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カンボジアから日本へ 緊急支援と鎮魂

トッケイ7回鳴いたかな。
シェムリアップで開かれた支援バザーの会場には、訪れた人たちのメッセージがはりだされた。国際的な観光地で日本語を勉強しているカンボジア人も多く、日本語のメッセ―ジも多い(木村文筆者)

今年7月、日本では西日本中心に襲った豪雨で大きな被害が出た。ここカンボジアでも、日本に思いを寄せるカンボジアの人たちがフェイスブックでニュースをシェアしたり、自分のプロフィール写真に「Pray For Japan」というフレームを使ったりして、一日も早い復興を祈ってくれた。

思い出すのは2011311日、東日本大震災のことだ。

当時私はすでにカンボジアに住んでいた。実家は神奈川なので大きな被害に遭ったわけではないが、テレビやネットで刻々と伝わる被災の状況に深い衝撃を受けていた。

東北・山形は、私の新聞記者としての初任地だった。岩手、宮城、福島にくらべて山形の被害は比較的小さく、支局時代に知り合った友人たちは我が身をかえりみることなく、それぞれ支援活動に走り出していた。まさに不眠不休。持てる体力と人脈と知恵のすべてを出し切って被災地へと向かう友人たちの鬼気迫る表情が目に浮かぶようだった。

東日本大震災の被災地で小学校体育館に積み上げられた泥だらけのランドセル=2011年4月、宮城県名取市、筆者撮影

私はカンボジアにいて、何もできなかった。在住の日本人たちと情報を共有するぐらいだった。そして、海外で祖国の被災を知るということが、私たちの心にどんな影を落とすのかを体験した。テレビのニュースを見てどんなに胸を痛めても、「当事者」にはなれないというある種の引け目、祖国の大惨事にあってつらさを分かち合えないという思い。もどかしさが募った。

でも、もし「あのとき海外にいてよかった」と思えることがあるとしたら、それはカンボジアの人たちの心に触れることができた、ということだろう。

311日の震災発生から約2週間後の327日、カンボジアでは57人の僧侶による盛大な法要が開かれた。日本に留学したことのあるカンボジア人でつくる元日本留学生協会などが主催する、被災で命を落とした人たちの鎮魂法要だった。オレンジの僧衣をまとった僧侶たちが並び、荘厳な読経がホールに響いた。カンボジアの人々が次々と僧侶の前にかしずき、祈りをささげた。

私は、カンボジアの人々が何を大切に思っているのかを目の当たりにした。

震災から2年、カンボジアで開いた講演会にはたくさんのカンボジア人が訪れてくれた(撮影筆者)

世界中が生存者のための緊急支援に集中しているこのとき、カンボジアの人たちが真っ先にしたことは、亡くなった人たちの魂に深い祈りをささげることだった。緊急支援と鎮魂。比較できることではない。ただ私は、「死者の無念さ」に当然のように思い至るカンボジアの人たちの深い精神性に心を打たれた。義援金も必要、緊急援助物資も必要。でもそれらと同じぐらい、犠牲者の鎮魂を祈ることが必要だと思うカンボジアの人々の心の豊かさに、感動した。

そして死者のために祈るという行為は、実は、生き残った私たちの心をなぐさめることにもつながっていた。これまで見たこともないような災害や、理不尽な人の死を目の当たりにして傷んだ心に、目には見えない彼らの祈りが温かくしみわたった。祈りとは、生き残った私たちのためにもあることに、そのとき私は初めて気づかされた。

震災から2年後、カンボジアで朝日新聞記者を招いて震災講演会を開いた

カンボジア北西部の町、シェムリアップでも忘れられない光景に出会った。

2011320日、シェムリアップの在住日本人が中心になって、震災被災者支援のバザーが開かれたときのことだ。麦わら帽子をかぶったおばさんが、被災地の様子を伝えるモニター画面にくぎ付けになっていた。現地に住む友人が教えてくれた。「おばさん、きょうは一度もソムローイ(お金をください)って言わないんだ」。このおばさんは、いつもはこのあたりのごみ拾いをしていて、外国人を見ると「ソムローイ、ソムローイ」というのだという。「そのおばさんがね、今日は2000リエル(約40円)でバザー品を買っていったのよ。日本人のために、と言って」。肩のあたりが擦り切れたシャツを着たおばさんは、まだモニターに見入っていた。

シェムリアップで開かれた支援バザーの会場には、訪れた人たちのメッセージがはりだされた。国際的な観光地で日本語を勉強しているカンボジア人も多く、日本語のメッセ―ジも多い(撮影筆者)

カンボジア国内からの日本への義援金は、在カンボジア日本国大使館などに2400万円余りが集まった。順調に経済成長しているとはいえ、まだまだ貧しい人が多いこの国で、「被災した日本人のために使ってほしい」とこれだけのお金が寄せられたことは驚きだった。5ドル札(約500円)を握りしめてやってきたバイクタクシーの運転手は、「ほん少しですが、心の底から悲しみを分かち合いたいと思い寄付します」という手紙を託した。金額もさることながら、一件一件の義援金に忘れてはならない思いが詰まっていた。

人災であれ天災であれ、大規模な災害に直面するたびに、生きることとは、つまるところ分かち合うことだと感じる。困難な状況に陥ったとき、人を救うのは人なのだと感じる。そしてそれは、自分が助けられる側になって初めて、身に染みることなのだと知った。あのとき差し伸べられた手の温かさ、忘れることなくこの国で暮らしていきたいと思っている。