『ブラックパンサー』は、アフリカの架空の国ワカンダが舞台。強力なエネルギーを持つ鉱石ヴィブラニウムを擁して高度な科学技術を発達させ、地球上のどの国よりも密かに栄えながら、侵略などを警戒して表向きは「資源のない小国」を装ってきた。ある日、国王が暗殺され、息子ティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン、40)が即位、超人的な力を持った守護者「ブラックパンサー」に。そこへ武装蜂起をもくろむアフリカ系米国人エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン、31)が、白人の武器商人ユリシーズ・クロウ(アンディ・サーキス、54)と組み、ヴィブラニウムそしてワカンダを狙いに来る。迎え撃つティ・チャラは、これからも孤立主義の鎖国を貫くか、世界のため力を発揮するか次第に迫られる。
作品を見ていない方もこのあらすじを読めば、アフリカ系の人たちが今作に熱狂した源泉を読み取れることだろう。資源を守りながら密かに栄えるワカンダのありようは、いわばパラレルワールドのアフリカ。「もしアフリカが西欧列強の植民地とならず、資源を略奪されず、人々が奴隷として拉致されることもなかったらあったかもしれない世界」だ。
キャストの大半、またライアン・クーグラー監督や共同脚本家、ムーアと主要製作陣の多くもアフリカ系という、ハリウッドの大予算作品としては例を見ない構成で作られた。米興行収入データベースサイト「ボックス・オフィス・モジョ」によると、米国での興行収入は約7億ドルと、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)、『アバター』(2009年)に次ぐ歴代3位。歴代のヒーロー映画としても、また2018年公開の映画としても米国で首位をひた走っている。世界の興行収入は計13億ドル以上に。日本では劇場公開を経て4日、ブルーレイや独自コンテンツなどを盛り込んだ「MovieNEX」が発売された。
「映画の1作目は、観客が親しむまでに時間がかかるものだと僕たちは常に思っている。だから『ブラックパンサー』が米国でも国外でもこんなに成功するとはまったく予想していなかった」と製作総指揮のムーアは振り返る。
「アフリカ系米国人は、自分たちと同じような見た目の人物が映画でほとんど描かれていない、自分たちがちゃんと遇されていないと感じてきた。だからこそ、アフリカ系の大勢の人たちが今作のファンになった。マーベルの他の映画とも違うものになっていて、米国以外の人たちも、描かれるヒーローやテクノロジー、色彩を新鮮に感じてくれたんだと思う。そうして期待をはるかに上回るヒットとなったのだろう」
10月には、スミソニアン協会が運営する米ワシントンの「国立アフリカ系米国人歴史文化博物館」に今作の衣装などが展示されることも決まった。ムーアは「これはものすごいことだ。この映画が時間をかけてもたらす社会的影響力にとても力づけられるし、非常に光栄だ」と話した。
米国で公開後、ムーアの周りでこんなことがあったという。ロサンゼルスに住む白人の友人の8歳の息子が『ブラックパンサー』を見に行き、帰宅して母親に「すごくよかった!」と伝え、「一番好きな登場人物は隊長」と話した。それが女性戦士から成る国王の親衛隊「ドーラ・ミラージュ」の隊長だと母親が気づいたのは、5分ほど経ってからだそうだ。ムーアは言う。「白人のこの少年がマーベル作品で初めて好きになったキャラクターが、アフリカ系の女性。これはものすごいことで、ヒーローであるとは何か、それは肌の色や地位を超えるのだと物語っているよね」
米国には、この少年のようにチケットを買って映画を見に行く余裕などない子どもたちも、アフリカ系などに多い。このため「社会的に取り残されたコミュニティーや貧しい地域の出身」の子どもたちがこの映画を見られるよう、多くの地域が募金活動をしている。「彼らがなりたいと思えるロールモデルを見せるためにも、大事なことだと思う。ソーシャルメディアでも、彼らのとてもいい反応が載っていたりするよ」とムーアは語る。
今作はナイジェリアやモロッコ、チュニジアなどアフリカ諸国でも劇場公開された。「これは脚本執筆や撮影前作業の段階から僕たちが望んでいたことでもあった。クーグラー監督らは本物のアフリカをできる限り反映させようと格別の努力をしたし、美術監督や衣装デザイナー、作曲家もアフリカの建築や織物、器楽を取り込んだ。この作品がアフリカへのラブレターとなるよう、みんなで努めた」とムーアは言う。それが奏功してか、「100%正確なアフリカではないフィクションながら、自分たちをちゃんと反映した映画を見るのはアフリカ大陸の人たちにとって初めてという反応が直接または間接的にも寄せられた。これはとても励みになる。僕だって、アフリカをただ貧困や資源支配権、または複雑な問題のイメージで描いた映画を見たら異議を唱えるだろう。現実にはアフリカの文化を本当に称える映画はめったになく、だからアフリカ大陸の人たちも本当にこの作品を楽しんだのだろう」
アフリカ系のヒーローで、かつ国家のトップという設定も珍しい。ムーアは語る。「『国際舞台で活動するアフリカの国家首脳』というのは今作の大事な特色。指導的地位に立つ人物について考える際、アフリカはしばしば見過ごされてきただけに、勇気づけられることだろう。それを見た若き指導者層が意欲をかき立てられればと思う。このことを、アフリカ系のルーツを持たない人たちに示す意義もある」
実際、ティ・チャラは架空の存在ながら、現実の政治家の心にも響いている。ティ・チャラは劇中、こんなセリフを放つ。「賢者は橋をかけ、愚か者は壁を築く」。メキシコとの国境に壁を作るとぶち上げたトランプ米大統領へのメッセージのように思っていたら、米ブルームバーグによると6月の米朝首脳会談の前日、韓国の金東兗(キム・ドンヨン)副首相兼企画財政相が講演で、トランプ米大統領と金正恩・朝鮮労働党委員長はこのセリフに耳を傾けるようにと語ったそうだ。米朝首脳会談はあいまいな内容での合意となり、本当に非核化に至るのかと懸念や批判が広がっているが、一方で「日本にいつミサイルが向かってくるかわからない状況は明らかになくなった」と菅官房長官も認め、住民の避難訓練は中止となっている。少なくとも「橋」はかかったわけだ。
ブラックパンサー自体は、米公民権法が制定された2年後の1966年、マーベル・コミックス『ファンタスティック・フォー』で初めて描かれている。だがムーアによると、1980年代あたりはマーベル内でも距離をおかれていたそうだ。「他のキャラクターとは見た目が違っていたからね」。ムーアがマーベル・スタジオに加わった2010年には、映画化の候補リスト上位に上がるようになっていたが、この時は「脚本の草稿がマンネリなもので、ゴーサインが出なかった」。子どもの頃からブラックパンサーがずっと大好きだったムーアとしても、「イマイチな出来など許されない」という思いが強く、「ふさわしい物語を語り、キャラクターのよさを本当に発揮しようと、僕たちが自分でハードルを課した。だからこそ、ここまで時間がかかった」。
今作ではティ・チャラと敵対するキルモンガーが生まれ育った街として、米カリフォルニア州オークランドが出てくる。オークランドは、今作のクーグラー監督が長編デビュー作にしてサンダンス映画祭作品賞・観客賞などを受賞した『フルートベール駅で』(2013年)の舞台でもある。無抵抗の黒人青年が地下鉄の駅で白人警官に射殺された実話がベースで、この青年を主演したのもキルモンガー役のジョーダンだ。そうした要素を念頭に『ブラックパンサー』を見ると、ティ・チャラに反発するキルモンガーがより悲しい存在に映り、アフリカ系の人たちが今作にいかに熱狂したかについても、より思いをはせられることだろう。
米国ではトランプ大統領のもと、支持者らが「白人のアメリカを取り戻そう」と気勢を上げ、丸腰の黒人青年が白人警官に殺される例はなおも続いている。この映画がもっと早く完成・公開されていれば、状況はよくなっていただろうか。ムーアは言った。「かもしれない。ただ、この映画がこれだけ受け入れられたのもある程度、時間が関係している。もっと早く公開されたとしても、ここまでの内容にならなかっただろうし、観客はどの時代も少し違う」
この映画にはいろんな意味で力強い女性がたくさん出てくる。彼女たちの衣装は戦士から女王、王女に至るまで、いわゆるセクシー系ではない。意識して避けた結果だろうか。ムーアは「その通り」と言って答えた。「特に親衛隊ドーラ・ミラージュの衣装は、最良の戦士として機能的になるよう意識した。戦う者の機能的な衣装は、昔ながらの露出度の高いセクシーなものではなく、より甲冑的なものになるだろうということだ。だから衣装デザイナーとともに、女性が肌を多く露出することで戦いが不利になることのないシルエットを見いだそうとした」
『ブラックパンサー』に先立ち、ハリウッドでは史上初の女性スーパーヒーローを描いた『ワンダーウーマン』(2017年)や、メキシコの少年を主役にアカデミー長編アニメーション賞を受賞した『リメンバー・ミー』(2017年)と、多様な性別や人種・民族を主役にしたヒット作が相次いでいる。次はアジア系、あるいは別の人種・民族をヒーローにした映画もお目見えするだろうか。
そう聞くと、ムーアは「その質問にはイエスだ」として語った。「うれしいことにマーベル・スタジオでは、これまで取り上げられていない人たちを新たなキャラクターにしようという取り組みが進んでいて、さまざまな民族をヒーロー・ヒロインにした作品が初期段階で2本ほど進んでいる。ありがたいことに世界中の観客も、そうした物語を渇望している。いまだ語られていない物語を熱望する声は寄せられているし、間違いなく優れた物語になってヒットすると思う。マイノリティーをはじめいろんな人たちをスクリーンに描くのは、映画人の責務だと感じている」