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考えてから動く自分を変えた大学時代の教え 今も胸に

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
スタジオで生徒にバレエを指導する(若松さん提供)

若松潤史 ダンサー、振付師、俳優の「私のサバイバル」

私のON

ブリュッセルを中心に複数の学校でバレエやコンテンポラリーダンスを指導しながら、ダンサーとして世界各地のツアーにも参加しています。自分のダンスカンパニーも主宰して、国内外で様々なイベントを企画しています。

バレエを本格的に習ったのは社会人になってからです。ダンスと出会ったのは大学生の時でした。妹は幼い時からバレエを習っていて、教室をのぞいたこともありますが、自分がやるとは考えたこともありませんでしたね。

国際公務員になりたくて、北海道の高校から東京の国際基督教大学に進みました。大学の寮に入ったのですが、寮祭では全寮生が出し物をやる伝統があるんですね。当時、マイケル・ジャクソンや映画「フラッシュダンス」が流行っていて、僕はやったこともない振り付けを考え、男子学生だけでダンスをしました。それがなぜか、あまりに気持ち良くて、ダンスにのめり込むようになりました。

大学を卒業後、いったん自動車メーカーに就職しましたが、学生時代からダンスこそ人生をかけるものだと確信していました。会社を約2年で辞め、厳しい指導で有名な札幌のバレエ学校の門を叩きました。幸い素質を見込まれ、「3年でプロにする」と親も説得してくれました。3年間休みなしで鍛錬して、プロのバレエダンサーとして舞台に立つことができました。ただ、踊りだけで生計は立てられませんから、東京で暮らしながら、工事現場やウェイターなど様々なアルバイトをしました。日本でダンスだけで食べていくのは非常に難しいのが実情です。

「行動して考えろ」大学時代の教え

そんな時、ベルギーのシャルルロワという地方都市にあるバレエ団が来日し、オーディションを兼ねた講習会があったんです。いずれ海外に行くつもりだったので参加すると、「よかったら来ないか」と誘われました。「給料は出演した舞台のギャラ。家賃は払う」という条件。さすがに不安はありましたが、欧州に足場を築くチャンスだったので行きました。

ところで、大学時代の寮に伝わる言葉に「行動してから考えろ」というものがありました。それまで僕はどちらかというと考えて動くタイプでしたが、寮に入ってずいぶん変わりました。芸術ではインスピレーションを感じた時に、すぐやってみないと消えてしまう。この言葉はいまも大切にしています。

シャルルロワはフランス語圏で、英語がほとんど通じなかったのには面くらいました。踊るのが仕事なので言葉はそれほど要りませんが、とにかくフランス語を話し続けるようにしていたら、1年くらいで不自由しない程度にはなりました。

シャルルロワのバレエ団で3年間過ごした後、ブリュッセルに拠点を移し、フリーランスで踊りながら欧州各地のバレエ団やダンスカンパニーのオーディションを受けました。収入はアルバイトで、当時はまだ少なかった日本レストランで働きました。欧州各地から日本人駐在員が来るようなお店で、まかないのお寿司がおいしかった。おかげで、食生活だけは安定していました。観光ツアーガイドも随分やりましたが、日本から来た皆さんには励まされました。

ベルリン三大歌劇場に入るも、財政難でクビに

オーディションにまったく受からないという時期が2、3年ほど続きましたが、2001年にベルリンの三大歌劇場の一つ「コーミッシェ・オーパー」のバレエ団に合格しました。国立なので身分は「公務員」です。生活も安定しました。才能あるダンサーや有名な振付師と一緒に仕事ができ、とても勉強になりましたし、それは恵まれた日々でした。本格的なコンテンポラリーダンスの作品に出演し、バレエより向いていると思ったのもこの時です。ところが3年後、ドイツ政府の財政難で各劇場のバレエ団は統廃合され、僕たちは全員同時に解雇されてしまいました。

その後、幸いにもベルギーのある地方都市の劇場付きダンスカンパニーに入ることができ、3年ほど在籍しましたが、「自分がつくりたいものをつくりたい」という欲求が強くなり、自分のカンパニーを立ち上げたのです。政府の補助金に応募したり、知人やダンサーの家族たちに支援してもらったりして費用を工面しています。収入はクラスでの指導と自分が踊ることで得ています。クラスは3都市計4校で持っているので、1日に100キロ以上、車を運転しています。

イタリアで開かれたダンスフェスティバルでのパフォーマンス(若松さん提供)

数年前、ある短編映画に日本人ビジネスマンの役で出演する機会があり、それがきっかけで、ベルギーで放映された自動車「スズキ」のCMにも出ました。おかげで、知らない人から「スズキの人」と声をかけられることもありますよ。自分でも映像を制作していて、「Each One Another」という短編のダンス映画は今夏、カナダのトロントで開かれた映画祭でベスト・ミュージック・ビデオを受賞するなどしました。

私のOFF

2013年にベルギーの女性と結婚し、いまはブリュッセルから車で30~40分のブレン・ル・コントという郊外の町で暮らしています。運良く大きな庭とテラスがある一軒家を借りることができました。

仕事で国内外をまわるので、家に帰らないことが多いのですが、妻の実家も同じ町にあるので、家にいる時は家族との時間を大切にしています。

ベルギーのブレン・ル・コントにある自宅の庭で妻、猫と一緒に(若松さん提供)

ベルギーと言えばビールが有名です。僕は日本にいた時、お酒はつき合いで少し飲むくらいでしたが、ベルギーに来てからビールが本当においしくて、いまは1日に1、2本は飲まずにいられないような感じです。踊って汗をたくさんかいた後に飲む一杯が楽しみで、それがベルギーにいる理由の一つにさえなっています。お気に入りは修道院で造られている「オルヴァル」というビール。これはベルギーでもファンが多い上に大量生産されていないので、入手が難しいんです。義父もこのビールのファンですが、どうも個人的なコネがあって手に入るらしく、訪ねるといつもこれでもてなしてくれます。

天気の良いときは、庭でバーベキューをしたり、ビールを飲んだりするのは最高ですね。

ブリュッセルの中心広場グランプラスでは、毎年9月にはベルギービールウィークエンドが開かれる(浅倉拓也撮影)

ブリュッセルのような都会では知らない人には警戒しないといけません。僕は十分に注意しているつもりですが、それでも2度、バッグを盗まれました。知らない男性が道を尋ねるなどして、その一瞬のすきに仲間が盗むという手口です。

でも、自宅がある田舎では顔なじみばかりで、人間関係もちょうど良い感じです。こちらは鉄道のストや故障が多いのですが、そんな時は誰かが車を出して、近所の人が一緒に乗って通勤することもあります。日本でも特にバレエの世界は人間関係が面倒なところがありましたが、こちらでは人付き合いでエネルギーを消耗するようなことはありません。それもベルギーにいる理由の一つです。

わかまつ・ひろし1965年、北海道生まれ。97年から欧州でダンサーや振付師として活動。最近は映像制作なども。

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