近くの小泉海岸は、かつてサーフィンや海水浴でにぎわったが、美しい砂浜や松林は津波にさらわれた。震災後に現れたのが、高さ14.7メートル、幅90メートル超という県内最大の防潮堤だ。建設費は隣接する河川部分も含め、380億円を超える。
地区には約500世帯が暮らしていたが高台に移転するなどし、低地は主に農地になる。防潮堤の「効果」に対し、環境や景観も含めた「コスト」があまりに高い。住民の一人はそんな疑問を持ったが、「地縁血縁の強い地域で、行政が決めた計画に逆らうのは難しい」。計画推進を求める声は強く、地区として合意したかたちになった。
国は東北の海岸計約400キロに防潮堤をめぐらせるのに、1兆円以上を投じる。だが、巨大地震や津波のリスクにさらされているのは東北だけではない。東日本大震災のような巨額の復興予算が期待できないなか、あらかじめ災害に遭うことを想定してまちづくりを進める「事前復興」の取り組みが広がりつつある。
「国や県の『命を守る』という方針に加え、住民も『同じ目に遭いたくない』という空気が震災直後は強かったのでは」。徳島県美波町で住民と事前復興を考える徳島大学術研究員の井若和久(33)は言う。「防潮堤や高台移転は手段で、まず住民がどのようなまちで、どう暮らしたいかを考えたい」
井若が注目するのは、岩手県釜石市にある花露辺(けろべ)という地区だ。ワカメやホタテを捕って暮らしていた68世帯の集落に防潮堤はなく、津波で25世帯が全半壊した。震災後、住民は一度は県に防潮堤建設を求めた。
だが、県が示した防潮堤の計画は高さ14.5メートルという巨大なもの。完成まで5年間は漁ができないおそれがあった。
「海が見えなくなって漁師ができるか」「漁ができなければ集落は崩壊する」。なりわいを犠牲にしてまで、防災を優先する必要はあるのか。半年かけて話し合い、防潮堤との決別を決めた。代わりに選んだのは、避難道の整備と高台への移転だった。
震災後、地区外の仮設住宅にいた住民のほとんどが戻ってきた。この1年で3人の子どもが誕生した。県内外から年間500人が訪れる。元町内会長の下村恵寿(68)は言う。「自然豊かなふるさとで、漁業をしながら暮らしてきた。それを続けられるようにするのが復興だ」