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「幻」に託された千年の雫、自然派カリフォルニアワイン

サンフランシスコ 美味しいフード&ライフスタイル 更新日: 公開日:
ナパの山々が見下ろせるなだらかな丘。中央水色の建物はテイスティングルーム、アトリエ兼ご自宅=関根絵里撮影

Maboroshi Vineyard & Wine Estate

10年前、在サンフランシスコ総領事公邸のパーティーに出席した時、供されたワインの味がとても印象的だった。まろやかで、ほのかに 土の香がするそのワインボトルのラベルには、2羽の鳥と羊が月あかりの中ダンスをしているような幻想的なイメージが描かれていた。後から聞くと、鳥のモデルはカリフォルニア最高級ワイン「スクリーミング・イーグル」で、羊のモデルはフランス5大シャトーの一つ、「シャトー・ムートン・ロートシルト」。ワイン造りの高みを目指すワインメーカー自身のアート作品だった。

幻ワインを象徴するラベルデザインはトムさんの作品。人生哲学が込められている=関根絵里撮影

「どんな人が作ったのだろう?」。その答えを持った人は公邸のテラスで染まる夕焼けを見ていた。「Maboroshi」ワイナリーのオーナーで醸造家の私市トムさんと奥さんのレベッカさんだ。話しかけると気さくな人柄に安堵感を覚えた。「写真を撮らせて頂けますか?」「どうぞ」とご主人はそっと夫人に肩を手を添えた。2、3枚撮るつもりが、20枚も撮ってしまった。お二人から放たれた清いエネルギーと、夕日でオレンジ色に染まったサンフランシスコのシンボル、ゴールデンゲートブリッジの背景がとても美しかったせいだ。

去年の10月、サンフランシスコ郊外にあるワインの産地で有名なソノマ郡やナパ郡に大規模な山火事が発生した。「Maboroshi」は大丈夫だろうか? 2週間後、私市氏から一通のメールが届いた。彼らは無事だったが、多くの民家、畑、そして近くの「パラダイスリッジ・ワイナリー」と長澤記念館が焼失してしまったので再建に協力してほしいという内容だった。長澤とは、1867年に米国に渡った薩摩藩士で初の日本人移民。ソノマ郡にワイナリーを開拓し、「キングオブグレープ」(葡萄キング)と呼ばれた英雄だ。長澤鼎氏が築いたサンタローザの広大なワイナリーの一部が今の「パラダイスリッジ・ワイナリー」である。

一瞬、長澤鼎氏と私市氏の人物像が重なって見えた。長澤氏が19世紀の「葡萄キング」なら、私市氏は21世紀の「葡萄キング」かもしれない。どちらも裸一貫で米国に渡り、不屈のチャレンジ精神で大きな夢を実現させた。大惨事をもたらした山火事から8ヶ月が経ち、彼らの生き様を書きたい、長澤レジェンドを別の形で再建させたいと突き動かすものがあった。「そうだ、私市さんに会いに行こう」

いつも朗らかで仲の良いお二人。土壌作りから醸造、ボトル詰まで全ての工程をお二人でされている。去年は収穫もほとんどお二人でされた=関根絵里撮影

ソノマ郡セバストポール地区にある「Maboroshi Vineyard」に足を踏み入れるとすかさず人懐っこい二匹の犬がむかえてくれた。体を包む空気が柔らかく清々しい。この葡萄畑はオーガニック栽培だけではなく、「バイオダイナミック農法」を実施している。「バイオダイナミック農法」とは、太陽暦と作物の成長には密接な相互関係があるというシュタイナー氏の提唱に基づく画期的な栽培法だ。普通の農法に比べて人の手が何倍もかかるのだが、土の中の微生物が生態系のリサイクルを繰り返してリッチな土壌を作る。その土に根をおろして育つ葡萄は、自然の恵みを吸収し育つせいか、芳醇でバランスの良い甘みと酸味を持つ実になる。土からエネルギーが湧き出ているのか、畑を歩くと体から毒素が消えていくような感覚になる人もいるようだ。この大地には命がみなぎっている。

なだらかな葡萄畑の斜面をあがったところにある見晴台で私市さんと話した。美しい葡萄畑の向こうにナパ地区まで見渡せる。山火事の2週間はずっと黒い煙であたりは暗かったと言うが、今ではその惨事はまるで感じられない。収穫前の実をつけた葡萄を鳥が突かないよう、ダミーの鳥が鯉のぼりのように風になびいていた。それを見つけた本物のイーグルが寄って来て、ダミー鳥の周りを旋回している。なんとも穏やかな光景だ。

「バイオダイナミック農法」は私の使命

私市さんのワインを語るには、30年前に遡らなければなけない。大阪の名高い酒屋に長男として生まれた私市さんは、成人して店主となった。しかし一本のワインの出会いから運命が変わる。彼を虜にしたのはフランスの名ワイン、「ラ・ターシュ」。「こんな美味しいワインを作りたい」。トムさんは家業を継ぐどころか、ワインメーカーを目指し、フランス、ブルゴーニュに旅立つ事を決心。「そんなの夢か幻!」と知人に笑いとばされた。しかしその幻は今、「Maboroshi Vineyard」を設立しワインメーカーとして現実になっている。

1991年、彼はフランスに旅立った。言葉もままならないまま、しかも奥さんのレベッカさんと3歳の娘連れで。しかし、いきなり予定していた研修先に門前払いを食らってしまう。でもその時、「なんとかなるだろう」と楽観的な私市氏は、名門ワイナリーのドアを叩き懇願した。結局5軒目に訪れた「アルマン・ルソー」が受け入れ先となる。そしてその入門が彼の運命を大きく変える事となる。

しかし憧れのワイン醸造研修はすぐ壁にぶち当たる。ワインの醸造家としての一歩を歩むつもりが、来る日も来る日も肉体労働を強いられる畑仕事だった。畑は草ぼうぼうで毎日の手入れは大変だった。一方、隣のワイナリーを見渡せば、草はほとんど生えてない綺麗な畑だ。私市氏はある日「どうして隣の畑は綺麗なのに、ここは草ぼうぼうなんですか?」と師匠であり高名なワイン醸造家シャルル・ルソーに尋ねた。すると、「ワインの品質の90%は葡萄が決める。良い葡萄を作るのは良い土壌にかかっている。土壌は何千年の歴史を記憶し良い葡萄を実らせる生態系を繰り返している。農薬や除草剤を撒く事でその記憶と培った有用微生物を一瞬にして消滅させてしまう」と強く言葉を返した。そこで彼は目覚めた。品質の良い葡萄を育てる事がワインメーカーの使命だと悟った。翌年家族は米国、カリフォルニアに幻の続きを託し移住した。

私市さんのワイン畑にて=関根絵里撮影

ソノマとナパで醸造学を学び様々なワイナリーでのワイン作りを経て1999年,ついに自社畑を購入し「Maboroshi vineyard and wine estate」を設立した。この土地は「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれ、標高が高い尾根が冷たすぎる風を遮り、太平洋側からの涼しい風が吹く。なだらかな傾斜と昼間降り注ぐ太陽で理想の葡萄造りができる環境は、特にピノ・ノワールに適している。2004年、自社畑のファーストビンテージ「マボロシ・ピノ・ノワール」が登場する。同じワイン醸造家である奥さんの名、レベッカを冠した「レベッカ・K ピノ・ノワール」共に、すぐに業界から注目され、有名人の愛飲も増えた。

今回のテースティングで1番忘れられない味となったのは、エステートピノ・ノワール2007年。しっかりした大地の香りとフルーティーさが長年の熟成を経て複雑なのにまろやかで、後味が長く楽しめる逸品だ。オーガニックでバイオダイナミック農法、しかも品質高いこのワインは世界でも高い評価を得ているが、出荷は年間たったの220ケース。希少なワインだ。

マボロシ(幻/まぼろし) ピノ・ノワール ロシアンリバーヴァレー [2007]  良い状態で熟成を経たコクのある“ピノ”。果実の甘みと酸味バランスが絶妙で、チェリーやプラム、ラズベリーなどの香りが複雑でまろやかで後味が長く楽しめる。長い熟成で一年ごとに変化するシグニチャーワイン=関根絵里撮影

「私は直感で生きています」と私市氏。それは彼の人生哲学そのもの。失敗を恐れず心のままに突き進む。この“出たとこ勝負”が彼の強さであり運命をも変えていく。そんな人にはいつも運がついて来ると感じた。ご夫婦が手がけたワインは大地の力強さと優しさが伝ってくる。それは自然と生物、人の温もりが凝縮された愛(めぐみ)の雫だった。

家庭的な雰囲気のテースティングルーム。雑誌の取材陣をご案内した際の光景=関根絵里撮影

インタビューを終え、サンタローザの「パラダイスリッジ ワイナリー」に向かう事を告げると、「最近、長澤氏の刀が見つかったんだよ」!と私市氏。なんだかワクワクしてきた。次回は薩摩藩士、長澤鼎の「ワイン王」レジェンド物語です。