「ゴルバチョフとならビジネスができる」という有名な発言を引き出すことになる。

しかし何者かが、彼が二重スパイらしいとモスクワに洩らす。すぐさまモスクワは彼を呼び戻す。彼は死を覚悟して帰国するが、ここでMI6の大がかりかつ前代未聞の(そしてやや滑稽な)レスキュー作戦が発動する。ゴルディエフスキーがどうやってロンドンまで逃げ出すことができたか、本書のなかでもページを繰る指が早まる部分だが、ここで述べるには字数が足りない。

二重スパイになる動機の大半は金銭で、彼のように信条に突き動かされるケースは稀らしい。ともあれ、彼の功績は大いに評価され、エリザベス女王から勲章を授かった。だが、スパイはスパイとして死ぬしかない。80歳になった彼は今も英国のどこかで匿名で暮らしている。85年のソ連軍事法廷(欠席裁判)で下された死刑宣告は解除されていないのだ。

 

ゴルディエフスキーが二重スパイであることを誰かが密告した点について先に触れたが、密告者は何と米国CIAのスパイだった。その前提となる経緯は次の通り。MI6はゴルディエフスキーから得た情報を、西側の一員の義務としてCIAにも伝えていたが、情報源は秘密にしていた。情報は共有するが情報源は開示しない、というのが国際諜報機関の最後のプライド、ないしは優越感の維持に必要な態度なのだ。しかし、CIAはどうしても知りたい。大統領に報告するときなど、情報源を尋ねられて知りませんというのはみっともない。そこでCIAは仲間であるはずのMI6を探査し、ゴルディエフスキーがそのソースであると突き止めた。とりあえずCIAはそれだけで満足する。MI6の裏をかいてやった、という満足の仕方である。

ところがこのあと、CIA幹部のなかにエイミズという贅沢三昧ゆえに常時金欠の男がいて、彼がワシントンのロシア大使館にさまざまな秘密を売りにゆく。彼は手付け金50万ドルを受け取り、その後数年間で4億円超を稼ぐ。彼が売った秘密のなかに、ロンドン在ゴルディエフスキーの名前があった、それが暴露の発端だったのだ。

それにしても、エイミズが売ったロシア人二重スパイのほぼ全員が処刑されているのに、その一人であるゴルディエフスキーがそれを免れたというのは奇跡的。一方このエイミズはその後反逆罪で逮捕され終身刑をくらい、現在もアリゾナの刑務所で服役中。KGBCIAの、それぞれ裏切り者ではあるけれど、理想を追ったゴルディエフスキーと金に目がくらんだエイミズの行き着く先の相違は皮肉でもある。

本書の著者マッキンタイヤは2014年に『A Spy Among Friends』(『キム・フィルビー:かくも親密な裏切り』中央公論新社)という作品を書き、これもベストセラーになっている。その主人公キム・フィルビーは英国上流階級の出身だったが、共産主義に心酔してソ連のスパイとなり、後にMI6に就職して二重スパイとなった。つまり、ゴルディエフスキーとは合わせ鏡のような関係にある。彼はソ連では英雄視され、記念切手にまでなった有名人。本書もいずれ翻訳されるでしょうが、その前に準備体操としてこちらの翻訳を読んでおくのも良いでしょう。 

英国人の目から見たベトナム戦争

Max Hastings Vietnam: An Epic Tragedy 1945-1975』(ベトナム:壮大な悲劇 1945-1975)。本書の著者マックス・ヘイスティングスは、1945年生まれのジャーナリスト・歴史家で、戦史を中心に26冊の、いずれも分厚い本を書いてきた。本書も700ページを超える重量級の作品である。なぜ今、英国のジャーナリストがベトナム戦争全史を書くのか? 25歳のときにBBCの特派員としてベトナム戦争をカバーし、その後ほぼ毎年同戦争の現地取材に出かけ、1975年のサイゴン陥落時、彼はあの報道写真で有名な、「米国大使館の屋上(後にCIA職員のアパート屋上と判明)」からヘリコプターで脱出した人々の一人だった。

彼はジャーナリスト人生の初期体験かつ彼の全人生に深い刻印を残した事件を、80歳になる前に「再訪」した。地理的な再訪だけではなく、古い資料の掘り返しだけでもなく、執筆までの3年間にベトナム戦争の生存者(アメリカ、ベトナム、フランス人など)100人以上にインタビューした。オーラルヒストリーをもふくむ、英国ベテラン・ジャーナリストによる悲劇の再構築である。これまでの主なベトナム戦史の著者はアメリカ人かフランス人だという。いずれも侵略者ないしは宗主国の書き手(自己正当化であれ悔悟であれ)だったから、第三者ヘイスティングスには傍目八目の利点があるのかもしれない。

戦記を書きなれた著者のペンによる生々しいアクションシーンにくわえ、当時の兵士や一般市民へのインタビューのおかげで、わたしたちにとっては40年前の白黒写真でしかなかった現場の人々の内面が浮きあがる。ベトナム民衆の意思とは無関係な力学、すなわち合衆国の内政・外交の要求、なかんずく中国封じ込めの意図によって引き起こされ長期化した戦争だと批判する一方、北ベトナムの残虐行為も詳細に描く。

第2次大戦中、ドイツ軍の残虐行為の犠牲者だったフランス。戦後そのフランスが、ナチスまがいのやり口でベトナムに暴行をふるう。しかし体力が続かなくなったフランスはアメリカに援助を乞う。アメリカはフランスに対し、ドイツの再軍備に反対しないことを交換条件の一部として支援。太平洋戦争での戦勝体験におごったアメリカは、楽勝を信じベトナムに突入してゆく。そして泥沼化。

著者は、ベトナム戦争もイラク戦争も回避できた無駄な戦争だったという。アメリカはベトナム戦争から充分に学ばなかったため、再度曖昧な大義を掲げてアフガンへ侵攻しイラクを攻撃した。悲劇の生々しい再描写につとめた著者の目的は、外国の土地に攻め入って人命を粉みじんにすることの大愚、とりわけ政治問題を軍事力で解決しようとする時代遅れの危険を、21世紀に伝えることだった。 

フェミニズムとピンク色の「親和性」

Scarlett Curtis Feminists Don't Wear Pinkand other lies)』(フェミニストはピンク色を着ない、その他様々な嘘)

表紙半分がベイカー・ミラー・ピンクというピンク色で塗られたこの本は、俳優や作家など五十数名の女性によるフェミニズムにかんするエッセイ集。「気づき」「怒り」「喜び」「行動」「教育」というふうに、フェミニズムというものの存在の気づきから、自分にとっての意味などを点検したあと、フェミニズムの歴史などより深い知識を得てゆくという、いわば意識の発展段階を追う構成になっている。

編集責任者のスカーレット・カーティスによる開幕のエッセイは、米国人フェミニスト、オードリー・ロードの言葉「感情は見識にいたる王道」で始まる。理屈ではなく感情に導かれるまま飛び込んだフェミニズム運動だった、とカーティスはいう。その後徐々に世界が見えてきて思考が熟し、書物をあさり、どういう行動を起こせばいいかがわかってきた。寄稿作品のほとんどが、正直に自分の感情をさらした親密な作品であり、ある意味でこの開幕エッセイは、本書の基調報告といえる。

ロックバンドU2のリーダー、ボノの娘、ジョーダン・ヒューソンの寄稿も興味深い。父親ゆずりのパワフルなステートメントだ。わたしたちが世界を、経済・社会・政治の構造を見たとき、それらがセクシズムを支えていることがわかる。つまりセクシズムは文化になってしまっている。ところがそれは隠された文化であり、そこで闘う女性たちは暗闇のなかでの格闘を強いられる。今大事なのはセクシズムを可視化することだ。セクシズムとは既成権力を維持するためにうまく身を隠すカメレオンなのだ、暴きだそう、と彼女は訴える。

「I Weigh」(@i_weigh)というインスタグラムを始めた俳優、ジャミーラ・ジャミルの「母よ、姉よ、叔母よ、このスポンジを使って、彼を人間性と女性理解でびしょ濡れにせよ」と始まる『彼に伝えよ』という散文詩的なエッセイも力強い。(ちなみに「I Weigh」というインスタグラムは、体重やら見かけだけで女性を評価する風潮に反抗するムーブメント。「インスタ映え」とは逆に、飾らない自分をさらけだす、素顔の写真に加え赤裸々な情報をふくめた属性の発信場所)

さて、ベイカー・ミラー・ピンク(Baker-Miller Pink)について再度付言。アレクサンダー・シャウスという生物社会学者は、この色にのみ心拍数や呼吸をおだやかにする鎮静効果があることを発見。シアトルの刑務所の壁をこの色に変えたところ、囚人の暴力的行動が減ったという。フェミニズムとは家父長制社会との戦いでもある。そこに内在する暴力除去をめざすフェミニスト・ムーブメントと、ピンク色で暴力性を緩和しようと試みる生物社会学の親和性を、編集者は最後に語る。70年代の中ピ連のヘルメットもピンク色だったが、あれとは色合いの異なる主張、かくしてこの表紙、このタイトル。

英国のベストセラー(ハードカバー・ノンフィクション部門)

10月20日付The Times紙より

1 A Better Me

Gary Barlow ゲイリー・バーロウ

英国のポップグループ、テイク・ザットのメンバーによる自伝

2 Guinness World Records 2019

Guinness World Records ギネス・ワールド・レコード

ギネス世界記録の2019年版

3 The Spy and the Traitor

Ben Macintyre ベン・マッキンタイアー

KGBのスパイから英国との二重スパイに転じたロシア人の伝記

4 Erebus: The Story of a Ship

Michael Palin マイケル・ペイリン

フランクリン海軍大佐が指揮したエレバス号北極海探検航海の記録

5 Step By Step

Simon Reeve サイモン・リーヴ

120カ国を旅したテレビの人気プレゼンターによる旅行記

6 Feminists Don’t Wear Pink (and other lies)

Scarlett Curtis スカーレット・カーティス

有名無名の女性五十数人によるフェミニズムに関するエッセイ集

7 Jamie Cooks Italy

Jamie Oliver ジェイミー・オリヴァー

シンプルだけど本格的なイタリア料理140

8 Ottolenghi SIMPLE

Yotam Ottolenghi ヨタム・オットレンギ

イスラエルの料理家が10以下の具材で30分以内にできる献立を紹介

9 Vietnam: An Epic Tragedy 1945-1975

Max Hastings マックス・ヘイスティングス

1975年のサイゴン陥落を体験したジャーナリストによるベトナム戦争全史

10 21 Lessons for the 21st Century

Yuval Noah Harari ユヴァル・ノア・ハラリ

21世紀の環境破壊、仕事、政治的チャレンジ等々にどう取り組むか