南洋パラオの州の公用語だってばよ しぶとく残るダイジョーブ
周囲の海は荒い。ボートは欠航が多いと聞き、軽飛行機に乗った。青い海に緑の島々。動画でも見るように、20分あまりのフライトが終わった。
機体は未舗装の滑走路にバウンドしながら着陸。「ダイジョーブ?」。空港職員が声をかけてきた。「ダイジョーブ」は日本語の「大丈夫」だ。
親日国として知られるパラオ共和国は、日本から南に約3000キロの距離にある。586の島のうち人が住むのは9島。人口約1万8000人の小さな国だ。
旅の目的地アンガウル州は、パラオに16ある州の一つ。東西3キロ、南北4キロの島で、中心地コロールから約60キロ南にある。この州は世界で唯一、日本語を公用語としている。
化学肥料などに使われるリン鉱石の採掘で栄えた島に、かつての面影はなかった。州といっても住民は100人ほど。道の真ん中に犬が寝そべり、野生化したニワトリが横切る。雑貨店が数店あるだけで、レストランも病院もない。島の大半はジャングルに覆われている。
第1次世界大戦後、パラオはドイツ領から日本の委任統治領となった。日本政府はコロールに、ミクロネシア諸島を統括する行政機関・南洋庁を置く。経済政策のために移民を奨励した。ココヤシ栽培やカツオ漁などが盛んになる。第2次世界大戦直前の1938年時点では、パラオの人口約6400人に対し、約1万5700人の日本人が住んでいた。南洋庁は教育にも力を入れ、学校を建て、日本語を教えた。
「30年間にわたる日本の統治下で発展し、人々の生活が一変した」。パラオで研究し、『パラオ語における日本語借用語辞典』を執筆した日本語学専門の今村圭介・東京海洋大准教授(39)は語る。
日常的に「サシミ」を食べ、新年には「オシルコ」を楽しむなど、日本の生活様式が定着。日本語由来の約1000語が今も使われている。「ダイトウリョウ」「センキョ」など政治用語も多い。「ツカレナオス(疲れ直す=ビールを飲む)」といった、パラオ独特の用法もある。
そんなパラオにあって、日本語を公用語に定めたアンガウル州。1982年制定の州憲法の第12条1項には、こうある。「パラオの伝統言語、特にアンガウル州民の間で話されている方言をアンガウル州の言語として定める。パラオ語と英語、日本語は公用語とする」
日本でさえ公用語と定めていないのに、なぜ日本語なのか。日系3世で、制定時に州議会スタッフだったレオン・グリバートさん(65)は「当時は日本語教育を受けた世代も多く、日本語は身近な存在だった。特に議論もなく決まった」と話す。
島ではリン鉱石採掘のため、戦後も10年間ほど日本人労働者が働き、600~700人が住んでいた。パラオ人や日本人以外の人々もおり、その共通語として日本語が使われた面もあったという。
アンガウル島は、隣のペリリュー島とともに日米両軍が激戦を交わし、日本軍守備隊約1200人が「玉砕」した地でもある。戦後、元軍人や遺族が慰問に訪れるようになったが、宿泊施設がない。日本語が通じたため、民家に泊めることもあった。遺骨収集は、今も残る日本との接点だ。
宣教師のヘルランド・ゴトウさん(63)の父タケシさんは日本人だった。戦時中、洞窟に逃げ込み奇跡的に生還した。パラオ人の母も日本語を話したが、「夫婦げんかの時や、子どもに聞かせたくない話をする時しか使わなかった」という。戦争のことは一切、口にしなかった。「いろいろ、つらいことがあったんでしょう」。その沈黙は、何を語っていたのか。戦争を始めたのはパラオの人たちではない。
戦争を経験した世代は姿を消しつつある。アンガウルでも、日本語を話せる島民は残っていないという。州知事秘書のエリザベス・ヘンリー・リズさんによると、実際には日本語は公用語として機能していない。公的機関に日本語の書類を出しても、受理してもらえない。
1994年の独立までの約50年間、パラオは米国の統治下に置かれた。義務教育は英語で行われるようになり、若い世代は海外で働くことを目指す。ビザなしで働ける米国で軍の仕事に就く人が多い。
コロールの高校で日本語を教える野上陽子さん(51)も、「タンジョウビ」「エモンカケ」といった日本語由来の言葉を聞かなくなってきたと話す。子どもを叱る際に使われていた「アタマサビテル(頭がサビている)」も、今の生徒には「『アタマ』すら通じない」。
だが、変化の兆しも見える。マンガやアニメの日本語の意味を質問されることが増えた。『NARUTO-ナルト―』が人気で、「『だってばよ!』『ぜってー勝つ!!』といったセリフが生徒の会話で使われている」。
「世界的に若い世代の日本のソフトパワーへの関心は高い」と、在パラオ日本大使館の小野俊輔参事官(54)は語る。現地の高校などに出向き、アニメを通じて相互理解を深める出張授業をおこなっている。「言葉のつながりは国のつながり。親日国だからと油断すると、日本の存在感が薄れることもありうる」
日本政府は、パラオを含む太平洋諸国との関係強化に腐心する。背景には、この地域で高まる中国の存在感がある。アンガウル島では米軍のレーダー施設の建設が進む。
日本への帰国時。コロールの国際空港には、お土産として『鬼滅の刃』など日本のマンガ・アニメグッズや、カップ麺のキツネうどんが並んでいた。
今後も日本語はずっと公用語であり続ける、と語っていたリズさんの言葉がよみがえる。「ここには日系のルーツを持つ人が多い。私たちは歴史と文化を共有し、互いを理解し、尊敬している。日本語が公用語であることは、日本とのトクベツな関係を示す象徴で、精神的にも重要なのです」
「トクベツ」は日本語の「特別」で、意味も使い方も同じ。滞在中、何度も聞いた言葉だった。