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脇園彩さん「ビジネスか、それとも自分の声か」

行け!イタリアの風にのって ~若手音楽家の手紙~ 更新日: 公開日:
昨年2月にヴェローナ歌劇場で「カプレーティ家とモンテッキ家」のロメオを演じた。ジュリエッタ役のイリナ・ルング(左)と(写真は全て脇園彩さん提供)

世界最高峰の歌劇場の一つ、ミラノ・スカラ座の研修所に合格し、イタリアでのオペラデビューを果たすことができました。アジェンテと呼ばれるマネジャーとも契約。いよいよオペラ歌手としてのキャリアがスタートしたわけです。一方で、すぐにプロの歌手としての「ビジネス」と、自分の声とのバランスを保つことの難しさを思い知ることになりました。

声楽家は文字どおり、自分の声が楽器です。しかもほかの楽器の演奏家と違い、楽器を買い直すことはできません。この点で、スポーツ選手に近いところがあると思います。

2014年12月、私はスカラ座でロッシーニの歌劇「チェネレントラ(シンデレラ)」の主役を歌いました。ですが、公演前の私は、ストレスと疲れがたまっていたせいか、へんとう腺炎をこじらせて肺炎のような状態になっていました。

ミラノ・スカラ座での歌劇「チェネレントラ」の終演後に、キャストたちで集まった。左から2人目のアンジェリーナ(シンデレラ)役が脇園さん=2014年11月

この公演は、スカラ座が「子どものためのオペラ」と銘打った企画で、上演時間は約1時間に短縮されているものの、親子連れで常に完売の人気企画です。楽しみにしている子供たちを前に、舞台に穴を開けるわけにはいきません。当日はなんとか無理を押して乗り切りましたが、案の定、これで自分の発声を崩してしまいました。

同じような失敗は、17年2月にもありました。トリエステでのロッシーニの「セビリアの理髪師」の主役と、約220キロ離れたベローナの歌劇場でのベッリーニの歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家」の出演が同じ月に重なったのです。「カプレーティ家」はいわゆるロミオとジュリエットのお話で、ここでも主役のロミオ(イタリア語ではロメオ)役を演じました。

列車で片道約4時間をかけて、ベローナとトリエステの間を稽古に通いましたが、やはり、自分の納得できる声と演技を追求することはできませんでした。ロミオには、ほとぼしる情熱とエネルギーが必要ですが、かといって絶対に声を押してはいけません。演技とのバランスを取りつつ、それでいて感情に流されず、声の「清潔さ」をどう保つのかが問われるのです。私はこれこそがベルカント(イタリア語で「美しい歌」を意味する発声法)の神髄だと思っています。それが思うようにできなかったという、悔しさと申し訳なさがあります。

昨年8月の「ロッシーニ音楽祭」で、歌劇「試金石」の稽古中=ペーザロ

ですが、ここで申し訳ない、と思う「罪悪感」は今、日本人である私に特有のものだったと言えるでしょう。声楽の師匠であるマリエッラ・デビーアは、私に「トリエステの仕事は断るべきだった」とはっきり言いました。

イタリアでは「ノー」ということがキャリアをつくる、とも言われます。もちろん、誰もすすんで「ノー」と言いたくはありません。見に来てくれるお客さんのことを思うと心も痛みますし、もちろん経済的な損失です。ですが、いまその配役を歌う時期ではなかったり、のどに問題があったりするときは、歌手はちゅうちょなく仕事をキャンセルします。それだけ自分のキャリア設計をしっかりと持ち、自分の声と向き合って「いま歌うべきか」を判断しているのです。

残念ながら、イタリアのオペラ界では、特に若い歌手が商業主義に走らざるを得なくなっているところがあります。「一度『当たれば』いい、そのチャンスをやったことに感謝しろ」という考えのアジェンテもいます。必要なのは、やっぱりここでもコミュニケーションだと思います。いかにアジェンテと密に連絡を取り、自分の進むべきキャリアを実現しながら、自分のスタイルを築いていくか。そこには、日本的な「暗黙の了解」のようなものはありません。幼い頃からどこか「優等生でいたい」「弱みを見せたくない」というコンプレックスを抱えていた私にとっては、自分で築いてしまった「壁」をどう打ち破るかが問われていたのです。