2カ月ほど前、私はこの欄でレストランを褒めたたえた。どこか一つの店でなく、あらゆるレストランを。レストランにこそ私が外食を愛する理由があると。
正直に言うと、あれは本心から書いたわけではない。本当に書きたかったのは外食の時に味わうむかつくことや不愉快なこと、レストランから撲滅したいあれこれだった。
私を歯ぎしりさせ、一晩を台無しにする類いの経験。しかし、結局は書かなかった。その日机の前に座ると、亡くなった祖母の言葉が頭の中に流れ込んできたのだ。「マイケルや……」。子どもがよく言われる小言(野菜を食べなさいというような)に続けて祖母は言った。「いいことが言えないのなら、何も言ってはいけないよ」
それはこれまで守ろうとしても、ほとんどうまくいったためしがない教えだ。しかしあのときだけは、どういうわけか違った(きっと読者の皆さんに、優しくて慈悲深い人間だと思われたかったのだろう)。
あのコラムを書きながら、なんとか祖母の言葉を胸に刻み、積極的に変わろうとした。しかし人間が本性を抑制できる時間はたかが知れているし、世の中には「レストランの憂鬱」があまりにも多い。今こそここに私のトップ10を紹介します。
ああ……罪深きレストラン
第10位 うるさすぎること。食事相手が何を言っているか聞こえないような店には二度と行かない。最たるものがニューヨークのレストランだが、会話の中身がないニューヨーカーにとっては、別に聞こえなくてもいいらしい。
第9位 静かすぎること。世間にはある種の気取ったフレンチレストランが存在するが、彼らは自分たちを料理界の権威と見なしている節がある。そこで食事ができる栄誉を手にした人は、ささやくことしか許されないようだ。懐石料理の店も、この種の罪を犯すことがある。
第8位 バターなしのパン。イタリア人よ、大好きだけど、ふざけないで。
第7位 画集並みに分厚いワインリスト。試験でもあるまいし。私はおいしく気軽に飲める1杯のコート・デュ・ローヌ(仏産赤ワイン)が欲しいだけ。
第6位 皿以外のもので料理を出すこと。日本ではまだあまり見かけないが、ヨーロッパやアメリカでは石板、木片、小さなバケツなどに盛りつけるのがトレンドで、韓国ではミニチュアの便器まで見かけた。笑えるのはせいぜい2秒で、たちまち不愉快になる。たいてい散らかるし、ウェーターの仕事を厄介にするだけだ。
第5位 チップ。外国人が日本に来て感動するのは、チップがいらないことだろう。特にアメリカでは、私のような算数にも苦労している人間には、とてつもなくストレスだから。
第4位 料理の説明をするときに、ウェーターが手を皿に近づけすぎること。その指を私の料理から離しなさい!
第3位 化粧室に行っている間にウェーターが私のナプキンをたたむこと。行き先がトイレだと知っているのに、大げさなことはしなくていい。
第2位 量が少なすぎる、もしくは多すぎること。北欧のニュー・ノルディックやフランスのヌーベル・キュイジーヌといった料理はその少なさで知られるが、おいしい料理はひと口と言わず、バケツ一杯食べたい! 逆に特大の器で出てくるラーメンはいつも完食できない……。どちらも悲劇。
第1位 何よりすべてのウェーターが犯しうる最悪の罪、どんな食事も間違いなくぶち壊しにするのが、料理を私の前に置くときに必ず添えられるあのささやき。「エンジョイ」。楽しむと決めるのはあくまでも自分。もし他人に言われようものなら、全力で楽しまないことにする。
どうだ思い知ったか。(訳・菴原みなと)