夫婦別姓もいろいろ 姓名とも失うハンガリーの「夫人」

「ハンガリー人って、日本人みたいで保守的でしょ?」
ブダペスト商科大名誉教授で言語学者のヒダシ・ユディットさん(76)はにんまり笑った。日本に計12年ほど滞在した経験があり、夫婦別姓がなかなか実現しないことも知っている。「でもね、ハンガリーの夫婦別姓の歴史は古いんです」
ハンガリーが選択的夫婦別姓を導入したのは1953年。冷戦下、共産主義政権の時代だった。これで女性は結婚前の姓を維持できるようになる。しかし当時、多くの女性が選んだのは、しきたり通り、自分たちの姓と名の両方を失うことだった。
どういうことか。
ハンガリーの女性は結婚すると、男性の姓名に「ネー(né)」という接尾辞を付け、「~の夫人」という名前にしてきたという。例えば、田島知樹と結婚した女性はもともとの姓と名がなくなり、「田島知樹夫人」が正式な名前になるのだ。「結婚しているというステータスを表すことの意味が社会的に大きかったからです」。誰かの配偶者である、というアイデンティティーこそが重要だった。1997年には既婚女性の8割以上がこの方法で名乗っていたという調査結果もある。
2000年以降の法改正により、女性は結婚後、双方の姓をつなげた複合姓など7パターンの選択が可能となった。「~の夫人」という名前を選ぶ人は、若い世代では減っている。しかし全体的に見ると現在でも珍しくないという。あくまでヒダシさんの感覚だが、「地方も含めれば5人に1人ぐらいが、『~の夫人』を使っていると思います」。
「~の夫人」が多いと、ちょっとした混乱も生まれる。例えば離婚後、前妻と後妻の双方が「~の夫人」を名乗ることがあるという。ヒダシさんの周囲にもいるといい、「夫が有名人だったから前妻も名前を維持したんです。どちらも私の友達だから、電話の時などに混乱します」と笑う。
ヒダシさん自身は結婚後も名前を変えなかった。言語学者としていくつも論文を書き、名前へのこだわりがあった。芸術家や俳優も名前を変えないことが多かったという。「誰の配偶者か」ではなく、「何を達成したか」が大事だと思う人は当然いる。「色々なアイデンティティーの持ち方があるでしょ。それぞれが選べたらいいじゃない? ハンガリー人は個も大事にするのよ」
はっとした。アッティラさんへの取材を思い出した。伝統は重んじるけれど、個人の意思も大事にする。いや、重んじるからこそ大事にするのかもしれない。出自や来歴を尊び、それらを踏まえた自身の価値観と選択を大切にする。両者は決して矛盾しないのだろう。