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工事始めたら不発弾が出現@コロール(パラオ)

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
水道管新設工事の現場に立つ日本人の同僚(写真はいずれも塔野さん提供)

私のON

パラオは南太平洋に浮かぶ小さな島々からなる国で、フィリピンの東、グアムの南に位置します。サンゴ礁に囲まれて、透明度の高い海と豊かな生態系を有し、観光業が盛んです。人口はわずか2万人で、その8割以上はコロール州に暮らしています。とは言え、日本の小さな町のようなこぢんまりとした雰囲気です。私は最大都市の同州コロールに近いマラカル島に住んでいます。

この国は、第1次世界大戦に参戦した日本が1914年に占領し、第2次世界大戦の終戦まで約30年間にわたって統治しました。20154月には天皇・皇后両陛下がパラオを訪問。成田空港からの直行便もあり、日本からの観光客も多いです。

水道管新設工事の様子

私は166月にパラオに着任し、日本の無償資金協力援助による水道管新設工事プロジェクトをマネジャーとして指揮しています。アスベストの水道管が老朽化して漏水率が50%となっていて渇水期に十分な水量を供給できない深刻な状況になっており、これを取り換えています。日本人の同僚1人とフィリピン人、現地スタッフら10人と一緒に仕事をしています。

一番思い出に残るのは、工事を始めて2カ月目のこと。地中から不発弾が見つかり、その対応策が決まるまで工事中断を余儀なくされたことです。不発弾は旧日本軍が米軍の上陸を防ぐため、投下爆弾を上下逆さまにして地雷代わりに埋めたものとされています。下手をすれば付近住民を巻き込んだ大惨事になるところでした。

工事中に不発弾が見つかったことを報じる地元紙1面

工事を長期中断して不発弾処理団体による調査をするべきだとの主張も出て、一時は事業存続も危ぶまれました。しかし、処理団体が30センチごとに調査をし、その後に私たちが掘削するという工程を交互に繰り返す方法を採ることで、工事の遅延を最小限に抑えることができました。その後も不発弾は10カ所で見つかったのですが、すべて処理団体が発見し、爆発を起こさずに済みました。見つかった不発弾は、ほとんどが砲弾でしたが最大で520キロのドラム型のもの1個もあり、計80個にもなりました。

また、パラオには幹線道路が1本しかなく、工事のために片側1車線の幹線道路が渋滞し、副大統領から呼び出されて注意を受けたこともあります。人口は多くないのですが家族一人ひとりがそれぞれ自家用車を持っているような状況で、車は少なくないのです。

私のOFF

木々に覆われた様々な奇岩の島「ロックアイランド」。有名なダイビングスポットが点在している

パラオには400人近くの日本人が暮らしていて、その多くがホテル、日本食店やダイバーショップなどの観光業の仕事に携わっています。かつて日本の統治下に置かれていましたが、親日国と言えるでしょう。旧日本軍が善政を敷いたためともされています。

人々はとてものんびりしていて、治安もいいです。ミドルネームに「スギヤマ」「キンタロウ」「アダチ」などの日本の名前を付けている人もいます。会話の中でも「ダイジョウブ」「ゴメンネ」などと日本語が日常的に使われています。

近年は中国人観光客が増え、ダイビングをする人たちの急増などで環境面を心配する声も出ています。2015年にパラオ政府が一時、中国からのチャーター便数を減らす事態にもなりました。国としては観光収入が貴重なだけに、悩ましいところです。

パラオの特有な食べ物といえるのはタロイモやタピオカ、ココナツ、魚介類で、マグロやタイを刺し身で食べたりもします。と言うよりも、狭い島国のパラオはそのくらいしか生産しておらず、ほかの多くの食べ物は米国や豪州などからの輸入に頼っています。物価は先進国並みで日本よりも高いと感じる一方、パラオの経済的基盤は物価に追いついていない状況で、資源も豊富とは言えません。

通過は米ドルですが、例えばレストランは多くが観光客相手のため1食平均で812ドルし、日本円にすると約9001300円に相当するため、私はほとんど自炊をしています。ただし日本の弁当文化が根付いており、コンビニやガソリンスタンドでは豊富な弁当が並び、値段も24ドルとリーズナブルです。また、スマートフォンは通信代が日本よりも高価なので、もっぱら会社や自宅などWiFi(無線LAN)のつながるところで使っています。

私は056月から希望して海外勤務に出て、これまでブルネイ→フィリピン→パキスタン→ブルネイ→パラオと11年半以上を海外で働いています。2人の子どもたちはそれぞれ5歳と2歳で海外の生活に入り、パキスタンでの日本人学校の2年間以外の9年間をインターナショナルスクールで過ごしました。私が16年にパラオへ転勤する際、高校1年の長男、中学1年の長女の学習環境や進学を考慮して妻子を日本に戻しました。

潮が引いたときだけ現れる最北カヤンゲル島の「ロングビーチ」

しかし、日本とは異なる学校の雰囲気に慣れていた長女は中学1年生を終えた後、英語を使って勉強したいとパラオの私のもとへ来ました。長女の将来を案じることもありますが、現在はパラオの現地校に楽しく通っています。私はたまにビーチに出かけてシュノーケリングを楽しみ、長女はマラソンやバレーボールに汗を流す日々です。

現在の事業は今年5月に完了する予定で、その後、他の外国の事業に携わるのか、それとも日本に戻るのかは未定です。私としては人々の役に立っていると強く実感できる海外での仕事を続けたいですし、将来、長男が大学に進んだ後は妻も私と一緒に海外で暮らしたいようです。(構成・中野渉) 

Futoshi Tono

とうの・ふとし/1966年、福岡県生まれ。熊本大学で土木工学を学び、90年に飛島建設に入社。20166月からパラオのプロジェクトマネジャー。