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「公文書公開は民主主義の基本」と信じていた財務省OBの話

ことばで見る政治の世界
選挙演説中の大平首相(1980年5月30日撮影)。この後、気分が悪くなり入院。6月12日死去した(朝日新聞撮影)
選挙演説中の大平首相(1980年5月30日撮影)。この後、気分が悪くなり入院。6月12日死去した(朝日新聞撮影)

本来は国民の財産である公文書を改ざんし、破棄する。森友問題で明らかになった財務省の行為は、国民を代表する国会をあざむくものだった。「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」と断言した安倍晋三首相に対する忖度が、財務官僚の側にあったのかどうか。森友学園との国有地取引をめぐる謎は一向に晴れないままだ。ニュースを読んでいるうちに、まったく正反対の行動をした財務省(旧大蔵省)OBのことを思い出した。公文書の重要性を理解し、その公開制度への道筋をつけた大平正芳・元首相のことである。

「鈍牛」「悲劇の宰相」のもうひとつの姿

大平は生前、その木訥な風貌もあって「鈍牛」と言われた。口を開くと、「アー」とか「ウー」とか、間延びした音が入ったが、その「アー」や「ウー」を取り除くと、実はきわめて論理明快な答弁になっていた。香川県の貧しい農家に生まれ、中学時代、稲刈りの時期は午前3時に起きて稲を刈り、弁当を自分で詰めて学校に通った。苦学生だった大平は自分自身大病を患い、さらに肉親の死に出会ってキリスト教に入信。東京商科大学(現在の一橋大学)を出て、戦前に大蔵省に入った。戦後日本の復興・経済成長をリードした官僚出身の政治家の一人である。

 

大平というと、「悲劇の宰相」というイメージが強い。自民党内の苛烈な派閥抗争の中で病に倒れ、1980年6月、史上初めての衆参同日選挙の最中に急性心不全で亡くなった。その劇的な死が、派閥をこえた団結を自民党にもたらし、自民党は同日選で大勝利する。だが、ここで語るのは、首相になる以前のほとんど忘れ去られているエピソードである。 

言葉で読む政治の世界_大平正芳_2
田中角栄首相に同行して訪中。周恩来首相主催の歓迎夕食会で、右から大平外相、周首相、田中首相。1972年9月25日、北京の人民大会堂(朝日新聞撮影)

大平が、田中角栄内閣(1972~74年)で外相を務めていたときのことだ。衆議院外務委員会での質疑の中で、それまで公開の仕組みのなかった外務省所管の公文書を、一定の期間が経てば公開するという考えを明らかにした。

「洗いざらい国民が回覧できるように」

「外交文書の公開について検討するよう、事務当局に命じた。これは民主主義の根本だと思う。一定の期間がたって、関係国に支障がない段階になると、洗いざらい国民が自由に回覧できる、学者はこれを活用できるというようにすべきではないか」(1973年6月20日) 

ことばで見る政治の世界_公文書公開
大平外相の発言が記録された衆議院外務委員会の議事録

これには伏線があった。政府関係文書については、アメリカとイギリスでは早くから「30年ルール」が確立され、30年たつと国民に公開されるという原則が定着していた。一定の年限が過ぎた公文書は公開して、歴史の審判を仰がねばならない。国民があずかり知らぬところで、政治や外交を進めてはならないという意味だ。「30年ルール」が民主主義のバロメーターと言われるゆえんである。

 

ところが、日本ではなかなかこの公開ルールが導入されなかった。そのため、日本の戦後史を研究する学者たちは、もっぱら外国の史料に頼るという不正常な状況が続いていた。学会や言論界の要請を受けて、ようやくその扉を開けたのが大平だった。

きっかけは、歴史学者の萩原延壽(はぎはら・のぶとし)が月刊雑誌「文芸春秋」1972年4月号に載せた時評である。萩原はその中で、海外の公文書公開制度を紹介して日本にも30年ルールを導入すべきだと論じた。それを読んだ大平が萩原に面会を求めた。萩原はそのときのことを、のちにこう回想している。

「『やりましょう』とひとこと言われて、あとは雑談になった。まず自分の関係している外務省の文書について『30年ルール』を実施しましょうという意味であるが、このときの大平さんの真摯な顔つきが忘れられない」(萩原延壽「三十年ルールのこと」、『自由の精神』所収)

「地の塩」はどこに

外交文書公開は、大平が国会で約束してから3年後に実現した。以後、占領時代の日本政府と連合国軍総司令部とのやりとりなど、戦後外交史を書き換える新たな資料が次々に出てくることになる。

 萩原は同じエッセイの中でこう書いている。

「大平さんはこういう地の塩のような仕事をする人だった」

「地の塩」は新約聖書マタイ伝に出てくる言葉である。広辞苑第7版によると、「広く社会の腐敗を防ぐのに役立つ者を塩にたとえていう語」とある。

今日、「地の塩」はどこにいるのか。