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ホワイトハウスの会見室、床の下にはプールがある なぜ?

ホワイトハウスへ猛ダッシュ
1933年3月14日のニューヨークデイリーニュース、一面。FDRがプールで泳ぐ写真とともに、寄付の呼びかけが掲載され、「ルーズベルト・プール基金」運動が始まった。ちなみに「3.2 Beer Assured」とは、禁酒法の改正案にFDRが署名し、重量にして3.2%を含むビールの製造・販売が許可されるようになったことを示している=ランハム裕子撮影

今日も私は走っている。だが猛ダッシュでホワイトハウスにたどり着いても、ゴールはまだ先。記者会見や声明発表は、始まるまで時間がかかることが多いからだ。そこで行うのが「情報収集」、いわゆるおしゃべり。先日、ホワイトハウスに長年勤めるカメラマンが、会見室の真下には使われていないプールがあると教えてくれた。プ、プール?!

その真相を知りたくなり、ホワイトハウスから歩いて数分の所にあるホワイトハウス歴史協会に立ち寄ってみた。

ワシントンにあるホワイトハウス歴史協会。写真左にある歩道を真っ直ぐ進むと数分でホワイトハウスが見える。協会は、ホワイトハウスの歴史を守り、保存し、またそれに大衆がアクセスできるようにという目的で、ファーストレディ、ジャクリーン・ケネディにより1961年、非営利団体として設立された=ランハム裕子撮影

協会の歴史学者エバン・ファイファーさんによると、実はホワイトハウスには以前、屋内プールが存在した。ポリオという病と闘いながら、リハビリのためにニューヨークでよく泳いでいたフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)大統領が、ホワイトハウスでも水泳を続けられるようにと、1933年に設けたものだ。

1933年6月、FDRのために建設されたプール(西向き)。奥が今の演壇がある側で、西に向かってプールの底は深くなっている=The White House Historical Association提供

「ルーズベルトのためにプール建設の手助けを。国を恐慌の泥沼から導き出そうとしているフランクリンDルーズベルトの健康のためにプールが必要だ」− FDR大統領就任10日後の1933年3月14日、ニューヨークデイリーニュースの一面には、プールで泳ぐFDRの大きな写真とともに、こう書かれていた。ニューヨーク市民のFDRに対する愛情を、プールを寄付することで表そうと呼びかけ、「ルーズベルト・プール基金」への記入用紙や小切手の送り先も紙面に掲載された。

こうして開始した資金集めには、貯金箱を持った子供たちまでが協力したという。驚異の速さで寄付が集まり、そのわずか3ヶ月後、FDRはすでにホワイトハウスで泳いでいた。

1933年3月14日のニューヨークデイリーニュース。「ルーズベルトにプール建設の手助けを。国を恐慌の泥沼から導き出そうとしているフランクリンDルーズベルトの健康のためにプールが必要だ。だがホワイトハウスにはプールがない。よってデイリーニュースはFDRへ愛情を込めてプールを贈呈したいと願う市民の仲介となる」=ランハム裕子撮影

FDRに続き、ケネディ大統領もこのプールを愛用したことで知られる。ケネディ大統領のお父さんは、息子への誕生日プレゼントとして、画家を招き、プールの壁三面に大きな壁画を描いてもらった。ランチタイムには、ホワイトハウスのスタッフを招き、プールを共に満喫。愛犬のチャーリーも一緒に泳いだ。ケネディ大統領がプールサイドで補佐官のマックジョージ・バンディとキューバ危機を語ったかも?しれない。

続いてジョンソン大統領もこのプールを愛用したが、なぜかいつも素っ裸で泳いだという。おまけにそれをみんなにも強要したため、周囲は言い訳を作り逃げていたらしい。ある日、牧師をプールに招待し、水中&ノーパンでお祈りしたという、とんでもないエピソードがタイムマガジンに書かれていた。

しかし、ニクソン大統領はほとんどプールを使用することがなかった。ちょうどこの頃、メディアの増加とテクノロジーの進化に伴い、会見室開設の需要が高まっていた。そこでニクソン大統領は、このプールを閉鎖し、その上に会見室を作ることを決めた。ただ、国民が大統領のためにお金を寄付し建設されたという経緯やFDRへの敬意から、プールは解体されることなく、将来の大統領が望んだ場合に再活用できる状態で残された。つまり、水は抜かれたものの、プールの上に木造の床が張られ、会見室に改築されたのである。

1970年にFDRのプールを塞ぎ建設された「プレスルーム」。今の会見室とは異なり、ソファや椅子がある。インテリアデザイナーは「イギリスのパブのような」コンセプトだと表現したことで知られる=The White House Historical Association提供

1970年に完成した会見室の写真を見せてもらうと、今とはまるで異なり、テーブルの周りにソファーや椅子がある。まるでホテルにあるラウンジのよう。1981年、レーガン大統領の時に、ソファのラウンジスタイルから座席が並ぶ映画館スタイルへと改築された。そして2000年(クリントン大統領の時)、この会見室は「ジェームズ・ブレイディ・プレスブリーフィングルーム」と名付けられ、2006年の再改築を経て現在に至る。かつてFDRが愛用したプールは、取り壊されることなく、今でも会見室の真下に存在する。

2000年2月11日、会見室はジェームズ・ブレイディ・プレスブリーフィングルームと改名された。本人を招き行われたこの日の会見でクリントン大統領は、「ジム・ブレイディは、勇気を殺すことはできない、そして安い拳銃で強い精神を破壊することなどできないという見本である」と語った=ランハム裕子撮影

建設から85年。その後閉鎖されて約50年が立つ。このFDRのプールは現在、コンピューターのサーバーやケーブルで埋め尽くされている。その壁は、ホワイトハウスを訪れた有名人、ホワイトハウス職員、ジャーナリストなどのサインやメッセージが書かれている。U2のボノやローラ・ブッシュ、CNN看板キャスターのアンダーソン・クーパーなどのサインもある。普段は立ち入り禁止エリアとされ、ホワイトハウスのツアーには残念ながら含まれていない。

アメリカでは、代表取材のことを「プール」(泳ぐプールと同じスペル)と呼ぶ。例えばホワイトハウスの代表記者団は「ホワイトハウスプール」、その記者団から送られてくる取材メモは「プールレポート」という。よってホワイトハウスでは日々の中で繰り返し使われる言葉だ。もともとこの単語には、「カープール(数人で1台の車に乗ること)」のように、共有・共用するといった意味が含まれており、プールの上でプールという言葉を使うのは偶然にすぎない。

サンダース報道官による定例会見の様子。この光景から真下にプールがあるという事実は想像難いかもしれない。ただ、窓の枠がプールだった時と同じ形をしている=ランハム裕子撮影

2006年、再改築がされるまでは、会見室の床に引っ張って開ける扉があり、そこを開けると真下のプールに行くことができた(下にあるケーブルやサーバーへのアクセスという目的で)。まさに「プール」から「プール」へのアクセスが存在した。

秘められた歴史に触れ、それ以来、会見室に足を踏み入れるたびに、まだFDRが下で泳いでいるような気がする。