ILOアンバサダーの荻野目洋子さん、授業で届けるメッセージ

父が1970~80年代、ILO東京支局(当時)で働いていました。海外のお客様を自宅に招くこともありました。「どの国に生まれても人間はみな平等なんだ」という父の考えを感じて育ちました。
小学生の時にアイドルユニット「ミルク」として活動を始めました。10、11歳のころだったので、周りの大人の配慮もあり、夜は仕事をせず、主に夏休みなどを使って活動していました。仕事も楽しかったですが、学校も同じように楽しかったので、自分の意思で仕事をやめました。
中学2年の終わりごろ、「やっぱり歌手になりたい」とレッスンを再開しました。高校1年の春にソロデビューしてからも、学業と両立しながら仕事をしていました。
児童労働の現場に初めて触れたのは10代です。写真集の撮影でメキシコに行き、車で信号待ちをしていると、女の子が花や首飾りを売りに来ました。スタッフが「子どもが働く状況が続いてしまうから、買っちゃ駄目だよ」と。そんな光景が普通にあることに驚きました。
ILOのキャンペーンで、「宝石~愛のうた」を作詞・作曲しました。最初はシリアスな歌詞やメロディーが浮かびました。そのうち、手をたたいたり、手拍子をしたりする映像が浮かび、ポジティブでアップテンポな曲にしました。子どもたちを「宝石」と表現し、歌詞に「you have rights(あなたには権利がある)」と入れました。
学校側からILOへの依頼を受けて、年に数回、出張授業をしています。紛争地域では、親の病気やけがで、子どもたちが働かざるを得ない状況があります。タバコの葉の栽培や収穫のような仕事は、子どもの健康に害を与える可能性があります。こういった状況をILOの方がビデオを流して説明し、私自身が見てきたことも含めてお話ししています。
アンバサダーを引き受けた当初、児童労働と言えば、海外の事例が主でしたが、日本でもヤングケアラーの問題が表面化し、闇バイトも報道されるようになりました。この問題を伝えなければと強く思います。授業では、キャンペーンソングと「ダンシング・ヒーロー」、「翼をください」などを歌います。
児童労働を知り、考えることで生き方も変わると思うのです。同じバナナでも、消費者としてどう作られたのかを知ることも大事だと話しています。
「もっと海外のことを知ろうと思いました」「自分の行動で世の中を変えられるかもしれないと思いました」。そんな感想を皆さんが寄せてくれます。