Review1 大久保清朗 評価:★★★(3=満点は★4つ)
言葉の暴力 沈黙が救う
「我々の住むこの中東こそ“侮辱"という言葉の故郷です」。弁護士の台詞である。一つの「侮辱」(映画のフランス語の題)が引きおこした暴行事件が、扇情的な報道によって、レバノンにおける民族間の対立を激化させていく。
中心にあるのは言葉の暴力だが、その背後に深い沈黙がひかえている。ヤーセルがトニーへの暴行の理由を問いただされたとき、そこで浴びせられた侮辱の言葉について黙秘する。審理が控訴審へと移ると、トニーの幼少期の悲劇が明らかとなる。実際にダムールで起こった出来事は、冒頭でも触れられながら、トニーは何も語らない。
彼の沈黙を破るのは「映像」である。法廷で映写される虐殺の映像がそれだ。だがそれすらも被害の当事者以外にとっては、意味を持ちえないのだと弁護士は熱弁をふるう。映像は一見、言葉より雄弁だ。だがそれは言葉と同じく、たちまち摩滅する。この困難な事態に、映画はいかに振る舞うのか。
エンジンがかからないヤーセルの車を、自動車修理工のトニーが何も言わず直すシーンがある。この瞬間、彼らの和解は成立しているように見える。ジアド・ドゥエイリ監督は、「“侮辱"という言葉の故郷」にあって、この沈黙のうちに希望を託している。
Review2 クラウディア・プイグ 評価:★★★☆(3.5=満点は★4つ)
対立の縮図 妻たちの理性
中東の政治、特にパレスチナ人の苦境について、価値のある歴史的教訓を与えてくれる作品だ。長きにわたる対立の全体像に光を当てながらも、安易な答えを導き出したりはしない。
ベイルートの街角で起きた2人の男のささいな口論から生まれる扇情的な状況。その争いはアラブ系キリスト教徒とパレスチナ系イスラム教徒の間にある現代の緊張関係の縮図になる。
レバノンのイスラム教家庭出身のジアド・ドゥエイリ監督は、レバノン人でキリスト教家庭出身の元妻のジョエル・トゥーマとの離婚手続きのさなかに脚本を共同執筆した。彼らは一方のグループをひいきせず、非難もしていない。
面白いのは、物語が進むほとんどの間、2人の男が自分の立場にかたくなにこだわるのに対して、彼らの妻はどちらも自分の夫に頑固な態度をあらためるように頼むことだ。作品の女性たちは、登場人物のなかで最も理性的である。もし女性が政治を担っていたら、中東紛争はひどいものにならなかったのでは、という思いを抱くほどだ。
険悪な論争を巻き起こす作品になる可能性もあったのに、どちらにも偏らないアプローチで、片方を美化することもなかった。見る人の目を開かせてくれる力強い物語だ。
■ドゥエイリ監督(写真下)インタビューはGLOBE+「シネマニア・リポート」で。