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ミャンマー人が姓を持たない理由 東大名誉教授が解説「日本と違う対人関係の結び方」

World Now 更新日: 公開日:
水を浴び、新年を祝う在日ミャンマー人ら。日本に住むミャンマー人は年々増えている=2025年5月18日、広島市中区、上田潤撮影
水を浴び、新年を祝う在日ミャンマー人ら。日本に住むミャンマー人は年々増えている=2025年5月18日、広島市中区、上田潤撮影

ミャンマー人は姓を持たない。なぜなのか。1980年代からミャンマーの農村社会の研究を続け、1万人以上のミャンマーの村人たちにインタビューした東京大学の高橋昭雄・名誉教授(経済発展論)に、人間関係や名付けの特徴とあわせて、聞きました。(聞き手・中川竜児)

――ミャンマー人に姓がないのはどういう理由なのでしょう。

他民族国家のミャンマーで約7割を占めるビルマ民族を例に説明しましょう。ビルマ民族は父方、母方のどちらの血筋も問わない「双系制」と言われる社会をつくっていて、先祖代々や子々孫々といった系譜制を持っていません。このため、家や一族を区別する姓を必要としなかったと考えられています。

お父さんやお母さんが亡くなったときの相続の権利も同じ(均分相続)です。例えば、長男が家業を継ぐ、といったことはありません。長子が大切にされる傾向(オラタ)はありますが、性別は問いません。また、お墓も「家」ではなく、個人単位でつくられています。

――日本人からするとなかなかイメージがつきにくいですね。

日本人は家族や組織の中で自分という存在を認識する傾向がありますが、ビルマ民族は集団に縛られず、自分と相手の二者間(dyadic)の関係を重視します。家族の中に自分がいると考えるより、父と私、母と私、きょうだいと私、といった対人関係の結び方をするのが特徴と言えるでしょう。自分を中心に置いて、相手がどうか、という視点です。女性に対しては「マ」や「ドー」、男性に対しては「コー」や「ウー」といった敬称がありますが、これらも固定的ではありません。二者間の関係によって変化します。

ミャンマーの農村研究を続ける高橋昭雄さん
ミャンマーの農村研究を続ける高橋昭雄さん=2025年4月18日、千葉市花見川区、中川竜児撮影

――家族の結びつきはどうでしょう

家族の絆はとても強いと思います。仏教の教えもあって、親を敬うよう育てられます。「家族」という言葉が指す範囲は広く、3親等くらいまでの親族を含む場合も多くあります。「お姉さん」や「お兄さん」といった呼称も、本当のきょうだいを超えて使っています。時には赤の他人に対しても、です。

日本に来たミャンマー人が姓の存在を知ると、「日本の方が良いですね」とか「姓が欲しい」と言ったりしますが、私は「どちらが良い悪いではなく、社会関係のあり方、原理の違いです」と説明しています。

――共著『第三世界の姓名』で、ミャンマーの名付けは伝統的に生まれた曜日(水曜は午前と午後を分けるので八曜)と結びついていると説明されています。

月曜日生まれならビルマ語のアルファベットの一段目の子音を含む音節、カウン(良い)とかキン(愛する)など、火曜日なら二段目の子音を使ったサン(幸運)とかセイン(ダイヤモンド)、といった音節、土曜日までは同様で、日曜日生まれは母音を用いたアウン(勝利、成功)とかエー(平和)といった音節が名前の先頭に来るのが原則です。好ましい意味の音節を複数組み合わせますが、かつては単音節の名前も多くありました。

ミャンマー出身の元国連事務総長のウータント氏の名前は「タン(トは日本語では表記するが、ビルマ語にはない)」で、「ウー」は目上の男性への敬称です。ただし、単音節や2音節だと、同じ名前の人が当然多くなります。時代が下ってくると、親の名前やその一部が入れられ始めます。

アウンサンスーチー氏はそのはしりでしょう。「アウン」、「サン」(より以上)、「スー」(集まる)、「チー」(清らか)の4音節で、「アウンサン」は「建国の父」として知られるアウンサン将軍に由来しています。当時は父親の名前を入れるという方法としても珍しいし、4音節というのも長めだったと思います。

――今ではさらに長くなって、「キラキラネーム化」しているとも聞きます。

ビルマ語の場合、読み方が分からないということはありませんが、確かに長くなっていますね。ほかにも、曜日に関係する文字が先頭に入っていない、外来語を採り入れている、といった特徴が見られます。

ミャンマー人の場合、本名とは別の名前を普段は使うということもままあります。農村で研究していた時、土地台帳に載っている名前と、実在の人物を一致させるのにとても苦労しました。さらには、同一人物でも人によって呼び方が異なることもあります。先にお話しした二者間の関係によってそういうことが起きるのですが、彼らにとってはそれが普通で、何の混乱もないのです。