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「選挙で勝てばすべて決められる」と考えるポピュリズム 抑制するシステムはあるか

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オーストリア自由党のシュトラッヘ党首=2017年10月、ウィーン、吉武祐撮影

「朝日地球会議2018」 連続インタビュー企画④古賀光生・中央大学准教授に聞く ポピュリズムを「民主主義ならではの現象」「民意を反映する手段」ととらえ、一定の評価を与える見方は少なくない。しかし、オーストリア政治を中心とした比較政治を専門とする中央大学の古賀光生准教授は、ポピュリズム政治が持つ危険性を明確に指摘する。ポピュリズム研究の若手第一人者として注目を集める古賀氏に、その分析と見解を聴いた。(聞き手=GLOBE編集長・国末憲人、敬称一部略)

――ポピュリズムとはどのような概念なのでしょうか。

「ポピュリズムを一つの思想としてとらえることができるとすると、二つの特徴があるように思います。一つは、『人々が決める』『投票で決める』という点です。もう一つは、物事を決めるうえで『民意』というものが一枚岩で決まっていると考える点です」

「投票重視の点で見ると、その反対側にあるのが『投票以外の要素もあるんだ』という考え方で、立憲主義はその例です。議会で多数を得ても、それを拒絶する憲法裁判所などの制度が整えられている。選挙で選ばれたわけではない人が政策決定に強くかかわるという面では、ある種のエリート主義の面を持っています。一方で、多数決だけでは侵害し得ない領域をしっかりと確保することによって、少数者の保護が可能になる。『憲法裁判所で否決されるような法案はそもそもつくらない』となって、議会の好き勝手な活動を抑止することにもなる。その意味で、ハンガリーのポピュリスト政権が憲法裁判所の権限を弱めようとするのは、まさに象徴的な出来事でした」

「ポピュリズムと立憲主義との違いは、例えば中央銀行の金融政策をどうするかという議論にも表れています。『それは、投票では決められない』と考えるのが大陸ヨーロッパの規範です。専門知に対する信頼性に基づいてのことですが、ポピュリズムの考え方だと『選挙で勝った勢力が総裁の首をすげ替えて勝手にしていいのだ』となる」

「ポピュリズムは『みんなの利益はある程度決まっているのだからそれを実現すればいいでしょう』との立場を取り、選挙や住民投票でその代表的な意見を決めようとします。投票で勝てば、一枚岩のみんなの利益を我々が代表することになる。それを推し進めることこそが民主主義だ。そんな考え方ですね。選挙で勝った我々がすべてを決めてこそ民主的だ、というわけですが、そこからは『人々の意見は多様だ』という意識が抜けています」

古賀光生・中央大学准教授=国末憲人撮影

■「民意は多元」の考え方

「その対極にあるのは、『民意とは多元的なのだ』という考え方で、多元的だからみんなで話し合いましょう、という姿勢です。多元主義でも、アメリカの場合は『利益集団多元主義』です。様々な団体が勢力に応じて、強調したり妥協したりしながら政治的利益を実現する。その場合、本来の多元主義よりもやや『民意の反映』の度合いが強いように思えます」

――ヨーロッパの場合はどうでしょうか。

「ヨーロッパ型の議会制民主主義には、多元性を前提としつつ、話し合いの中で共通の国民的な利益を練り上げていこうとする意識があります。その場合、ある程度能力と熱意を持った人を代表者と定め、彼らの良識や知識を生かして共通の利益を探る。だから、単純に多元性を主張するだけでなく、そこから共通性を抽出する。それが、ドイツやオランダ、ベルギーといった国で見られる比例代表的な多党制民主主義のシステムです」 

パリのフランス大統領府で、首脳会談を終えて記者会見するマクロン大統領(右)と英国のメイ首相。両国では選挙での意見の集約方法が異なる=2017年6月、パリ、青田秀樹撮影

「イギリスの場合、選挙の前に政党がある程度意見を集約して、選択肢を提示してしまう。その中のどちらを民意が選ぶか、というシステムです。保守党と労働党が二つの対立するビジョンを示す営みは、多分にエリート主導となるだろうと思います。そして、選ばれた民意をそのまま、5年の任期の間に実現していく」

「フランスの場合は、多様な人物が大統領選に立候補します。『好ましい意見』を先にエリートが集約するのでなく、民意をうかがいながら進む過程で最終的に二つの選択肢が残り、そこから国民が選ぶ仕組みです。二つの内の勝った党に多くを委ねるイギリスに比べ、フランスには普段から『民意を一つにまとめていこう』とする意識が強いように思います」(=図)

「利益の多元的反映か、一元的集約か」「専門知への信頼か、民意の反映か」を軸にポピュリズム、多元主義、エリート主義を図式化すると(古賀准教授作成)

――そうすると、日本はどのような位置づけになりますか。

「国政選挙は小選挙区比例代表並立制なので、選挙の後に『みんなで話し合って決めましょう』という方向にはなりづらいですね。むしろ『選挙で勝ったのだから後は何を決めてもいい』といった方向に流れやすいと思います」

「議会の決定を制限する存在として、通常は憲法裁判所や裁判所の違憲判決、あるいは業界団体の活動などがあるわけですが、日本でその役割を果たしてきたのは霞が関の官僚です。彼らの言い方をすると、『選挙で勝った人たちの好き勝手にブレーキをかけてきた』わけです。逆に、選挙で勝ったら官僚の人事を左右できるとなるとどうなるか。これは『政治主導』としてある程度肯定的にとらえられていますが、ポピュリズムが育ちやすい仕組みともいえます」 

霞が関の官庁街と国会議事堂(奥)=2017年1月、角野貴之撮影

「日本がモデルにしているというイギリスの場合、政党内でバランスを保って意思を決定するシステムができあがっており、経験の積み重ねもあります。日本の場合、そのようなシステムが確立されていません。仮にイギリスのように二大政党制になったとしても、各政党の内部でどのようなルールに基づいて意思決定がなされるのか。健全な政党を育てるには、党内のガバナンスをしっかり確立し、きちんとしたルールをつくらなければなりません。日本の場合にはそこが欠けています。意思決定の透明性や、そうした場に参加できる保障などが怪しいまま、政党に権力が集中する選挙制度を導入している。そうなると、『投票で勝ったら何をしてもいい』といった方向に振れやすいし、事実いまも振れています。それがポピュリズムと呼べるかどうかはわかりませんが、少なくともポピュリズムを悪用できる状態にはなっています」

――ポピュリズムについては、「民主主義と表裏一体」「民主主義ならではの現象」といった見方が少なくありません。

「『ポピュリズムは民主主義そのものだ』といった誤解が広がっているのでは、と危惧します。それは、得票が一番多い人が勝ちで、一番の人は何をしてもいい、といった主張になりかねません。でも、それだけが民主主義の要素ではない。投票で決めることは大事ですが、投票だけですべて決めていいわけでもないのです。『民主主義イコール多数決』ではない、というところをしっかり認識する必要があると思います。投票ばかり重視すると、デモクラシーの足場が失われてしまう。現代民主主義は、投票と投票以外の部分のバランスで成り立っているのです」 

■「民主主義=多数決」ではない

「投票で決める部分が多いほど、ポピュリストは勢力を拡大します。逆に、投票だけでは決められないという部分がちゃんと制度に埋め込まれている国だと、選挙でポピュリストが勝っても、その後で規制ができる。具体的には、例えば最初から過半数を取る政党が現れにくい比例代表制、つまり『投票はするけどそこですべてきめるのではない』制度だと、ポピュリストが完全に権力を掌握するケースは少ないのです。ポピュリズムと対置する概念は『立憲主義』ですが、こうした制度は立憲主義に立脚しています」

「選挙は、小選挙区制であれ比例代表制であれ、どこかで意見集約をしなければなりません。ヨーロッパ大陸型の比例代表制は、投票した後で様々な意見を議会の場に出して、交渉して多数意見を練り上げていきます。逆に、選挙をするまえに意見を集約して投票にかけるのが、イギリスに見られる小選挙区制です。ただ、イギリスのように歴史に厚みがあり、明文化されていないルールも尊重するシステムが確立されていればいいのですが、同じ小選挙区制を新興民主主義国で導入すると、『小選挙区で勝てばいいでしょ』『3分の2を取ったら、憲法を変えていいでしょ』『変えたら、憲法裁判所を停止していいでしょ』と、際限なく物事が決められていく。『決められればいい』というポピュリズムの論理に引きずられかねません。もちろん、民主主義の定着度によっても、その国がどのような制度を持っているかにもよっても、状況は異なります」 

米国の連邦最高裁判事に指名したカバノー氏(写真右)の演説をを見守るトランプ大統領=2018年7月、ワシントン、ランハム裕子撮影

「アメリカの場合、トランプが大統領になっても議会がすべて言うことを聞くわけではないし、最高裁判所も独立しています。大統領は判事を指名できますが、指名した後の判事が必ずしも言いなりになるわけではない。『得票がすべてだ』という人が出てきても、制度全体の中ではそれを規制する仕組みができています。ただ、ハンガリーやポーランドなどそうした仕組みが十分整備されていない国や、議会の権限が弱い国では、『投票がすべて』といった声が前面に出すぎ、しかもイギリスのような『それ以上はやっちゃいけないんだ』といった暗黙の了解もないので、歯止めがかからなくなってしまいます」

――そうすると、ポピュリズムは「投票がすべてだ」との主張を軸にしたイデオロギーだと位置づけることができるでしょうか。研究者の中には「ポピュリズムは民主主義に潜む問題を私たちに知らせてくれる存在であって、特定のイデオロギーではないのだ」と考える人も少なくないようですが。

「例えば『ナチスはポピュリズムだったのか』といった議論をするとしましょう。中核的な思想としてのポピュリズムとナチスは、同じではありません。『究極的には国民が決めるのだ』というイデオロギーがポピュリズムであり、ナチスの場合は『結局はエリートが決めればいい。そのエリートに全権を委任するのがデモクラシーだ』と考えています。このように、思想はかなり違うのですが、手法の面では類似点があります。ポピュリズムは政治手法に過ぎないと断定すると、ポピュリズムもナチスもやっていることは同じだ、となりかねません」 

■抑制する仕組みはあるか

「ポピュリズムに、民主主義の不備を警告する機能があるのは、確かです。例えばフランスの場合、大統領選の決選投票でマリーヌ・ルペンが30%以上取って衝撃を与えたわけですが、当選はしないのです。あるいは、仮に彼女が権力を握っても議会が仕事をさせない。そういう制度が整っていれば、ポピュリズムは『民主主義への警告』として機能します」 

ハンガリーのオルバン首相=2018年4月、ブダペスト、吉武祐撮影

「一方で、トランプみたいに権力を掌握してしまったり、さらにハンガリーのオルバン政権のように3分の2を取って、しかも制度的なブレーキがアメリカのようには利かない国だったりすると、ポピュリズムが警告にとどまらない恐れがあります。ヤン=ヴェルナー・ミュラー氏のように、ポピュリズムの概念をかなり拡張的にとらえ、ハンガリーやトルコのような場合を例に危険性を指摘する見方が、説得力を持つように思えます。重要なのは、そのようにポピュリズムを抑制する要素やシステムが用意されているかどうかです」

「極右的な思想を持っている人たちが権力を握りうる社会的なムードが高まり、それを制御する仕組みもないような状況にあると、『ポピュリズムは警告だ』などと言っていられない。ワイマール共和国からナチスの独裁まで行ってしまった例もあります。ブレーキが何重にもかかっている時とそうでない時とで、ポピュリズムへの身構え方も変わってくると思います」

――今年6月に東北大学で開かれた日本比較政治学会研究大会で先生の報告を聴いたのですが、印象的だったのはポピュリストの行動形態に関する分析でした。「ポピュリストはゲームがどのようなルールで運用されているかを熟知し、こうすれば勝てると見極めて戦略的に動いている」といった説明です。これも、ポピュリストの能力、ひいては危険性を示しているように思えます。

「問題は、そのルールがどうなっているかですね。オランダのように、どう工夫しても自分たちで一元的に権力を握ることができないゲームである場合、そのことまで理解して毒を抜いていけばいいわけです。その場合、リスクはそれほど高くない。逆に、うまくやれば権力を取れるというゲームの場合には、ルールの範囲でなんでもすること、例えば、ボールを奪われないために後ろで回すような行為も正当化されやすくなるように思われます」 

■「ズルすれば権力を取れる」懸念

「議会制民主主義の場合、選挙では敵と激しくぶつかり合っても、その後で敵と議会で交渉しなければならないものですから、厳しく攻撃しつつも一線は越えないマナーがかつてあったのです。例えば、『選挙民との一対一の対話が大事だからあまりメディアばかりに頼った選挙はやめましょう』とか。「マーケティングの手法を選挙に堂々と使うのは遠慮しよう」とか。ところが、そこに『別に法律には違反していないでしょ』とマナーを気にしない人たちが出てきてやりたいことをやれば、確かに選挙だけは強い。ただ、『選挙で勝てばすべてを得られる』というシステムにはなっていないので、『選挙は強いけど他の面は弱い』といったジレンマに直面せざるを得ません。逆に『選挙で勝つと何でもできますよ』というルールや社会通念になってくると、選挙に勝つことだけに特化したグループがうまく立ち回る可能性はありますね」

――ボールを後ろで回すかどうかはともかく、「これ以上はやっちゃいけませんよ」という暗黙の了解がある中で、あえてそれをやってくる政治勢力がポピュリズムだとすると、権威主義とか独裁とかにどこかで通じるのではと思えます。安倍政権にもそのような要素がうかがえるように見えるのですが。

「その通りだと思います。『民主主義のあり方を問うのが本来のポピュリズムの役割なのだ』といくら言ったところで、実際にやっている人は、権力を取ることが目的なのですから。その目的が悪いわけではありませんが、その際『ズルはしないでね』というシステムができていればいいのだけど、『ズルをすれば権力が取れますよ』という仕組みになっていれば、当然ながら『国民の皆様のために、と権力を取るまでは言って、取ってしまえば何とでもなる』という事態が大いに起こり得ます。日本でも、これまでは『そんなことは起こり得ない』と思っていたことが、なし崩し的に起きているように思えます」 

オーストリア自由党のシュトラッヘ党首=2017年10月、ウィーン、吉武祐撮影

「ヨーロッパの極右も、戦略的に『ここまではOKでここから先はアウト』というぎりぎりの線を一生懸命突いてきた歴史があります。ぎりぎりを突くと何が起きるかというと、『ここまではセーフ』というラインがじりじりと後退してしまう。私が研究しているオーストリアを例に挙げると、ナチス時代のスローガンや歴史認識を極右がストレートに言うと、最初は袋だたきに遭う。だからいったん引っ込めて、少しずつぎりぎりのところを出していく。そうして三十年経ったら、以前袋だたきに遭ったようなこと以上のことを言っても、『それはヒトラーとは違う』と許される現状があるです。依然として声を上げる人もいるのだけど、『そういうもんだよね』と思う人も増えてきた。かくして、2000年にハイダー率いる右翼『自由党』が参画した連立政権誕生の時には大もめにもめたのですが、同じように右翼参画の連立政権が昨年発足した際には、有権者がある程度許容したのです」

「オーストリアでハイダーが20%取っていたころは『民主主義への警告』と言っていられたかも知れませんが、今のように大統領選で49%取るようになると、もうそんなことは言っていられないと思いますね」

こが・みつお 1978年生まれ。中央大学准教授。専門は比較政治学。西欧の政党政治、特に極右政党、ポピュリスト政党を研究。