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世界の「記録の番人」を訪ね、公文書の重みを改めて考えた

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沖縄占領に関する天皇の見解をまとめた1947年の文書。NARAで閲覧してみた photo:Takahashi Yukari

極北の凍土で守り抜く記録

気温は零下5度。北極圏バレンツ海を望むノルウェー領スバールバル諸島最大の島、スピッツベルゲンの山中にある炭鉱跡は、7月半ばでも凍える寒さだった。極北の地を訪ねようと思ったのは、今年、この廃坑が世界の貴重な記録を保管する「Arctic World Archive(北極圏世界記録庫)」としてデータの受け入れを始めたからだった。最長で1000年間の保管が可能だという。

Archic World Archiveの扉 photo:Tahakashi Yukari

海抜250メートル、永久凍土の山腹に掘られたトンネルにはトロッコレールが残る。足を取られないように歩いて約10分。ヘルメットのライトが照らす先に、大きな扉が見えてきた。中に入ることは認められなかったが、二重の扉の奥にブラジルとメキシコ両国政府が委託した文書などが、特殊フィルムに書き込まれて保存されているとのことだ。

「ここはスバールバル条約で非武装地帯として軍事行動が禁止されている。地震や津波の危険性も低く、凍土の地盤は安定している」。民間企業とともに記録庫を運営するノルウェー国営企業ストレ・ノシュケのビジネス開発担当、ポル・バーグ(43)が、なぜ記録庫がここに造られたのかを説明してくれた。戦争や災害だけでなく、太陽嵐に含まれる電磁波のリスクも想定しているという。

この記録庫はビジネスだが、500年、1000年という時間感覚でここまでの記録保管を求めるのはノルウェー流だ。それはどこから来るものなのか。首都オスロの国立公文書館を訪ねると、その「源流」といえるものがあった。

ノルウェー国立公文書館の書庫を案内するアーランド・ペターセン photo:Tahakashi Yukari

山を背にしたガラス張りの建物は、窓から差し込む光がまぶしい。だが地上4階建ての公文書館は、山腹の奥へと広がり、そこから30メートルほど掘り下げた地下6階の構造。保管庫は地下部分にある。核攻撃に耐えることを目指した設計のため、分厚い扉の前には放射能を落とすためのシャワーも取り付けてあった。ここには西暦980年から2013年まで1000年余りの記録が所蔵されている。

なぜここまで厳重に保管するのか? 案内してくれたアーランド・ペターセン(43)は「もし戦争があって政府の施設がすべて燃えてしまっても、政府の記録はここに残る。それをもとに国を再建することができる」と答えた。その最たる脅威とは? 「基本的にはソ連(現ロシア)だった。この建物は東西冷戦時代に造られたからね」。スカンディナビア最北部でソ連と国境を接していた小国ノルウェーは、核攻撃を受けて壊滅的な打撃を受けるという最悪のシナリオも描いていたということだ。

そうまでして記録を守り抜こうとする背景には、ノルウェーの歴史があると公文書館国際コーディネーターのオレ・ガウスダル(49)は言う。「何世紀もデンマークの支配下にあったノルウェーで独立の機運が高まったのは19世紀。自分たちの歴史が求心力になった。歴史家たちが史料を発掘し、1817年設立の公文書館も一翼を担った」。デンマークの支配、スウェーデンへの割譲をへて独立を果たしたが、第2次大戦末期にはナチスドイツに占領された。その後、冷戦の緊張が続いた。

ノルウェーは世界で最も安定した民主国家の一つに数えられる。しかし、そこに至るまでには、国としての独立や存立が脅かされた場面があった。大げさにも思える厳重な記録保管の意識は、そんな道のりを投影しているのだろう。

記録は復讐する

冷戦時代に共産主義陣営で一党独裁体制をしいた国の記録についても知りたくて、ポーランドを訪ねた。首都ワルシャワにある国家記銘院は1917年から90年までに起きたナチスドイツやソ連の行為の解明や資料の管理・公開などを目的として99年に設置された政府機関だ。

本部役員のクシシュトフ・ヴィシコフスキ(70)は「社会主義時代、情報は秘密警察に集まり、記録は権力者が独占した。市民には、プロパガンダばかりで本当のことは伝わらなかった。いまの社会の要請は『真実を教えてくれ』ということだと思っている」と話した。

だが、その「真実」の公開を巡ってポーランド社会が揺れているという。

2015年に政権をとった「法と正義」(PiS)は、愛国主義的な路線を掲げ、それまでの政権の「過去の清算」が生ぬるかったために旧体制エリートが影響力を残している、と訴えて支持を集めた。そして、記録の公開によってかつてのスパイをあばき始めている。今年はじめには、東欧民主化の立役者としてノーベル平和賞を受賞した元大統領のレフ・ワレサ(73)は秘密警察の協力者だった、とする資料を公開して波紋を広げた。このスパイ疑惑は、政権交代にからんでこれまでも何度か浮上している。ワレサは一貫して否定し、記録文書による政敵攻撃とみる向きもあるが、現政権の支持者には信じている人も多いようだ。

記銘院文書部長のマジェナ・クルック(40)は「あの時代に罪を犯した者、英雄だった者を実名で示してくれるのが文書。真実を目の前に現してくれるのが記録なのです」と胸を張る。しかし、元大統領はともかく一般市民の関連記録まで公開するという記銘院の方針に対しては、強い反発も起きている。ヴィシコフスキは「猛反対しているのは旧体制の協力者たちだ」と言うが、野党勢力は、政権と記銘院による記録の政治利用ではないかと疑っている。公開された情報をもとに、かつての「被害者」が「加害者」をネット上にさらすようなことも起きていると聞いた。

社会主義時代に残された記録をどう検証し、歴史にどう位置づけて未来に生かすか。国民のなかにその合意がないと、記録もまたプロパガンダや報復の道具になって社会を分断しかねない。ポーランドの現状は、そんな危うさを感じさせる。

記録大国アメリカ

記録大国といえば米国だ。その総本山とも言える国立公文書館(NARA)は、ワシントンDC周辺の主要3施設だけで100億枚の文書、5000万枚の写真、30万本の映像フィルムなどを所蔵する。米国だけでなく、米国が関わった各国の記録も膨大にあり、世界の研究者らを引きつける。

沖縄占領に関する天皇の見解をまとめた1947年の文書。NARAで閲覧してみた photo:Takahashi Yukari

本館の中心部にある円形ドームを戴くホールに展示されているのが「自由の憲章」と呼ばれる米国の最重要3文書(合衆国憲法、独立宣言書、権利章典)の原本だ。ホールは神殿をイメージして建築されたもので、厳かな雰囲気に包まれている。NARAや連邦捜査局(FBI)に長年アーキビストとして勤めたマイケル・ミラー(70)は「私たちの国は書かれた文書から始まり、文書が歴史となってきた」と言う。

文書管理を担当する現役アーキビストのジュリエット・アライ(46)は「米国民は政府が何をしているのか知る権利がある。だから最も大切なのは、人びとが記録にたどり着けること。私たちアーキビストは記録を解釈せず、あるがままに国民に伝える役割を負っている」と説明した。

過去は物語の始まりである

過去に学べ

過去の遺産は未来の実りを生む種である

絶え間ない監視は自由の代償である

本館前に並ぶ4体の大きな彫像の台座に刻まれた言葉だ。歴史を未来に生かすために記録し、その記録に誰もがアクセスできることが民主主義を支える──実に明快だ。

だが、どうやってそれを実践するかが問題だ。現実の運用はどうなっているのだろう。

NARAは正式名称を国立公文書館記録管理庁(National Archives and Records Administration)という。後半の「記録管理庁」の機能が実は重要だ。

処分や保存を決めるのは省庁ではなく「アーキビスト」

米国では、連邦機関によって作られたり、やりとりされたりした情報のなかで保存すべきものを「記録」と定義する。電子データも含まれる。その管理は大統領記録・連邦記録法に定められているが、特徴は、省庁などの各機関の管理下にある記録についても、処分や永久保存などを決める権限と最終責任はNARAの長である「合衆国アーキビスト」にあるという点だ。各機関は記録管理に責任を持つ上級職員を置かなければならず、NARAにも各機関を指導、監督する部署がありアーキビストらが控えている。

「絶え間ない監視は自由の代償である」と台座に彫られたNARA前の彫像 photo:Takahashi Yukari

記録をめぐる日本政府の最近の対応を念頭に、記録の保存期間や開示の恣意(しい)的な判断は米国でも起こるかと尋ねると、アライは「記録は国民のもの。漏れのないように各機関とNARAは連絡を密に取り合っている。基本的に公務員と我々の間には信頼関係がある」と自信をのぞかせた。

米国のアーキビストの堂々とした様子に感じ入った。しかし同時に、「米国の記録が全て正しいのか?」という疑問も湧いた。その連想で思い出したのが、米国取材前に日本で話を聞いた東大大学院教授(アジア政治外交史)、川島真(49)の造語「アーカイバル・ヘゲモニー」だ。「記録による覇権」とでも訳せばいいだろうか。

川島の説明はこうだ。「文書をきちんと残さない国や人は将来に形成される歴史に対する発言権を失う。米国や英国は他国の史料まで持っているので、記録のない国の国民はその史料から歴史を紡がざるを得ず、米英の視点になる」

米国アーキビスト協会の年次大会で知り合った、著名な博物館アーキビストのフランシン・スナイダー(48)は「もちろん記録が正しくないことはある」と認める。「でも、記録があるということが重要。時がたち、新しい史料の発見でそれまでの記録の意味が変わることが起こりえるから」と言う。アーキビスト協会長のナンシー・マクガバン(57)は「記録の集積がアメリカ合衆国なのです」と語った。

記録に、それを作成する人や組織の主観や都合が入り込むのは避けられない。大事なのは、ある者の記録が正しいかどうかを問うだけでなく、すべての当事者が記録を残し、それを突きあわせて複眼的に検証できるようにすることではないだろうか。記録を残そうと努力しなければ、そのスタートラインにさえ立てない。そう思い直した。

「私は誰か」記録に探す

米NARAでは、「自分」を探しにくる人に何人も出会った。つまり、先祖の記録を調べにくる人たちだ。

初老の夫婦は旧チェコスロバキアから移民として米国に来た祖父母の記録を探していた。別の夫婦は、先祖と南北戦争との関連を調べていた。アフリカ系アメリカ人で弁護士のマイケル・ブレイシー(68)は「先祖がセネガルから奴隷として連れてこられたと伝え聞いているが、まだ記録は見つかっていない。先祖の村がわかったら、いつか訪ねたい」と言った。

見つかるかどうかは別にして、探すこと自体は誰にも可能だ。NARAのウェブサイトで関連しそうな文書を検索し、ヒットすればそれをダウンロードできる。電子化されていない場合はNARAに足を運ぶ必要があるが、複写代以外にお金はかからない。多数いるアーキビストも相談に乗ってくれるので記録探しはむしろはかどるかもしれない。

「自分が何者かがわからなければ、自分がいまどこにいて、これからどこに向かうのかもわからない。GPSみたいなものさ」とブレイシーは話した。米国が移民国家であることに改めて思いを致した。先祖探しは、作家アレックス・ヘイリーの自伝的小説『ルーツ』がドラマ化されて放映された1977年ごろから全米でブームとなり、今に続く。ヘイリーもNARAに通ったと言われている。

自分は誰なのか、というアイデンティティーを必要としている人たちはほかにもいる。難民だ。ヨーロッパ取材で立ち寄ったスイス・ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、1920年代からの膨大な難民記録のデータベース化を進めている。

UNHCRの棚には、難民や紛争に関する記録がぎっしりと並んでいた

96年、当時の高等弁務官、緒方貞子(89)の指示で始まったプロジェクトだ。難民の記録は、難民を生んだ紛争の記録でもあり、詳しく残すことで後世に人類の紛争の検証を可能にする──そう緒方は考えた。保管庫を案内してくれたアーキビストのヘザー・フォークナー(36)は「同時に、これらは人間の『生』の記録です」と言った。原則として紛争の記録は20年後に公開されるが、個人の記録は、生存中は基本的に本人しか見ることができない。その内容は、年齢、出身地、職業、危険にさらされた状況、逃避の道のり……と詳細を極める。

祖国を離れ、時間とともに帰属意識も薄れていく難民にとって、記録はかけがえのないものだという。フォークナーは、戦火を逃れて米国に渡ったベトナム難民の男性が、後にボートでの自らの決死の逃避行の記録があることを知り「私の二つ目のパスポートだ」と興奮していたことが印象に残っていると言った。

1970年代に日本にたどりついたインドシナ難民の記録

記録が軽んじられる日本に、何が必要か

私が欧米で取材の旅を続けている間に、日本では加計学園問題や南スーダン日報問題をめぐる国会論戦が熱を帯びていった。記録が見つかったり廃棄されていたり、記録はあるけれど記憶はなかったり。日本は記録を軽んじる国なのだろうか。

だが、日本のアーキビストらに聞くと、庶民の記録の営みは一貫して続いていて、特に江戸時代の文書などは保存状態がよいという。その参考になる村が長野県の山間にあると聞いて訪ねた。

八ケ岳南麓にある諏訪郡富士見町乙事区(旧乙事村)は、宮崎駿が「もののけ姫」の着想を得たと言われる、緑深い集落だ。江戸後期に土地台帳などを保存する「帳蔵」が建てられ、いまも大事にされている。区長の五味正文(67)に石造りの蔵の鍵を開けてもらって2階に上がると、文書が入った段ボール箱が整然と並んでいた。和紙に破れや虫食いはなく、墨もあせていない。

帳蔵の建設趣意書には「半紙一行の書付にても、千金に替え難く候」などと記されている。一片のメモ書きでも保存することでもめ事が避けられ、村人の暮らしは安定する──そんな思いが伝わってくる。「藩に年貢などをおさめるのに文書がないと困る。ここは村の治まりがよいと表彰されたこともある」と46年前に区長をつとめた三井清エ門(89)は言う。日本の村が重視してきたのは、こうした、どちらかと言えば事務的な記録だったようだ。

政府が残すべき記録はどうか。元学習院大学教授(アーカイブズ学)の安藤正人(65)は「記録軽視の傾向は、明治時代以降の政治文化、とりわけ民主主義の欠如の問題だ」と指摘する。維新後の政府は、欧米流の文書管理システムを一部導入したものの、記録は国民のものだとする意識が根付かなかったという。政府が急速に膨張したために記録の整理や保存が追いつかず、結果として残さない方向に向かったとの見方もある。

日本ではまだ数少ないレコードマネジャーで記録管理学会の元会長、小谷允志(80)はさらに分析を加える。「以心伝心」で物事が処理されがちなところから来る「契約」意識の低さや「水に流す」の言葉に象徴される過去にこだわらない「いま中心主義」、個人の責任をあいまいにしがちな日本の組織の体質、忖度が幅をきかす意思決定プロセス……。

2011年に公文書管理法が施行されて事態は改善されたが、「理念を実践する専門職が足りない」と小谷は案じる。法施行以来、省庁の記録管理担当者研修に協力してきたが、せっかく研修を受けても、日本の役人は2、3年で異動してしまう。専門性の高い人材を増やして官公庁に配置したり、国立公文書館のバックアップ体制を強化したりしていくことが大事だろうという。

取材の旅で印象に残っているのは、NARAの記章だ。翼を広げたハクトウワシの頭上にラテン語で「書かれた言葉は残る(LITTERA SCRIPTA MANET)」。記憶は時とともに薄れるが、記録は何十年、何百年と残る。

ノルウェーや米国の記録に対する姿勢といまの日本の記録をめぐるごたごたを考えた時、最も際立つ違いは「未来に対する意識」ではないかと感じた。いまの記録は未来には歴史の一部になる。未来からの視線を恐れて記録を捨てたり隠したりするのではなく、未来から見られているからこそ記録を残す。必要なのは、歴史、いま、そして未来は切れ目なく続いている、という自覚だろう。