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自閉症の息子、どんな可能性が 答えを求めて記者が世界を旅する

Re:search 歩く・考える

長男は幼少時からトイレへのこだわりが強かった。百貨店に出かけると、すべてのフロアの男性トイレで「和式か洋式か」「洗浄便座があるか」を確認して回った。付き添う親は毎回、ヘトヘトになった。昔ほどではないものの、今もトイレへの関心は高い。その理由は分からない。
どんな支援があれば生きやすくなるのか。自閉症の人はどんな可能性を秘めているのだろう。――。長男の成長を見ながら、そんな疑問を抱き、自閉症の取材を重ねてきた。9年前、新聞紙上で「発達障害とともに」という記事を連載し、当事者の悩みを聞き、就労や子育て、支援の現場を訪ねた。掲載後、当事者や家族らから1000通以上の手紙やメールをもらった。その後も取材を続ける中で、海外での興味深い取り組みを耳にし、訪ねてみたいと思った。

アプリで思い伝える 技術が世界開く後押しに

1月、米カリフォルニア州サンノゼ。夫の転勤でここに住む久保由美と、重い自閉症の長男・渡(22)親子を訪ねた。由美は8年前、会話が苦手な渡のために、言葉や食べ物などを示すアイコンに触ると音声を再生するアプリ「Voice4u」を知人と開発した。そのことをメールと電話で取材し、記事にして以来の知り合いだ。その後、新たな会話補助アプリを開発し、渡が文章でコミュニケーションできるようになりつつあると聞き、直接会って話を聞こうと米国に飛んだ。

「昨日は何をしたの?」
言語聴覚士のマリリン・バードに英語で尋ねられ、渡は手元のiPadに指先を走らせた。「『ラ・ラ・ランド』を見ました」。間もなく、入力した英文をアプリが読み上げた。
「私に聞きたいことは?」。バードの問いに、「ええ……」と口ごもる渡。「文字で」と促されると、「この映画を見たことはありますか」と、声に出しながら打ち込んだ。
普段の渡の会話は単語を発する程度だが、このアプリを使えば、文章で思いを伝えられる。渡は文字を書くのが苦手だがキー入力はできる。特別支援高校を卒業後、地域の大学で数学や英語を受講し、アプリを使って講座に参加した。アプリを使ったコミュニケーションについて、渡は「楽しい」という。
 渡が幼い頃から、由美は様々な物の絵と名前を描いたカードで息子の意思を確認してきた。カードは1000枚で5キロにもなる。渡は外で遊ぶたびに噴水や水場に飛び込み、濡れた衣類を脱ぎ捨てたので、由美のバッグは着替えも含め20キロに膨れあがった。「スマホにカードの情報が入ったら楽なのに」と思い、ボランティア活動で知り合ったスタンフォード大大学院の卒業生、樋口聖(37)に相談して生まれたのが「Voice4u」だ。約100カ国・地域で11万回ダウンロードされ、2013年には前出の会話補助アプリも開発した。
 パソコンのほうがコミュニケーションしやすい。直接話しかけられると不安になる。人が僕の目を見ると怖くなる……。宿題の小論文で、渡は言語聴覚士の支援を受けながら、心の内を詳しく記述した。最近はタブレットに書き込む前に、入力する文章を口にすることもあるという。「僕は賢くなる」と言い続ける渡に、由美が「賢い人ってどういう人?」と尋ねた。渡はゆっくりと、「笑顔であること。幸せであること。正直であること。誇りを持つこと」と答え、由美を驚かせた。
 渡の普段の会話は「イエス」「ノー」など簡単な応答がほとんど。でも、彼の胸の内にはこんな魅力的な言葉や考えが、いっぱい詰まっているのだ。技術の進歩は、思いをうまく伝えられない自閉症の人たちの世界を外に開く後押しになるのではないか――。そう感じた。

障害が才能に変わる時

米西海岸では、その後もITと自閉症の人たちの自立支援とが結びつく現場を訪ねた。サンフランシスコの南部にソフトウェア大手SAP(本社・ドイツ)のオフィスがある。全世界で8万人以上の社員を有する世界的企業では、13年から自閉症の人の積極採用を進めている。世界9カ国で116人の自閉症の人を雇用し、米国は最多の38人を占め、グラフィックデザイナーやデータ分析など21種の仕事についている。将来、社員の1%を自閉症の人にする計画だ。
彼らの多くは大学や大学院卒だが、面接などで不採用となり、SAPに来る前は無職やパートだった。50社の面接に落ちた人、ホームレスだった人もいる。SAPでは優れた記憶力や並外れた集中力を発揮し、データや情報のわずかなミスを発見するなど活躍しているという。
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年前から働いているアスペルガー症候群の男性社員(31)は、カリフォルニア大バークリー校で物理工学を学んだが就職できなかった。採用面接で「あなたのことを教えて」と言われて戸惑ったのだ。「あいまいな質問は苦手でした」。ようやく得た仕事は郵便物を管理するパート業務。その後、大学のカウンセラーの紹介でSAPに就職し、今は製品の品質テストなどを担当する。直属の上司は「細部への注意力や集中力が素晴らしい」と言う。
採用プログラムの責任者、ホセ・ベラスコ(53)によると、就労前に6週間の訓練を行い、適性や能力を見極める。採用後は数人のチームを組み、健常者と一緒に働く。特性を理解するマネジャーや教育役、ランチを一緒に食べたり、社外で一緒に遊んだりする友人役、私生活の調整役ら、複数の人が就労を支える。採用者の定着率は9割超だ。
ベラスコの2人の子どももアスペルガー症候群だという。長年、製品管理部門で働いてきたが、現在の部署への異動を希望した。「子どもの将来への不安で夜中に跳び起きたこともある。今後はより生きやすくなるよう、世の中は変わっていくだろう」
自閉症の特性をビジネスの「戦力」とみるSAPの取り組みは、私には画期的に思えた。過去の国内取材で、その特性がマイナスに評価され、就労が阻まれたり、退職を余儀なくされたりする事例を見てきたからだ。
難関大学院を出たある青年は、会社の新人研修で「あなたができることは」と聞かれ、「ビデオのタイマー予約と宅配ピザの注文」と答えた。「会社の仕事としてできることは」という言外の意味を読み取れなかったのだ。医師の診断はなかったが、前出のSAPの社員と同じく、あいまいな表現の理解が苦手だった。その後、雇用継続が困難と判断され3カ月で会社をやめた。
SAP
では、同僚らの支援によって、自閉症の特性が「才能」として開花している。この取り組みに他社も注目し、60社以上から問い合わせがあったという。
ただ、SAPで活躍するような知的能力が高い人は全体の中の一部だ。社会参加がより困難な人たちにもITの訓練をし、雇用するNPOがあると聞き、テキサス州ダラス郊外のプレイノに飛んだ。
団体の名は「ノンパレイル」。「比類のない」といった意味だ。CEOのダン・セレック(54)は三男のケイレブ(19)が幼少時に自閉症と診断された。息子が経済的に自立できる道を探り、彼がゲームに関心を持っていたことから、IT分野で長年働いた経験を生かし、同じく自閉症の息子を持つ現社長のゲーリー・ムーア(61)と08年に団体を設立。自閉症の人たちにソフトやゲーム開発を教え、仕事を提供している。
プレイノの事業所では6人がフルタイム、30人がパートで働き、約100人がIT技術を学習中だ。スタッフは23人。明かりが苦手な人に配慮され、昼でも薄暗い。
カイル・マックニース(28)は3歳で自閉症と診断された。高校卒業後、スーパーの袋詰めやレストランの片付け係をしていたが、ストレスが多い一方で時給は低く、「先が見えない毎日だった」。講演会でセレックと出会い、ITを学ぶ。5歳の頃から熱烈なゲーマーの彼はめきめきと力をつけ、今では同僚たちの指導役だ。「夢だった自立ができた」と喜ぶ。
だが売れる商品の開発は難しい。八つのアプリを作ったが売り上げは年間1000ドル(約11万円)で、主な収入はITを学ぶ生徒が支払う月額850ドルの学費と寄付金だ。今後は自動車整備や調理に仕事の幅を広げ、居住と働く場を隣接させた「コミュニティー」を目指すという。

自閉症の人の世界を感じる124秒の動画

とあるショッピングセンターに、自閉症の少年が母親に手を引かれてやってくる。ドアが開くと天井の蛍光灯のまぶしさに目がくらむ。通り過ぎる買い物客の手荷物の袋がこすれるガサゴソした音やドリンクをストローですする音が耳に障る。極彩色の商品やバルーン、テレビモニターがチカチカと視覚を刺激する。不快な波が押し寄せ、視界がかすむ。間もなく少年は耳をふさぎパニックに陥る……
英国自閉症協会が昨年公開した1分24秒の動画は、自閉症の人たちに世界がどのように見えているかを伝える。障害への理解を深めるキャンペーンの一環で制作した。キャンペーン責任者のトム・パーサー(34)によると、当事者や家族ら約7000人へのアンケートと約100人へのインタビューを参考にしたという。公開後、数十分で目標の視聴回数70万回を突破。よりリアルに体験してもらおうとVR(バーチャルリアリティー)動画も作り、イベント会場などで大勢の人に体験してもらったほか、小学校にVR用ゴーグルを配った。当事者から「自分のことをわかってもらえてうれしい」、親からは「子どもの苦しみがわかった」という声が寄せられたという。ただし、動画はあくまで一例で、自閉症の人の感覚は様々だ。
パーサーの14歳の息子も自閉症だという。食べ物へのこだわりがあり、長い間、トーストとパスタ、チーズしか食べられなかったそうだ。私の長男も長いことエアタオルの音と便器の自動洗浄が苦手だった。エアタオルは耳をふさぎたくなる暴風のように聞こえ、自動洗浄の水は突然襲いかかってくる洪水のように見えたのではないか。私自身、VRを体験し、長男が体感していた世界の一端をのぞき見た気がした。

ロンドンの西方約150キロ、バースにあるバース大学では、VRによる障害者支援の研究が始まろうとしている。担当のカリン・ペトリーニの研究室は黒一色に統一されている。体につけたマーカーを天井に設置された8台のカメラで正確に確認するためだ。室内を歩くと、カメラがとらえた動きがVRの世界に投影される。
外出時にパニックを起こす自閉症の人にVRの公園を散歩してもらい、複数の人に同時に話しかけられたり、近くを自動車が行き交ったりする環境を設定することで、その人が苦手とする要素を確認できる。音や光の程度を微妙に変えながら、苦手な環境に慣れる訓練もできるという。
バース大学を紹介してくれたのは自閉症の専門医として知られる大正大学教授の内山登紀夫だ。VRでは環境を操作できるので、自閉症の人の得意、不得意を探れるほか、就職の面接やコミュニケーションの練習に役立つと内山はみる。一方で「VRと現実世界は違う。きめ細かな人の支援や理解が大切なことは変わらない」と言う。

「言葉が色を持つ」という感覚

パリのレストランでアスペルガー症候群の英国人作家、ダニエル・タメット(38)に会った。特定の分野で驚異的な才能を発揮する「サバン症候群」とされ、半生をつづった『ぼくには数字が風景に見える』(講談社文庫)などの著書がある。数字や言葉が色や質感を伴い、風景のように見える独特の感覚の持ち主で、複雑なかけ算や割り算の解答を瞬時にはじき出すほか、円周率の暗唱、アイスランド語を1週間で会話可能なレベルまで習得するなど、驚異的な能力を発揮する。

ダニエル・タメット Photo: Ota Yasuo

サバン症候群の人は、自閉症や知的障害がある一方、一度見た風景を写真のように細部まで正確に描写したり、1万冊近い本を暗記したり、と特定の分野に天才的な能力を発揮する。報告例は少なく、世界でも100人に満たないといわれる。ダスティン・ホフマン主演の米映画「レインマン」で広く知られるようになった。近頃は、認知症や頭部外傷の人の中でも似た事例が報告されている。
インタビューは英語だったが、普段はフランス語やアイスランド語を使うことも多いそうだ。「言葉に色や質感があることが言語の習得に役立っている」という。
では、私の名前の頭文字「Y」はどのように見えるのだろう?
「黄色でツルツルしています」
数字は?
「例えば181は光っていて長く、スプーンみたいに丸いものです」
昨年はチェスをテーマに初の小説『ミシェンカ』を書いた。囲碁の対局を描いた川端康成の『名人』に触発されたという。自分の体にぴたりとあうコートを見つけるように、しっくりくる美しい言葉を探しながら執筆する。「私が小説を発表することで、自閉症の人に小説が書けるはずがないという偏見がなくなればいい。私たちが生きやすい社会になるには偏見をなくすことが大切だ」
幼少時、級友から話しかけられても、言葉は雑音のように頭の中を通り過ぎ、言葉のやり取りができなかった。それでからかわれたりいじめられたりした。
そんなつらい時代を家族が支えた。図書館で一人で過ごす毎日だったが、両親は「外で遊べ」と強いることはなかった。「そのままの自分を受け入れてくれた」。アスペルガーの診断は25歳のとき。他人と違うことの説明がつき「ハッピーだった」と言う。
自閉症の人は一般にコミュニケーションに課題を抱えるが、取材ではそんなそぶりは見せなかった。メニューを英訳してくれ、デザートに特大のメレンゲが運ばれてきた時は「雪だるまだ」と冗談を言い合った。高校卒業後、リトアニアで英語教師のボランティアをした経験や、最愛のパートナーとの生活を通じて、世界を広げていったという。
「息子さんは何歳ですか」。別れぎわ、尋ねられた。17歳だと言うと、「まだまだ成長します。父も私の成長を驚いていました」

新緑に躍る心

人による支援が、自閉症の人を成長させる。私が暮らす大阪に、その実例がある。大阪府大東市の音大生、高橋紗都(さと、20)に初めて会ったのは08年。冒頭で触れた新聞連載の取材で、彼女は小学6年生だった。ちょっと不安そうで、ほとんど話さなかった。幼い頃から聴覚が過敏で、小学校入学直後から登校を嫌がった。自傷行為も始まり、父・純と母・尚美は自宅で勉強したいという紗都の希望を尊重し、登校しない選択をした。その後、アスペルガー症候群と診断された。

高橋紗都(中央)と両親=2008年8月撮影 photo by Ota Yasuyuki

紗都は昨春、7歳から習うギターで、アマチュアのソプラノ歌手とのコンサートを開いた。久しぶりに会った彼女の成長に驚いた。9年前、観客は片手をグーにして音が出ない拍手を送ったが、この日は集まった約70人の大きな拍手をほほえんで受け止めていた。以前は予測しない変化への対応が苦手でパニックを起こしたが、歌手が歌い出しを間違えても弦の音色は乱れなかった。
コンサートは中学校の時のスクールカウンセラーが中心となり企画したという。どんな見守りや支援があり、どんなふうに成長してきたのか。改めて両親と暮らす自宅を訪ねた。

高橋紗都(中央)と両親=2017年2月撮影 Photo by Ota Yasuyuki

3人は穏やかな笑顔で迎えてくれた。「中学校での支援が大きかった」という。放課後の静かな時間帯に登校し、数学や英語を教わった。身体検査も他の生徒の前に受けさせてもらえた。小学校ではつらいと言っても「わがまま」と見なされたが、中学ではつらいことをつらいと受け止めてもらえ、紗都は「大人への印象がガラリと変わった」という。学校まで徒歩5分。初めは母親と一緒に、次第に1人で通えるようになった。
中学を卒業後、通信制高校に進学。2年前からは私立大学の音楽学部に週2回、電車を3回乗り継いで通う。
昔は拍手が苦手だったが、「演奏が終わると観客は拍手するもの」だと理解し、受け入れる努力をした。昨春のコンサートでは、事前に歌手のミスを想定して練習を重ねた。
とはいえ、いまも過敏な感覚で苦労はする。新しいショッピングセンターは苦手だ。光を反射する新しい床や交錯するBGM、人の足音など、耳や目に飛び込んでくる情報がつらい。「多くの人が無意識に捨てている情報を拾っているから」と尚美は言う。
一方で、だからこそ受け止める豊かな世界がある。自然が大好きで、春には新緑が芽生え、葉が大きくなるに従って風になびく音が日々変わるのを感じ、心が躍る。水滴が放つ光や、映し出す周りの風景を眺めて楽しんでいる。
紗都は今後、「しんどくならない今の生活を維持しつつ、演奏活動を続けていきたい」という。「ギターは言葉。ギターのほうが思いを伝えられる」。心を込めて演奏し、客席からふわりと心地よい空気を感じ取ったとき、充実感に満たされるという。

「多様性がイノベーションを生む」という理念を持ち世界的に自閉症の人の採用を進めるSAPや、多数の職員を抱え理解を広めている英国自閉症協会の取り組みに、国内取材では見たことがない強い勢いを感じた。一方で、子どもの将来を心配する親の思いは、日本も海外も同じだった。社交辞令や上手なうそを言えない子どもの不器用な真っすぐさを愛し、苦労はあっても明るく支える親の姿に共感も覚えた。
「自閉症の人が障害者となるかならないかは、適切な支援があるかどうかによる」と、英国自閉症協会の関係者は言った。無比のかけがえのない仲間として職場で力を合わせる人や自分のペースで歩む人たちは、それぞれに合った支えの中で力を伸ばしていた。
ただし、それぞれに濃淡が違う特性に適切な配慮をすることは楽ではない。特性のグラデーションは、健常者の世界とつながっており、私自身、微妙な色合いの中を生きている。
以前、長男はパニックを起こすと自分の腕をかんだが、今は歯を食いしばってこらえる。最近は「日本の教育環境は他国と比べていいのか悪いのか」と繰り返し聞く。何かの不安やストレスの表れだ。それは何か、どう支えるかを、日々の会話や行動を見ながら探している。
これからも、成長に従って変わる課題に向き合い、新たな可能性の発見を楽しみながら、自閉症の世界の旅を家族とともに続けたい。(文中敬称略)

自閉スペクトラム症とは
 他人の気持ちを読み取るのが苦手だったり、興味や関心に偏りがあったりする。聴覚や視覚など感覚の過敏性を伴うこともある。スペクトラムは「連続体」の意味で、微妙に色が変わる虹のように、自閉症の特性が強い人から弱い人へ、知的障害がある人からない人へと、境界なく様々な症状があることを示す。100人に1人の割合でいるとされる。
 自閉症の歴史は1943年、米国の精神科医が小児の「他人とコミュニケーションをとれない」症状を見つけたことに始まる。以後は一般に、知的障害があり、コミュニケーションをとれない症例を自閉症としてきた。
 その後、アスペルガー症候群のような知的障害のない自閉症の存在が知られるようになり、90年代に世界保健機関と米国精神医学会が診断基準をまとめた。2013年に改訂された診断基準では、自閉症やアスペルガー症候群を含む広汎性発達障害などを、自閉スペクトラム症として体系化した。

「手を振ってるよ」松元伸乃介

 松元伸乃介(27)は、金沢市在住のユニークな動物のイラストレーターとして知られる。3歳の時に専門家から、知的障害と自閉症の傾向が強い、と指摘された。4歳のころから動物の絵にこだわりを持ち始めた。明るい色彩が特徴。輪郭は筆ペンで描き、カラーペンで色をつける。年間の制作数は約250枚。人間を描く時も動物で描き、母・聖子(55)はドラゴンのことが多い。「悪いことをしたら怒られるから」と聖子は笑う。

「牛」中沢要明

22年前のこと。長野県四賀村(現・松本市)の施設が開いた作品展で、ウサギの置物を購入した人から、作者の中沢要明(41)に礼状が届いた。「止まってしまっている私の中で、要明さんのうさぎは、小さいけれど確かな温かさとほほ笑みを届けてくれているのです」。「うさぎのお友達」という差出人は、自殺に失敗した、と打ち明けた。中沢は重い自閉症で会話は苦手だが、手がけた置物は傷ついた心に寄り添ったのだ。当時、私はこのウサギの話を記事にした。

 ウサギの生みの親は、どうしているだろう? 2月、松本市の作業施設に中沢を訪ねた。「生年月日は?」。再会するやいなや聞かれた。生年月日へのこだわりは昔と変わらない。日中は作業施設で作品を作っている。最近は、木工製品が多く、年数回、展覧会やバザーに出品しているという。