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型破りな「支援」でベトナムの少数民族あこがれの村を作る

アジアで働く 更新日: 公開日:
カトゥー族の村であいさつする大槻修子さん=写真は全て鈴木暁子撮影

 

ベトナム中部ダナンからバスで2時間の山中に、少数民族の住む村を訪ねる、知る人ぞ知る観光ツアーがある。赤と黒の衣装を身につけたカトゥー族の村人と「踊る村」、竹筒で炊いたもち米などを味わえる「料理自慢の村」などを訪ね、参加費はひとり約80ドル。安くはないが、中国、韓国、フランス、日本などから年間600人が参加する。

「カトゥー語で『元気ですか』はカルーカ!『さようなら』はチョーヤ!チョーヤの梅酒と覚えてください」。道中、バスガイドさながらの明るいトークで日本人客を盛り上げるのは、ツアーの企画に関わってきた大槻修子さん(47)。この地域の生活向上支援をしてきたNGO「国際開発救援財団(FIDR)」のベトナム事務所長だ。

織物を続けてきたキムランさんと大槻さん

その経歴はかなりバラエティーに富んでいる。

東京農大を卒業し、海外で砂漠緑化などに取り組む都内の造園会社に入社。だが、「同期の男性社員が海外で仕事をするのが、ものすごくうらやましくて」、3年目で休職して青年海外協力隊に応募。フィリピンのネグロス島で農業専門家として1.5ヘクタールの農場を開拓し、野菜や家畜を育てる仕事をした。

帰国後、退社して花屋で働いていた時、ひょんなことで再会した恩師の紹介で、今度は地元・横浜の中学校で非常勤講師に。非行に走る生徒が多い学校だったが、「校内一のワル」と呼ばれたフィリピン人と日本人のハーフの子どもたちと心を通わせた。荒れていた生徒たちが再び授業に出席するようになり、「どうやってそんなことができるの?」と、ほかの教員たちの度肝を抜いた。

天職と思いきや、海外で働きたい思いが再びむくむくとわき上がり、国連開発計画(UNDP)の農業専門家としてフィリピンのサマール島で約2年働いた。帰国して塾講師をしていたとき、知人に紹介されたのがFIDRだ。

一緒に踊る大槻さん

ベトナムに来るきっかけは、FIDRに移ってからの出張だった。ベトナム人スタッフたちはとても優秀なのに、支援活動になると、日本人の「お手伝い」にとどまっていることに気がついた。「チームで活動すればもっと効果が出る」。こうすればいいのに、と気がつくと、じっとしていられない。東京に帰るなり、自分の考える活動の仕方を上司に提案した。それならやってみろと背中を押され、04年にベトナム事務所に赴任した。

中部クァンナム省に住む少数民族カトゥー族の生活向上支援は、FIDRが01年から続けてきた事業だ。そこから生まれたのが冒頭のツアー。だが軌道に乗るまでは長い道のりだった。カトゥー族は、ベトナム最大民族のキン族とは顔つきも言葉も違う。教育を受けた人も少なく、当時は「未開の人」といった差別意識が都市部に強く残っていた。カトゥー族も、支援団体を見れば、「バイクが欲しい」などと、与えられるのを待っていた。

そんな村で、ひときわ光る人たちを見つけた。機織りの女性たちだ。ビーズを織り込む独特の織物を売って生計をたてようと意欲をもつ女性たちをFIDRは応援し、布を織る特訓をしてきた。ただ、当時の織り手は中年女性7人だけ。大槻さんが担当になってから、作業小屋を建て、機織りを教えあう体制も整えた。けれど、何でも手に入る現代において、織物の販売はなかなか難しい仕事だ。「いずれ失われてしまう文化なのかも……」。正直、そう感じることもあった。

あるとき、遠くから作業小屋の様子をじっと眺めている人たちがいるのに気がついた。「織物は古くてダサい」と言っていた、ジーンズ姿の若い女の子たちだった。呼びかけると近づいてきて、作業にじわじわと参加するようになった。

織物を織るカトゥー族の女性たち

このタイミングで、大槻さんは型破りな決断をする。織物作りへの支援を、1年間中断すると宣言したのだ。「マジで織物をやりたいと思っているのか、本腰を入れる前に彼女たちの本気度を知りたかった」

これが大きな転機になった。機織りの女性たちは自分たちで将来のプランを練り、「打ち合わせをしたい」と、大槻さんたちに積極的に声をかけてきた。支援ありきの事業ではなく、村の人たちが本当にやりたいことが「支援」につながる形へと変化した瞬間だった。

実はフィリピンで農業指導をしていたとき、ある経験をした。「お金をかければ緑にならないところはない」と考えていたのに、やる気や好奇心のない人に、何を教えても仕事がまったく進まない。「技術指導が水だとしたら、ついつい、よりおいしい水を入れようとしがち。でも底の抜けたコップには何をいれてもたまらない。まずは器を作ることが大切」。その体験が生きた。

いま、機織りの職人は40人に増え、製品のデザインや企画からカトゥー族の女性が手がける。11年に省の「伝統手工芸村」に登録され、国内各地の少数民族が「いかに文化を守りながら経済的な自立を実現するか」を学びに来る、あこがれの地になった。「観光事業に乗り出したい」。織物の村の成功をみた他の村から声が上がり、それぞれの村の「宝」を巡る旅にまとめたのが、バスツアーだ。カトゥー族の日常に大きく影響しないよう、村人自身がツアーの受け入れは年間千人までと決めた。村の観光協会ができ、収入は村ごとに考えた方法で分配されている。

織物の村にある土産店

「頼り上手、聞き上手になることですね。知らないことがあるなら、知っている人とつながればいい」。仕事で迷ったり悩んだりした時、いつもそうやって乗り越えてきた。NGO一筋でやってきたわけではないし、国際協力の学位があるわけでもない。カトゥー語はできないし、ベトナム語も流暢ではない。手法は「型破り」かもしれない。だが成果をぐっとつかみとる。FIDR事務局長の岡田逸朗さんは、そんな大槻さんを「やり遂げようという執念とパワーがすごい。まとめ上げるリーダーシップもある」と評価する。

ベトナムでの仕事に魅力を感じるのは、成果が出たことには政府が予算をつけたり、協力者が現れたりと、よい反応がビビッドにあることも理由の一つだという。「『少数民族は貧しく、何もできない』と考えていた人たちが、『彼らはよいものをもっている』に変化していく過程を感じられたことも、私にとっての喜び。だから長くいられるのかもしれません」

これから先何年ここにいるのかなど、先のことはわからない。ポリシーがある。「いつまでにどうすると自分を縛らず、ご縁を大切に働くこと。働かせてくれる場所はあるのだから」