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世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている

ヨーロッパから見る今どきの世界 更新日: 公開日:
ハンガリー総選挙での勝利を受けて支持者を前に演説するオルバン首相(中央)=2018年4月、ブダペスト、吉武祐撮影

「権威主義的ポピュリズム」は、旧東欧諸国やロシア、トルコなど、いったんは欧米型のリベラル・デモクラシーを目指そうとした国々に近年目立つ。その典型例が、今年発足10周年を迎えるハンガリーのオルバン政権だ。強権ぶりを発揮して国内の改革を次々と断行する一方で、EUなどとは鋭く対立する。
ハンガリーは冷戦時代、社会主義陣営の改革派として知られ、1989年の東欧革命もいち早く国境を開くなど、民主化の先頭に立ってきた。なのに今は、逆に権威主義ポピュリズムの急先鋒(きゅうせんぽう)だ。2010年に権力を握ったオルバン政権が、EUの意向を無視する形で難民を排し、憲法裁判所の権限を縮小し、教育の規制を強化する。

オルバン・ヴィクトル首相自身がかつて、民主化の闘士として改革派の若手グループを率いた経験を持つ。ポピュリスト政治家として名を売る今の姿は、180度の変節に見える。

まず、その政権を支える立場の論理を探ってみよう。

■オルバン首相の最側近、「恐怖の館」館長

ハンガリーは戦前ナチス・ドイツの、戦後はソ連の事実上の支配下に置かれ、秘密警察の監視の下で不当逮捕や拷問、虐殺が日常化した。その実態を展示したのが、ブダペスト中心部にある博物館「恐怖の館」。建物は共産主義時代の秘密警察本部跡で、地下に設けられていた牢獄も公開されている。学校の社会見学の定番となっているようで、私が訪れた2019年11月、館内は中高生らしき少年少女であふれていた。

ここのシュミット・マリア館長(66)がインタビューに応じた。シュミット館長はホロコースト研究で知られる歴史学者であると同時に、オルバン首相の側近中の側近として政権に深く関わる。10月には米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、政権が目指すものを「コミュニティー、キリスト教、連帯に基づいた非リベラルな社会だ」と説明していた。

オルバン首相の最側近シュミット・マリア氏 ©House of Terror Museum

――なぜそのような社会が必要だと考えるのでしょうか。

「リベラルな社会が国から統一性を奪い、いくつかの異なるアイデンティティー集団に細分化してしまったからです。でも、社会にとって重要なのは、国家に基づいた一つのコミュニティーに結集することです。そうしてこそ、連帯感を持つコミュニティーを築くことができます」

■「ハンガリーは均一国家」

――このグローバル化の時代に、そんなことが可能でしょうか。

「まさにそういった時代だからこそ、つまり人それぞれ違いがあるからこそ、私たちを結びつけ、連帯意識をつくるものが、国家を差し置いてはないのです。国民国家が重要な理由はそこにあります。グローバル化に直面するからこそ、地域のアイデンティティーもまた強まるのです。ハンガリーに限りません。スペインでも、英国でも、イタリアでも同じです」

――その場合、少数民族への対応が難しくなりませんか。たとえばロマ人とか。

「私たちは彼らを少数民族とは見なしません。みんなハンガリー人です。私たちのような市民と同様に」

「ハンガリーは均質の国民国家です。第1次大戦の戦勝国がそう決めたのです。その前、私たちは確かに、ハンガリー人がようやく半数を超える程度の多国籍多民族国家でしたが」

ハンガリーを中心とする旧東欧一帯には第1次大戦前、ハプスブルク家が支配するオーストリア・ハンガリー帝国が広がり、その中で様々な民族が共存していた。しかし、1918年に帝国が崩壊した後、民族移動や住民交換、さらに第2次大戦での敗北を経て、ハンガリーの領土は縮小し、同時にハンガリー人の割合が増えた。現在のハンガリーでは、1000万弱の人口の9割近くをハンガリー人が占めるに至っている。

一方で、ハンガリーには依然として多くの少数民族が暮らす。ジプシーと呼ばれ差別を受けてきたロマ人もその一つで、数十万を占めるという。後述するように、現在の政府には多数派ハンガリー人を優先する意識が強く、少数派を軽視しているのでは、との懸念を抱く人々もいる。

■「コピーをやめ自らの道を」

――「ベルリンの壁」が崩壊し、さらに冷戦が終結してから30年になります。この30年のハンガリーの変化をどう見ていますか。

ベルリン北東部にあるパンコウ地区に集められた、撤去されたベルリンの壁の残骸=1990年9月ごろ、朝日新聞社撮影

「ベルリンの壁は崩壊したのでなく、私たちが倒したのです。共産主義を打倒したのです。それはともかく、これまで大きな変化がありました。当初、私たちは米国化されました。国家と市場を再建するにあたって、米国のモデルに従ったのです。私たちは確かに、多くの新たなことをそこで学びました」

「続いて2008年に世界金融危機が起き、私たちは大きな苦汁をなめました。そこで、外国をコピーするだけではだめだ、自ら歩まなければ、と悟ったのです」

「私たちはコピーをやめ、自分たちならではの道を見つけようとしました。2010年以降オルバン政権が続けてきたのはその営みです。それが、有権者の3分の2の支持を得て、3期続けて政権を担当することにつながりました」

■「西欧はマイノリティー優先」

――ただ、2011年に憲法を改正した際には、多くの批判が寄せられました。報道や表現の自由が抑圧されている、との声もあります。

「それはうそです。ハンガリーには報道や言論の自由があります。その範囲は広く、他の国が模範とするぐらいです」

――今後ハンガリーはどうなりますか。

「西欧のようになりたいとは思いません。性的マイノリティーや少数民族に関する問題がすべてに優先されるのも、西欧ならではの現象です」

シュミット館長の歴史学者としての評価は、議論を呼ぶところである。そのホロコースト研究は国外にも広く知られる一方、被害を過小評価するものだとして批判を浴びたこともある。その一方で、オルバン首相顧問として政権のイデオローグ的な役割を果たし、その影響力は甚大だ。言葉の背後には、「ハンガリー」という国家アイデンティティーを確立し、それを抱く人々を一つのコミュニティーに結集しようとする意図がうかがえる。

1989年の民主化運動の中にも、このようなナショナリズムの意識がすでに含まれていた可能性は拭えない。旧東欧の民主化運動は、欧米の価値観やライフスタイルを追求する動きでもあるとともに、それまで均一化を迫ってきた共産主義とソ連に対抗してそれぞれの国のアイデンティティーを取り戻す運動でもあったからだ。その動きはかつて、欧米からのグローバル化とともに歩んできたが、あるときから違う目標に向かい始めた。それが、欧米側から見ると「民主化が定着しなかった」と映るのではないか。

■EUという帝国は望まない

オルバン政権を支援するもう1人の人物に会った。経済大学として知られるブダペスト・コルビヌス大学のランチ・アンドラシュ学長(63)だ。政権が推し進める政策について、彼はその論理と目指すものを、明確に解説した。

ブダペスト・コルビヌス大学のランチ・アンドラシュ学長=ブダペスト、国末憲人撮影

ランチ学長にはまず、民主化後30年の歴史を振り返ってもらった。

「30年といえば1世代です。この間、様々な問題がありました。第1に、共産主義体制をいかに解体するか、という問題です。第2に、経済をいかに再建するか。第3に、新たな環境の下でアイデンティティーをいかに形成するか、です。民主化は1989年になされたといわれますが、私の理解では今なお続いている。しかも、いつ終わるかわからない営みです」

「つまり、体制転換のプロセスはまだ続いているのです。共産主義をいかに払拭するか。それを常に気にかける世代に、オルバンも属しています。その点、西欧人は共産主義を単なるイデオロギーとしか認識していない。彼らはその政治体制の中で暮らしたことがないものですから。リベラルな人々にとって、共産主義はもはや過去のものでしょう。でも、共産主義を実際に体験したオルバンらは、そんなことを信じないのです」

「オルバンは、それが共産主義であろうがリベラルな考えであろうが、帝国の復活を決して受け入れません。今、EUは帝国に近い何か、あるいは米国のような存在になりつつあるように見えます」

――EUが国家主権を超える組織を目指しているのは確かです。

「そう、超国家組織です。誰も明言はしませんが、EU帝国になりつつあるのです。ゆっくりと、しかし着実に。オルバンは、それを望んでいません。もちろん、ハンガリーにとってEUは必要です。ハンガリーがEUを離脱したがっている、などと言う人がいますが、それは真っ赤なうそです。EUのあり方を変えたいだけなのです」

ハンガリーやポーランドなど旧東欧の権威主義政権に対して、しばしば「反EU」のレッテルが貼られる。しかし、確かに正確だとは言い難い。これらの国は欧州委員会の決定に反発したりEUの合意に従わなかったりするものの、EUの存在自体に疑問を投げかけているわけではない。その点、EU脱退を決めた英政権とは基本的に立場が異なる。

「オルバンが志向するのは、国民国家の擁護と、ハンガリーの歴史に根ざしたアイデンティティーの確立です。これは、イデオロギーではありません。インテリだけのためのものではないのです。経済、社会、文化すべての指針となるべき存在です」

難民の流入を阻止しようと、ハンガリーがセルビア国境に築いた壁。難民危機がハンガリー社会に与えた影響は大きい=2017年8月、ハンガリー南部セゲド近郊、国末憲人撮影

「ハンガリー民族は150年間にわたってトルコに支配されました。でも、一部の風呂の形式を除いて、トルコの痕跡は今どこにもありません。私たちは生き延びたのです」

「この100年の歴史を見る限りでも、第1次大戦後に領土や民族はばらばらになりました。すでに大変な衝撃です。続いて、ナチスがやってきて第2次世界大戦になり、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を含めて恐ろしい出来事が起きました。戦後、東西両陣営は我が国を東側に属すると決めたのです。続いて56年革命(ハンガリー動乱)が起き、ハンガリーは以後ソ連に軍事的に制圧されました。つまり、ハンガリーはその歴史の大部分を、外部に支配されて過ごしてきたのです。それは、ハンガリーのアイデンティティーに大きな影響を与えました」

■「ポピュリストと呼びたければ、呼べばいい」

「共産主義支配下で、私たちは『ハンガリーは小国だ』といった意識を植え付けられました。『おまえたちは小さいんだ、だから黙って大国についてこい。国家の尊厳など持つな』と。その意識は、民主化以降も続いたのです。オルバンはこれに異議を唱えました。人々のメンタリティーを変え、ハンガリーのライフスタイルと伝統、キリスト教に根付いた新たなアイデンティティーを築こうとしたのです。私たちにはその能力があるのだ、勇気を持て、と。その試みは成功していると思います」

「リベラルな人々は欧州的な個人主義に基づいた社会を志向します。しかし個人主義は伝統的なものすべてを破壊する恐れがあります。伝統的な考え方では、家族は男と女から構成されます。しかし、リベラルな人々は、そうではないというのです」

「オルバンとその協力者たちは、リベラルに対して、リベラル・デモクラシーに対して、戦いを挑んでいるのです。ただ、間違えていけないのは、オルバンはデモクラシー自体に異議を唱えているわけではありません。デモクラシー自体に問題はありません。大衆が物事を決めるのですから。リベラルや西欧は『オルバンがデモクラシーに挑戦している』などと批判しますが、全くの間違いです」

――オルバンはつまり、ポピュリストではないという意味でしょうか。

「全然違います。彼はプラグマティックな人物です。ただ、ポピュリストと呼びたい人がいれば、そう呼べばいいと思います」

――オルバン氏は、権威主義的だとしばしば批判されます。

「彼が決断しようとするのは確かです。リーダーシップを握るタイプですから。でも、たとえばこの国にはスズキの工場があって成功を収めていますが、その経営方法とオルバン氏の手法を比べて、違いがあるとは思えません」

――企業の経営方法に似ているという意味ですか。

「そうです。効果的なリーダーシップが必要だという点で。いい企業は権威主義的だし、そうでないとやっていけないと思います。オルバンは企業と同様に、強いハンガリーを築こうとしているのです」

■アイデンティティーは貴重だが

オルバン政権を支える両氏の意識には、ハンガリーとしてのアイデンティティーを確立しようとする意図が顕著にうかがえる。グローバル化の時代だけに、逆にそうした意識が強まっているのだろう。

国家アイデンティティー自体、決して悪いものではない。むしろ、流動化する世界を生き延びていくうえで必要な要素となり得る。問題は、それを強調することによって社会に亀裂が生まれないか。政権が規定するアイデンティティーからあぶれる人たちにとって住みにくい社会とならないか。

次に、オルバン政権に批判的な識者の話を聴いてみたい。(つづく)

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