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伸びしろの国 刺激の日々@ポルトープランス(ハイチ)

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
にぎわうハイチの田舎町の路上市場=橋本謙さん提供

橋本謙 ハイチ保健省技術アドバイザー

私のON

若いころ、学校の勉強に少し疑問を感じていました。勉強のための勉強というか、受験のための勉強が本当に人生のためになるのだろうかと。高校に行くよりも、大工や料理人をめざして働きたいとも考えていました。その方が多くのことを学べそうな気がして。頭より体で学ぶタイプなんでしょうね。

結局、好きなサッカーをしながら進路を考えるために地元の公立高校に入りましたが、どうも見通しが暗い感じでした。ちょうど、おじがイギリスに転勤することになり、「留学しないか」と誘ってくれました。親はいつもどおり「自分で決めたらいい」と温かく支え、当時の担任の先生は「行ってこい」と背中を押してくれました。こんな環境に恵まれ、イギリスで自分を試そうと決めました。

日本の高校を中退し、英国の高校に入り直しました。最初の2年間ほどは英語に苦労しましたが、だんだん分かるようになり、ロンドン大学に進んで心理学を専攻しました。何で心理学だったのか、今から考えると、やはり人、とくに心に興味があったんですね。

その後、イギリスの大学院を経て、2000年に日本の国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊としてグアテマラに赴任しました。以降、JICAとWHOの仕事で足かけ15年ほど、中米で感染症対策に携わりました。

ポルトープランスの旧市街=橋本謙さん提供
 

カリブ海の島国ハイチを初めて訪れたのは2015年、ハイチの保健事情に関するJICAの調査で、2回にわたりそれぞれ10日間ほど出張しました。ハイチでは黒人が大半で、言語がフランス語とクレオール語のせいか、活動してきた中南米とはかなり違う世界を感じました。翌年、JICAのハイチ保健省に派遣する専門家の募集があり、ちょうど新たな刺激や学び、挑戦の機会を探していたので、応募しました。

私の専門は「国際保健」という分野です。お医者さんのように一人ひとりの患者を看るのではなく、国々の保健システムや政策、保健医療サービスの運営管理などを見ます。ハイチでの仕事は主に二つで、一つは、ハイチ国民全員が保健医療サービスを受けられるように、必要な政策や構造を整える支援。もう一つは、南東県というところにある県病院の運営能力を高める支援です。この病院は、ハリケーンや地震でひどく傷んでいたので、日本とカナダの両政府が共同で建て直し、2016年に完成しました。

日本とカナダが建てた南東県のジャクメル病院を背に立つ橋本謙さん=本人提供
路上のゴミ捨て場=橋本謙さん提供
 

とはいえ、ハイチは西半球で最も貧しい国で、地震やハリケーンなど自然災害にも繰り返し悩まされてきました。道路や電気、上下水道などのインフラから、政府の予算や人員まで相当限られています。資金がない、物資がない、救急車がない……。給料の未払いで職員によるストもあります。物事が計画通りに進まないのも当たり前。ハイチで事業をするには他国の2倍から5倍の時間がかかると言われています。援助機関が他国で成功してきたやり方を持ち込んでも、受け皿のもろいハイチではことごとく失敗しているのです。それだけに、独自の発想や知恵が求められるのですが、この難しさこそがやりがいです。

また、ハイチでは、発展の兆しが見えにくい社会に愛想を尽かして、優秀な人が次々と米国やカナダ、ドミニカ共和国、フランスなどに渡っていきます。そんな中でも、希望を持ち続けてハイチに残り、母国の発展に貢献しようと努力している人たちもいます。そんな意識の高い仲間と活動する時は、心が躍ります。

ポルトープランスの二輪タクシー=橋本謙さん提供

ハイチを「ラテンアフリカ」と言う人もいますが、この辺でも独特の国です。教育を受けた人はフランス語を話しますが、地元の人が普段話すのはクレオール語。私はその両方を勉強しているのですが、片言でもクレオール語で話すと相手の表情、心の開き方がまったく違います。かつて西アフリカから連れてこられた人々が奴隷として働く植民地だったハイチは、1804年にフランスとの独立戦争に勝ち、中南米で初の独立国家になりました。その後の数年間は、他の中南米諸国の独立も助けたのですが、再びフランスの経済制裁、米国の政治介入などを受け続けて、発展できず今日に至りました。いまは貧しい国ですが、「いつの日か」という闘志のようなものをどことなく感じるときもあります。

南東県の路上で果物を売る人たち=橋本謙さん提供

昨年12月、国連のアントニオ・グテーレス事務総長も参加した、国際保健に関する世界的な会議が東京で開かれました。そこで、2030年までに世界のすべての人が必要な保健医療サービスを受けられるように、取り組みの強化がうたわれ、日本政府も協力を約束しました。ハイチは強化支援対象国の一つに選ばれました。

それはうれしいのですが、一方で「貧しい国に手をさしのべて」という上から目線は、いかがなものかと思います。ハイチの人々から日本が学ぶことも多々あります。家族や近所づきあい、人々の助け合いなど、ささいなことかもしれませんが。日本に帰国し、一緒にいる友人同士がそれぞれ自分の携帯電話ばかり見ていたり、電車やバスで他人に席を譲らなかったりする光景を目にすると、少し寂しくなります。それぞれの国や個人の素敵な面々から学び合えば、きっと相乗的に成長していけるでしょうね。

私のOFF

橋本さんが自宅として借りている家=橋本謙さん提供

ハイチは治安の関係で、家族は連れて来られない決まりになっていて、単身赴任です。外出も制限があるので行動範囲は限られますが、それでもくつろいだり、発見したり、楽しんだりする機会は充分あります。

自宅は平屋の一軒家で、休日はたいてい、庭先で飲み物を片手に読書や調べごとをしています。ココアは、村人がカカオを収穫し精製した手作りで、お茶は、隣に住む大家さんの庭からレモングラスやアーモンドの木の新鮮な葉をとって作ります。気候も心地よく、脱力しやすく、ついうたた寝もします。

ハイチに赴任した時は、特に不安も期待もなかったのですが、みるみるこの国が好きになりました。理由は人です。心温かく人懐っこい。フランスとの独立戦争に勝った時、かぼちゃスープで祝ったことから、日曜にかぼちゃスープを飲む習慣があるのですが、隣に住む大家さんは毎週日曜に、美味しいかぼちゃスープをおすそわけしてくれます。

ポルトープランスの市場で売られるサクランボなど
病院がある南東県の新鮮な魚の炭焼きとバナナのフライ=橋本謙さん提供

普段の食事は、路上で売っている果物、落花生、トウモロコシ、サトウキビなどをかじって済ませることが多いです。スーパーでも様々な食材は手に入るのですが、路上の方が好みの品が豊富で、新鮮でおいしいです。海沿いにある南東県に出張すると、魚料理が楽しめます。電力事情が悪く保存が難しいので、その日に水揚げされた「獲れたて」を味わえるのが醍醐味ですね。

ハイチでこんなに充実した日々を送ることができるのも、理解し支えてくれる家族、仲間、皆さまのおかげです。心から感謝します。(構成・浅倉拓也)

Ken Hashimoto

はしもと・けん/1974年、三重県出身。2000年から15年間、国際協力機構(JICA)や国連で中米の感染症対策に従事。20169月からJICA専門家としてハイチへ赴任。