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キラキラネームのない国ハンガリー リストから選んで命名

World Now 更新日: 公開日:
アッティラさん一家
アッティラさん一家。向かって左から次女ハンガさん、母エバさん、長女エニケーさん、父アッティラさん=ブダペスト市内、田島知樹撮影

名前は問いかける。人生の節目で私たちを悩ませる。家族とは、夫婦とは、アイデンティティーとは? 戸籍法改正に伴って、キラキラネームの行方も気になる。夫婦別姓はどうなるのだろう。改めて、名前を考えてみた。(朝日新聞文化部・田島知樹)

我が子の名前は自由につけられる。選択肢は限りない。だから親は悩み抜く。2年前の私もそうだった。この漢字でよいか。変わった名前と言われないか。迷走した。でも、最初から選択の幅が狭められていたら、どうだろう。

世界には、命名に制限をかけている国がある。その一つ、ハンガリーに向かった。

青々とした街路樹と歴史を感じさせる威厳のある建物が並ぶ。「ドナウの真珠」と呼ばれる首都ブダペスト。街の中心から延びるアンドラーシ通りは、世界遺産に登録されている。脇道に一本入った閑静な住宅街に、目指す建物はあった。

訪れたのはハンガリー言語学研究センター。ハンガリー語の研究だけでなく、辞書の編集や言語政策にも関わる。2人の女性が待っていてくれた。ラーツ・ユディットさん(67)とハオベル・キティさん(29)。ともに言語学者であり、センターの重要な仕事の一つを担っている。「名前委員会」だ。ちなみにハンガリーは姓・名の順である。

ブダペスト中心から延びるアンドラーシ通りは世界遺産に登録されている
ブダペスト中心から延びるアンドラーシ通りは世界遺産に登録されている=2025年5月3日、ブダペスト、田島知樹撮影

ハンガリーには公的な命名リストがある。親はこのリストから子どもの名前を選ぶ。リストにない名前をつけたい場合は、名前委員会に申請する必要がある。ラーツさんやハオベルさんら専門家が審査。認められれば、新たな名前としてリストに加わる。

そもそもなぜリストが生まれたのだろう。

2人の説明によると、1950年代になっても、ハンガリーでは伝統的な名前が好まれていた。10世紀前後に君臨したハンガリー王国初代国王のイシュトバーンといった名が人気で、男児では上位10番目までの名で全体の6割を占めたという。当時、命名について特段の制限はなかった。だが、管理・登録をする行政当局からは、指針を求める声が上がっていたという。

それに応えるように71年、『ハンガリー命名本』が生まれた。これが命名リストだ。言語学の権威が、ハンガリーで伝統的に使われてきた名前を調べ上げ、特にハンガリーらしいと考える女性895と男性932の名前を選んだ。ハオベルさんは「恣意(しい)的に聞こえますが、元々大多数が伝統的な名前をつけていたので反対もなく受け入れられました」と話す。

転機は1990年代。冷戦が終わり、西側の名前と価値観が流れ込んできた。リストにない名前を希望する人が増えた。年120件ほどだった委員会への申請は500件を超えるように。1998年には『命名本』の拡大版が作られ、リストの名前は計2710になった。現在は、センターのサイトに約4700の名前が載っている。

ハンガリー言語学研究センターのラーツ・ユディットさんとハオベル・キティさん
ハンガリー言語学研究センターのラーツ・ユディットさん(右)とハオベル・キティさん=2025年4月29日、ブダペストの同センター、田島知樹撮影

新規に認められるのは?

新しい名前の申請は、今でも年に500件前後あり、認められるのは1~2割ほど。いくつか基準がある。

まずはスペルだ。44文字のアルファベットをもつハンガリー語のスペルと読みでないといけない。例えば、「Jennifer」(ジェニファー)は却下される。ハンガリーで「J」は「イェ」と読まれるからだ。これが「Dzsenifer」であれば認められる。ハオベルさんは「それでも英語っぽいJで申請する人はいるんだけどね」と苦笑する。

また、ハンガリー国外でもよいので、すでに名前として広く使われている実績が必要だ。語源も調べる。加えて、名前は必ず性別を表さないといけない。アレックスといった両性で使えるユニセックスの名前は認められない。こういった規則がいくつもある。

変わり種もたまに現れる。最近では例えば、レゴラスが認められた。トールキンの小説『指輪物語』に登場するエルフの名で、世界的に使われている。「イシュトバーンが今でも根強く人気なように、体感としては99%が伝統的な名前をつけているが、社会の変化に合わせ、新しい名前も少しずつ認めています」とラーツさん。ハオベルさんは「ユニセックスの名前だって将来認められるようになるかもしれない」と話す。

自由な命名に慣れている日本人としては、リストは窮屈な規制だと感じる。しかし、ハンガリー人にとってはそうでもないようだ。滞在中、男女22人にリストについて尋ねてみた。すると明確に「厳しい」と答えたのは1人だけ。多くは肯定的だった。リストを通して伝統を守りたいという声すらあった。

その一人に話を聞いた。

伝統も個人の意思も

「当然、ハンガリーらしい名前を選んだよ」

ケーレシ・アッティラさん(53)は笑顔で説明した。横にいる妻のリッテンバッハー・エバさん(46)もうなずく。2人は会社員で、長女(12)と次女(8)とともにブダペスト郊外に住む。

エバさんの妊娠後、女の子と分かると、ネット公開されている命名リストとにらめっこする日々が始まった。聖人や偉人にまつわる名前がいい。でもユニークさも欲しい。互いに15ほど候補を選んで、悩み、議論しながら一つに絞った。1カ月ほどかかった。

決めた名前がエニケーだった。19世紀のハンガリーの詩に由来するという。あまり使われない名前で、響きも気に入った。

4年後、エバさんは再び妊娠。女の子と分かると、夫妻は同じやり方で決めようとした。しかし、エニケーさんが先手を打った。「ハンガがいい!」。当時夢中だったアニメのキャラらしい。

ハンガは、紫色のかれんな花を咲かせるツツジ科の植物名でもある。アッティラさんとすれば、もっと伝統的な名前をとも思った。だが、姉になるエニケーさんの意見を尊重することにした。

ハンガリーらしさが、なぜ好まれるのか。アッティラさんは「私たちハンガリー人は何百年と独特な言葉と文化を育んできたから」ときっぱり。命名リストも「ハンガリーの伝統を残すために必要だ」と話す。

アッティラさん一家の姓名
アッティラさん一家の姓名。娘たちは父と母の姓をつなげた複合姓だ

伝統を大事にしつつ、それなりに悩む。当然か、としみじみしていたら、ふと気がつく。2人は夫婦別姓だった。しかも子どもたちは夫妻それぞれの姓をつないだ複合姓だった。リッテンバッハーはドイツ系の姓で、エバさんは「先祖は南ドイツ出身。自分の出自を表す姓は残したかったんです」と言う。アッティラさんは「伝統的には、妻は夫の名前を名乗ることが多いけど、彼女の選択だから」とエバさんにほほえむ。伝統を重んじながら、個人の意思も大事にしたい。そんな姿勢が伝わってくる。

下の名前だけでなく、夫婦別姓も気になってきた。