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亡き人の思いを継いでパン屋を リビウの駅前広場には飼い犬・飼い猫置き去り

World Now 更新日: 公開日:
結婚を約束していた男性の思いを継ぎ、パン屋を開いたスビトラーナ・ボンダレンコさん
結婚を約束していた男性の思いを継ぎ、パン屋を開いたスビトラーナ・ボンダレンコさん=2025年3月、リビウ市内で喜田尚撮影

ウクライナ最西部の街リビウは、第2次世界大戦後に広まった「人道主義」の発祥の地。「ジェノサイド」と「人道に対する罪」という概念は両方とも、この街で学んだ法律家が生み出した。しかし、国の枠組みを超越した人権保護を、という理念とは裏腹に、力の論理の現実世界から紛争は絶えない。人道主義はもはや無力なのか。欧州・旧ソ連地域を長年取材してきた喜田尚記者が、街を歩いて考えた。
リビウの位置=Googleマップより

2022年に始まった全面侵攻の初期からリビウに暮らす国内避難者の一人、スビトラーナ・ボンダレンコさん(43)は昨年8月、中心部近くに念願のパン屋を開いた。「ここで受けた支援がなければ、私が立ち直るのは不可能だった」と語る。

出身はロシア軍に占領された東部ルハンスク州の街。避難生活は全面侵攻前の2014年にさかのぼる。その年、ウクライナの親ロシア路線の政府が倒れ、親ロシア派武装勢力がロシアのプーチン政権を後ろ盾にウクライナ軍と軍事衝突。ボンダレンコさんの住む街を占拠したからだ。

15年間結婚生活を送った6歳年上の夫はいつの間にかロシアのプロパガンダに染まり、カラシニコフ銃で住民を威圧する武装勢力の男たちを「我々を解放に来た英雄だ」と言い出した。街が砲撃にさらされた同年8月、車で脱出。隣のハルキウ州の村に住んでいた両親のところに身を寄せた。2人の息子は先に避難させていた。何度も街に戻るよう求めてくる夫とは連絡を絶つしかなかった。

人生の立て直しを考えられるようになったのは避難4年目。料理が得意で、レストランを開く夢を持っていた男性と会い、彼の夢が実現したら自分はレストランで得意のパンを焼こうと決めた。

しかし、今度は全面侵攻が起きる。ハルキウ州は一部が占領され、街にロシア軍の戦車が来た。男性はボンダレンコさんと14歳だった次男をリビウに送り届けると、自らは軍に志願した。

間もなく悲劇が起きた。2022年7月、前線の男性から電話で、遅れていた2人の結婚手続きをしようと提案された。翌日から作戦行動に入るため、2週間は連絡が取れなくなるという。しかし、その作戦から男性が帰還することはなかった。

リビウの教会で葬儀を行い、青と黄色の旗が立ち並ぶ郊外の軍の墓地に男性が埋葬された後、ボンダレンコさんには絶望しか残っていなかった。

支援団体に紹介されたカウンセリングで「何かを始めること」を勧められた。「彼のために生きる」ことでしか自分の人生に動機づけができなかった。支援団体の紹介で、起業を目指す国内避難者のためのスタートアップ講座に参加し、ビジネスを一から学ぶ。起業できたのは、欧米の支援団体がスポンサーになっている基金に次々申請し、複数の奨励金を受けることができたからだ。男性の葬儀に参列した見知らぬ人からも援助の申し出があった。

「最初の避難では、家からかばんを一つ持ち出せただけ。何かの奇跡で彼が助けてくれているのだと思う」

ボンダレンコさんは支援への感謝を込め、男性の誕生日と、戦死した日には毎年、避難者や困った人に無料でパンを提供すると決めている。

 緊急避難から恒常的な支援に

2024年9月にロシア軍のミサイル攻撃を受けたアパート前には、犠牲になった住民8人の遺影が掲げられていた
2024年9月にロシア軍のミサイル攻撃を受けたアパート前には、犠牲になった住民8人の遺影が掲げられていた=2025年2月、リビウ市内で喜田尚撮影

リビウで生まれ育ったオレーナ・ペイボダさん(45)は、ロシアの全面侵攻が始まった直後から昨年5月まで、リビウ駅前の広場で避難してくる人に食事を提供する活動を続けていた。

駅前の広場は2022年の侵攻開始直後からその年末まで、ペイボダさんのようなボランティアが避難者支援のために出したテントで埋め尽くされていた。衣料品を渡すテント、身を寄せられる学校・公共施設や、自宅に避難者を受け入れる住民を紹介するテントもあった。ペイボダさんによると、こうした活動にまず物資や資金を提供したのは地元の中小企業家だという。

ペイボダさんにそれ以前のボランティア経験はなかったが、侵攻開始の翌日、近所の母親と身体障害のある子がポーランドに避難するのをリビウ駅まで送っていった際に目にした「カオス」が、「何かをしなければ」という気持ちにさせた。列車から降りてくる人と国外へ避難する人とで大混乱。列車に持ち込むことが許されなかった飼い犬や猫が、広場にたくさん置き去りにされていた。

リビウ駅前の広場に立つオレーナ・ペイボダさん
リビウ駅前の広場に立つオレーナ・ペイボダさん。ロシアの侵攻開始直後はここが避難者支援のテントで埋め尽くされた=2025年2月、リビウ市内で喜田尚撮影

市民の間に広がった緊急避難的な支援活動は、欧米の支援団体が入ることで徐々に恒常的な形態に変わっていった。侵攻から3年が過ぎた今では、地元企業から場所の提供を受け、避難者ら自身が寄付を集めて相互援助するグループも市内で複数活動する。

「戦争が家族の生活も、自分の考え方も大きく変えた」とペイボダさんは言う。双子の次男と三男は軍に志願した。ペイボダさんは職業を持つ人が地元で軍の活動に参加する領土防衛軍に加わり、負傷者の救護などの訓練を受けている。

米国のトランプ政権が対外援助を各地で大幅縮小させ、ウクライナでも影響は避けられない。ペイボダさんは「一時期に広がった助け合いの雰囲気が少しずつ弱まっているからこそ、支援を呼びかける活動は続けていきたい」と話した。