亡くなった父はどこにいるのか?
昨夏、父を見送った。身近な人の死をどう受け止めればいいかという気持ちの問題のほかに、お墓のことが気がかりだ。少子高齢化が進む日本では、私のように子どもがいない人も増え、先祖が眠る墓を将来どう守っていけばいいのか、という不安が生まれている。家族のかたちや価値観が変わっていくなか、葬送もいままで通りにはいかなくなる。私はこれまで、日本の「弔いのかたち」を取材してきたが、世界ではどんな変化が起きているのか。アジアには日本を上回るスピードで高齢化が進む国が少なくないし、北欧には、遺族がまったく関わる必要のない宗教を超えた匿名の共同墓地があると聞いた。父の墓問題も含めて、心満たされ、納得のいく弔い方を見つけようと、私は日本を出発した。
81歳だった父は、突然の末期膵臓がん宣告の3カ月後、我が家に近い総合病院で、私たちが見守るなか息を引き取った。子煩悩ではなかった父とは、それまでゆっくり話したこともなかったのに、最期、罪滅ぼしのような時を与えられたことは幸運だった。父は無宗教だったが、生前、妻方の墓に入ることに同意し、遺骨は都内の浄土真宗の寺に納められた。
ただ、私は墓参りをする気持ちになれなかった。そこに父がいるとは思えないのだ。
私は幼少期、カトリック信者の母(83)に勧められて洗礼を受けている。兄(51)と妹(40)のきょうだい3人ともがキリスト教徒で、成人するまで線香を上げる習慣もなかった。
さらに、きょうだい3人に子どもがいない。父が眠る墓には十数個の骨つぼが入っているが、近い将来、管理する者は確実にいなくなる。母はわずかな遺族年金を頼りに都内で独り暮らしをしていて、檀家といっても浄財を出す余力はない。
私は父の墓前で手を合わせることに抵抗を覚える一方で、かなり前から日曜礼拝にも通わなくなっていた。父の他界で、クリスチャンであるという自分の認識も揺らぎ、「祈るべき対象」を見失ってしまった気がした。
ところで、先進国の多くは少子高齢化という共通課題に直面している。
私がまだ子どもだった昭和の時代には、盆暮れ正月や冠婚葬祭など、家族と親戚を合わせると20~30人が一堂に会する機会が年に2、3回はあったように思う。それは同年代のいとこたちと再会して遊ぶ楽しい機会でもあった。あれから半世紀近くが過ぎた今、食事会などで数年ぶりに集まっても数人程度。白髪交じりの大人ばかりで、子どもの声は聞こえない。
家族の人数が減り、身内のつながりが弱まるなかで、日本では「葬送」の悩みが深刻化している。「先祖代々の墓を自分の代で無縁墓にしかねない」とか「自分の葬式や埋葬を頼む人がいない」など、訴えは切実だ。墓に関しては「永代供養」をうたう共同墓などへの引っ越しや、墓石を撤去して更地にする「墓じまい」が始まっている。同時に高額を請求されるトラブルなども報告されている。樹木葬や海洋散骨などへの関心が日本でも高まってきているのは、現状への不安や不満、そして家族観、死生観の多様化を映しているように思う。
なぜ墓は必要なのか?
父は一体どこにいるのか?
マレーシア 多民族国家は葬儀の縮図 簡素あり、豪華あり
最初に訪ねたマレーシアは多民族国家。世界の墓地の縮図がある。
首都クアラルンプールの「ジャランアンパン墓地」は世界有数の超高層ビル、ペトロナスツインタワーの足元、大都会の中心部にあるイスラム教徒(ムスリム)の墓園だ。日中の気温が40度に近づくなか、指示に従って髪やうなじを隠す布「ヒジャブ」をかぶり、見学した。
ここに眠る人々はいずれも近隣住民たちで、土葬されている。ムスリムは神の審判が下る日の復活を信じ、火葬は固く禁じられる。死後はできるだけ早く埋めなければならない。区画は亡くなった順に割り振られ、夫婦が隣同士を希望しても通らない。石で長方形に囲み、名前と誕生・死去の年月日が刻まれている。偶像崇拝を認めないので墓石はなく、どこが通路かはっきりしない。ただ、「死後の平等」が感じとれた。
新書「〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓」の著者で国内外の葬送事情に詳しい第一生命経済研究所の小谷みどり(49)は最近、大学時代から20年以上も身内同然に付き合っているマレー人一家の、弟分だった40代の男性を脳梗塞で失い、その葬儀に参列した。「遺体は布にくるまれ、顔をメッカに向けて埋められた。私には早すぎる死だったが、遺族は悲嘆一色でなく、彼が苦しみから解放されて神のもとに召されたことを喜んでもいた。信仰の深さと文化の違いを感じた」と振り返る。
簡素なイスラム墓地と対照的なのが、中国系(華人)の葬祭儀礼の華やかさだ。クアラルンプールから南へ約60キロ、ネグリセンビランの「孝恩園」は1991年にオープンした。華人向け民間霊園として初めて政府に認められた施設だという。約124ヘクタールの敷地は英国で建築を学んだデザイナーが構想を手がけ、日本風の庭園もある。ビジネスで成功した男性が眠る2000平方メートルほどの区画が約3億円と聞いてため息が出た。
クアラルンプール西方の霊園「仙境古城」はプールやテニスコートを併設する。清明節には故人の一族におそろいのTシャツを贈り、オンライン上で葬儀や生前の様子を公開。いずれも無料のサービスで、若い世代に墓参りを働きかけている。
こうした華人の死生観を支えているのは儒教の思想だ。「親孝行」もその一つ。ペナンや中国の大学で教壇に立つ王琛發(54)が言う。
「先祖の教えは子孫の中に脈々と受け継がれていて、そのことに対して子孫は感謝の気持ちを示さねばならない。その究極の形が葬祭だ。亡くなった先祖は家の守り神。魂が野山をさまよわないように、私たちはしっかり弔い、ちゃんと家に戻ってもらわなければならない」
キリスト教やヒンドゥー教の墓地も訪ね、道教の葬儀にも参列して、様々な宗教の弔い方に接した。大昔から「身内の死」が、それぞれのルールの下で大事に扱われていた。復活を信じて土葬に価値を置く文化や、墓や葬儀を豪勢にする習慣には、一族を挙げて死者を送る、「弔いの原点」が息づいていると感じた。
韓国 火葬が急増した社会で今起きていること
ただ、マレーシアで見たさまざまな弔いのかたちは、今の自分にはあまり響かなかった。父は特定の宗教を持たなかったし、私を含むきょうだいに子どもがいないからだ。昨夏、都内の斎場で営んだ葬式に参列したのは20人足らず。さらに、日本の葬祭儀礼はどんどん簡略化されている。
韓国を訪れたのは、日本を上回るスピードで少子高齢化が進む社会の変わりようを知りたかったからだ。
ソウル中心部から車で南へ1時間ほどの安城市。赤いカーペットが敷かれた屋外の階段を上って扉を開けると、ホテルのロビーのような空間が広がっていた。来訪者が受付のコンピューターに故人や自分の名前を入力すると、安置場所が表示される。
この「ユートピア追慕館」は国内最大級の納骨施設だ。2階の「キリスト教専用特別室」は、天井付近の壁がダ・ビンチの「最後の晩餐」の模写で覆われ、その下に並ぶ小棚に骨つぼや遺影、思い出の品々が飾られている。ほかにも仏教徒向けの部屋などがあるほか、公園として整備された野外での樹木葬を選ぶこともできる。
オープンは03年。「国民の大半がまだ骨を預けるなんて考えもしなかったころ、欧州の納骨堂を参考に、家族で憩える空間をホテルのようなコンセプトで作った」と広報担当者。その後、実業家や文化人、日本にもファンを持つ芸能人たちがここを選んだ。
韓国の合計特殊出生率は16年が1.17で、OECD加盟国の中で最低。高齢化速度は世界トップ水準だ。葬送スタイルも激変した。それを端的に示しているのが「火葬率」の急上昇だろう。
韓国では1990年代初めまで、土葬が8割を占めていたが、その後、国土の狭さや都市部への人口集中による埋葬場所不足が深刻化。2000年ごろから政府や市民団体が本格的に火葬を推進し、05年に火葬が50%を突破した。16年は82.7%。20年には9割を超す見込みだ。
火葬が普及すると、今度は火葬場が足りなくなった。ソウル市が12年1月に完成させた「ソウル追慕公園」は計画段階で住民の反対に遭い、稼働までに14年を要した。住民との協議を繰り返した結果、大気を汚さず、周囲の地形の起伏を利用してどの角度からも見えない構造にした。いまでは高く評価されているという。
火葬化は、人が死を迎える場所にも変化をもたらした。韓国保健福祉省によると、99年に病院で亡くなった人は3割ほどだったが、2016年は75%と大幅に増えた。理由は、都市部の病院経営者たちが同じ敷地内に葬儀会館を作るようになり、利便性が増したことだという。日本では「在宅死」が推進され、世界でも「どこで終末期を迎えるか」は関心事だけに興味深い。
20年余でここまで劇的に変化してきた韓国の葬祭儀礼。弔いのかたちは固定されたものではなく、その時々の社会や経済の情勢を映して、人々の意識も含めて変わってゆくということを示す。やはり猛スピードで少子高齢化が進む台湾の台北市は12年から行政主催の合同葬を始め、利用者が増えている。それまで「宗族」と呼ばれる父系血縁集団の支え合いで成り立ってきた葬儀が、核家族化や単身者の急増で立ちゆかなくなったためだ。
韓国政府は08年、納骨堂の乱立による自然破壊を防ぐため、芝生や草花の下に遺灰を埋めたり周辺にまいたりする「自然葬」の推進を法律に盛り込んだ。墓石を建てない樹木葬墓地などの整備も始まっている。自然葬の普及のために13年に設立された財団法人「韓国葬礼文化振興院」の理事長の李鐘尹(72)が言う。
「火葬化はもっとスピードアップできる。私自身も火葬を希望し、子どもに迷惑をかけるつもりはない。大事な人の遺灰は、自分の心に埋めればいい」
スウェーデン 目印のない墓地
雪に覆われた大地に立つ高さ7メートルほどの石の十字架。雲一つない青空から太陽の光が降り注ぐ。
3月28日午後1時半。スウェーデンの首都ストックホルム郊外にある公共墓地「スコーグスシュルコゴーデン」を訪ねた。時代を超えたデザインなどが評価されて世界遺産にも登録されている別名「森の墓地」。入り口からしばらく直進した先、なだらかな起伏の向こうに現れたモニュメントの神々しさに、息をのむ。
背後に森が広がっていた。木漏れ日が、薄暗い土の上に点在する無数の墓石を照らす。キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、仏教。女優グレタ・ガルボもここに眠る。気づけば2時間近く、凍った道を歩き回っていた。
ただ、私が目指していた墓地は、この先にあった。日が傾く前に見ておかねばならない。「ミンネスルンド」。「追憶の杜」と訳され、この国で半世紀以上前から法的に認められる匿名の共同墓地だ。遺灰は自然に帰され、管理は遺族ではなく公的機関が担う。
案内板の地図を確認して急ぎ足になった数分後。えっ? 目を疑った。
そこにあるのは何の変哲もない、小高い丘。頂上へ続く小道の登り口に小さな標識が立っているだけだ。どこに祈ればいいかわからない。これまでに7万人以上の遺灰が埋葬され、この墓地で火葬される人の半数がここに入ることを望むという。だが、どうしても墓と思えなかった。〈一体、何を感じればいいのか?〉。私は虚脱感に襲われた。
旅の最終地にスウェーデンを選んだのは、このミンネスルンドが見たかったからだった。死後は家族関係を超え、平等と共同の世界へ─そんな哲学を掲げる墓は少子高齢社会が行き着く先、まさに「進化形」かもしれないと想像した。
死者が匿名の共同墓に入れることが法的に認められたのは1950年代後半。この国は、お年寄りの面倒を見る責任は家族ではなく国が負うと明確に打ち出した。死者に対しても同様で、火葬も埋葬も無料。墓地の維持管理には税金があてられる。
天涯孤独な人や家族が遠く離れて暮らす単身者のほか、「子どもや親戚に迷惑をかけたくない」「無縁墓として撤去されるよりも永久に管理を」と考える人たちはスウェーデンにも多い。こうした層に、死後も続く「連帯」の象徴として幅広く支持され、
80年代から急速に普及した。全国数百カ所に広がり、いまも増加傾向にあるという。
「進化形」の先にあるもの
第2の都市イエーテボリの墓地の一角。若い女性がうずくまり、袋の中から小物を出しては地面に並べていた。火をともしたキャンドルに水仙の花、ハート形の置物。何をしているのか尋ねると、
「息子が死んでしまった」
と潤んだ目で顔を上げた。25歳の彼女は妊娠末期に街で暴行に遭い、早産した赤ちゃんを生後7日で亡くした。その遺灰がこのミンネスルンドに埋葬され、供え物を持参したのだった。目の周りにまだアザが残る母親は短いやりとりの最後、悲しみを吹っ切るように言った。
「お墓に入れられて本当に良かった。ほかの家族も安心している」
ただ匿名墓地では、遺族は埋葬に立ち会えず、遺灰を埋めた場所も教えてもらえない。目印がないから、参拝者は拝んだり話しかけたりする動作に入りにくい。遺影や花などを置く追悼空間はあるものの、壊れた写真立てや枯れた花が放置されたままになっていた。
ここ数年で人気が出ているのが、故人名を刻んだプレートを掲げられる共同墓だ。遺灰が埋められた場所にプレートを置くことや、遺族の立ち会い、夫婦単位での埋葬にも応じてくれる墓地が出てきた。
ミンネスルンドに対する「故人との接点や関係性を確認できるシンボルが何もない」という国民からの不満を解決する方法として注目されている。イエーテボリ市内35カ所の公共墓地を統括するカタリーナ・エーベンシス(54)も歓迎している。「市民からの要望がある以上、それに合った形で広めていく。埋葬に関する法律の中で、きちんと位置づけられるよう働きかけたい」
人々はどう考えているのだろう。
元公務員のビッビ・ラング(69)は「私が若いころはミンネスルンドは確かに人気だった。墓の管理が必要ないから。でも最近は友人の子どもが『墓参りをしたい』と言い出し、いろんな考え方が出ていると思う」と語る。昨年11月、最愛の夫が75歳で他界した。「亡くなって4カ月を過ぎたころから、すぐに涙が出るようになった」
夫は長く認知症を患い、埋葬地の希望は聞けなかった。出身地の墓は300キロも離れている。結局イエーテボリのビッビの実家の墓へ。彼女もいずれ同じ墓に入るが、跡継ぎはいない。生前に管理費を納めても最長25年間で埋葬権は消え、更地になる。「夫は元妻との間に息子が1人いて再婚、私は初婚で子どもができなかった。こちらは家族関係が複雑なケースが多く、そのことも生前に意思表明するミンネスルンドが浸透した一因だと思う」
取材を通して、スウェーデン人も墓や埋葬のあり方に迷い、悩んでいること、そして問題に向き合いながら柔軟な発想で解決しようとしていることがわかった。世界の至るところで、誰もが大切な人の死を経験し、自分なりの弔い方を探りながら生きている。
帰国する飛行機のなかで、春のお彼岸がとっくに過ぎてしまったことに気づいた。親の墓にも行かずに、見ず知らずの、しかも海外の墓ばかり訪ね歩いたことを思い起こし、一人、苦笑した。そういえば私は仕事の失敗談や滑稽な出来事を晩年の父によく打ち明けた。父はいつも耳を傾けてくれた。
ふと思った。この旅の最中に何度も父を思い出し、出会った人に父の話をした。そんな時、そばに父がいるように感じられた。
いずれは父たちが眠る墓をどうするかの判断を迫られるのだろう。だが、今焦って決めなくてもいいのではないか。墓参り、してもしなくても構わない。世界の葬送の多様性に触れ、死者の偲び方の正解は一つでないと知ることができたのが最大の収穫だった。(敬称略)
<世界の火葬>
日本は火葬率99.98%と、世界一の「火葬大国」。イギリス火葬協会によると、台湾(96.19%)、香港(93.34%)と続く。アジアが上位を占めるのは、面積の狭さも関係しているようだ。死後の復活を重視するイスラム教徒やカトリック信者が多数を占める国では火葬は広がらない。
環境への配慮から火葬化に否定的な動きもある。1991年設立の英国の「ナチュラル・デス・センター」は(1)エンバーミングをしない(2)有害物質を出さない土葬にする③棺は土で分解される素材を使う─などを推奨している。
日本の火葬化の歴史は、実はさほど古くない。土葬を上回ったのは1935年。70年代でも8割にとどまった。明治民法で長男が墓を継ぐと定められ、その後、骨つぼを複数収納できる「家墓」が現れた。家墓の普及は、昭和に入ってからのことだとされる。